すずめのしっぽ 2

「はぁっ、はぁっ……」
 俺はうなされていたらしい。
「湊ーーーーーーーっ!!」
 俺は自分の寝言で目が覚めた。
 ――あれ? どんな夢見てたんだっけ……もうすっかり忘れてる……。確か湊が出ていたような……。
「おい、大丈夫か? 遥」
 湊が俺の顔をのぞき込んでいた。
「あ……」
 涼子さんもいる。――良かった。こっちが現実だ。俺は一応頬をつねった。
「いてっ」
「何してるんだよもう」
「遥くんね――湊の名前叫んでたのよ。よっぽど気に入ってくれたのね。私の弟のこと」
 涼子さんがくすくすと笑う。ああ、同じ名前を呼ぶなら涼子さんの名前を呼びたかった……。
 でも、こういうことはコントロールできないからなぁ……。
「姉ちゃんも遥のこと、心配してたんだぜ」
 そうかぁ……そいつは嬉しいな。
「しまりのない顔して――遥、姉ちゃんのこと好きなの?」
「……ん? 好きだよ」
「もう、湊ったら!」
 涼子さん。ムキになってる姿も可愛い……。
 でも、一目惚れだもんなぁ。両思いになったらそれが一番いいけど。
 医者の見立てでは、俺は脳にも特に異常はなさそうだった。記憶喪失の俺は幸田家でゆっくり養生することにした。
「けどさぁ、遥って大変だな」
 そう言ったのは幸田湊。小学五年生。
「私達で遥くんの面倒を見てあげましょうよ」
 そう言う優しい言葉かけをしてくれたのが幸田涼子さん。大学二年生らしい。
「姉ちゃん。そろそろ学校行った方がいいんじゃねぇの? いくら先生に大目に見てもらってると言ったって、単位落としたら困るだろ」
「ありがと、湊。気を配ってくれて」
 本当だよなぁ……小学五年生とは思えねぇや。
 涼子さん、いい弟持ったよなぁ。涼子さんがいいからだろうけど。そして、亡くなったご両親も。
「なぁ、遥。帰ったら一緒に遊ぼうぜ」
「そうだな。何がいい?」
「トランプ。今はやってるんだぜぇ。大貧民とか」
「あーっ。俺のクラスでも流行ってたー」
 俺が言った。――涼子さんが首を傾げている。
「遥くん」
「はい?」
「確か――記憶喪失だったのよね」
「あ、そか。うん。小学校の記憶は健在みたいだよ」
 俺は笑った。涼子さんもほっとしたようだった。
「いつ頃の記憶がないの?」
「そうだなぁ……小学校の頃のことは覚えているから――大学、いや、高校辺りからかな。記憶が飛んでいるのは。一応通ってはいたようだけど、あやふやなんだ」
「どんな高校通ってたの?」
「普通の高校だと思うよ。あ、可愛い娘がいた気がしたけどなぁ……」
 涼子さんの顔にさっと翳が走った。
「そう……」
 そう言って涼子さんはすたすたと早足で歩き出した。
「あれ、涼子さん、涼子さん」
「不憫なヤツ」
 湊が後ろから声をかけてきたんでびくっとした。
「それに鈍いんだな。遥。姉ちゃん、遥のこと好きだぜ」
「え? でも、会ったばかりだし――」
「一目惚れってこともあるよ」
 湊がニヤニヤしている。まさか、涼子さんも俺のことを――? 俺の心臓はぼーんと爆発した。
「ま、がんばれ」
 湊が俺の背中をどやした。いってぇなぁ。もう。それに、可愛い娘と言ったって、そんな気がするだけで顔も覚えていないんだ。本当は。高校には可愛い娘なんていくらでもいる。――朝食の後、俺達は外に出た。
「遥ー。早く来ーい」
「遥?」
 通りすがりの女がそう呟いてこっちを見た――ような気がした。
 でも、気のせいだよな――俺が記憶を失くす前に何かしでかしてなきゃだけど。
「遥ー。こっちこっちー」
 湊がなおも叫ぶ。
「はーい!」
 俺は返事をして湊の方に走って行った。

「大澤遥と思える人物を見かけたわよ」
 そう報告したのは、遥とすれ違ったさっきの女。
『意外に早かったな』
「ええ――私には気付かないようだったわ。気が付いたなら声かけるはずだし」
『とすると――ちょっとまずいことになるな』
「――私が大澤遥を見守ることにするわ」
『わかった。頼んだよ』
 そして、モニターの画面は消えた。
 ――女の名前は白鳥なぎさ。そして、モニターの向こうの男の名前は、鈴村真雪。
「しかし、大澤君もずいぶんよね。私みたいないい女のことを忘れるなんて。ま、私の本命は真雪君だけど」
 なぎさは独り言ちた。

「遥、よっえー!」
「仕方ねぇだろ。久しぶりなんだから」
「あらあら。すっかり仲良くなって」
 涼子さんも笑顔だ。もうすっかり機嫌を直したみたいだ。
「今日は苺のケーキよ。皆で食べましょ」
「はーい」
「俺、お菓子作りが好きな人、いいと思うな」
 俺の言葉のせいだろうか。――涼子さんがじっとこっちを見てる気がする。俺は笑って付け加えた。
「勿論、涼子さんもいい女だと思うぜ」
「や……やだ……」
 涼子さんが熱を持ったらしい頬を押さえる。俺のこと、満更悪く思ってないようだし、記憶喪失が治らなかったら、俺、ここに住むかな。
「なぁ、遥。インターネットでお前のことアップしてみるか?」
「え?」
「ほら、お前のこと知りませんかって。――記憶喪失なんだけどって」
「うーん……どうかな」
 俺は――夢の中で宇宙にいた……ような気がする。湊達には言えないけど。言っちゃいけない。何となくそんな気がする。
「ダメかなぁ……」
「まぁまぁ。ゆっくり記憶を取り戻してちょうだい」
 涼子さんがケーキを運んできた。
「うわ、旨そう」
 ――ほんとに旨そうだ。そういえばなぎさも料理上手だったよな……。
 あれ? なぎさって誰だっけ。ま、いいや。いや、良くはないんだけど、記憶が戻ったらここにいられなくなる気がする。
 甘酸っぱくて美味しそうな苺のケーキ。いっただっきまーす。

2018.10.14

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