すずめのしっぽ 1

 ごぉぉぉぉ――。
 機械が背後で炎上している。逃げなければ。逃げなければ。だが――。
「うっ!」
 ずきーんと頭に痛みが走り、俺はそのまま気絶してしまった。
 誰かが「大丈夫か? 大丈夫か?」と呼んでいるような気がする。俺は譫言を言っていたらしい。そのまますーっと暗闇に意識が落ちてしまった。
 次に気が付いた時、俺は黄色い髪を後ろで縛った子供の顔を見た。後ろで縛った髪がすずめのしっぽのようだな、と思った。
「あ、オジサン、気が付いた?」
 オジサン……。
「あ、お兄さんと言った方がいい?」
「別にどっちでも」
 オジサンと呼ばれるとムキになるのに、相手からそう言われると、どっちでもいいかという気にさせられてしまう。よっこらせっと起き上がった。ふむ。確かにおっさんくさいかもしれない。
「お兄さん大丈夫?」
「……頭痛い」
「名前、何て言うの?」
 名前――何だっけ。あ、思い出した。
「遥――大澤遥」
 その子は、ぷっ、と吹き出す。
「女みてーな名前ー。お兄さん男らしいのに変なのー」
「じゃあ君は?」
「俺は幸田湊です。小学五年生なんだ」
「小学生かー。じゃあ遊び盛りだな。いいねー」
「そんなによくもないよ。先生とか宿題多く出すんで大変」
「あー、わかるわかる。小学校の時、俺にもいたよそんな先生」
 そこで、俺は我に返った。こんな世間話している場合じゃない。
 ここは、どこだ。そして、俺はどこから来たんだ? ――俺は記憶を失っているようだった。どこから来たのか。どこに住んでいたのか。一人暮らしなのか誰かと住んでいたのか親しい友達はいるのか。
「おまえ、ずっとここにいたのか? 俺の傍に?」
 俺は湊に訊いた。
「うん。だって放っておけるわけないじゃん。空地の行き倒れなんて。最初昼寝かと思ったけど、頭にけがしてるから。あ、そうそう。なんか寝言言ってたけど」
「俺が?! 何て言ってた?」
「んー。よくわかんないから忘れた!」
 俺はがくぅっと脱力した。あの時はまだ過去の記憶があったように思う。手がかりだと思ったのに――。
「遥、どこから来たんだ?」
「わかんねぇ」
「わかんない? どうして」
「どうしてわからんのかもわからん」
「あー、記憶喪失」
「そうそう」
「姉ちゃんにもきいてみる。遥、金持ってる?」
「う……持ってないようだけど……」
 身一つでこの空地に辿り着いたのだ。ポケットを探ってみたがない。
「一文もない……」
「じゃあ、俺ん家来いよ。姉ちゃん、金持ってるしさぁ。ダメだったら、俺が貸してやるよ」
「う……湊ぉ……」
「何で泣いてんだよ」
「おまえがあんまり親切過ぎて……」
「普通行き倒れ助けんの当たり前だろう。死んだオヤジは言ってたぜ。他人には親切にしなさいとな。もう少しで警察行くところだったんだぜ。俺」
 そうか――この子は親の教育が行き届いているな。ん? ちょっと待て。何か引っかかる単語が――。
「お前の父さん、死んだのか?」
「うん」
 湊はあっさり頷いた。
「自動車事故でお陀仏。お母さんもそれで亡くなったんだ」
「両親二人とも死んで辛かったな」
「そうでもないよ。親戚も友達もたくさんいるし。姉ちゃんも元気だし。あ、そうだ。遥、俺ん家に住まねぇ?」
「でも――お姉さんが許してくれないよ。きっと」
「どうして。姉ちゃん言ってたぜ。男手がないと何かと困るってな。だから、俺、早く大きくなりたいんだけど」
「湊。おまえは優しい。ゆっくり成長していけばいいんだ」
 俺は湊の頭を撫でた。
「――うん」
 俺がと湊は手を取ってその場を後にした。
 湊がいろいろと話しかけてくる。案内しながら。俺は湊がいてかなり助かった。
「あ、ここ警察。おっちゃーん。こんちはー」
「あいよ」
 もう五十代も半ばを過ぎようとしている男の人が手を振った。ここの巡査だろうか。
 ズキン、と頭痛がした。
「うっ……!」
「遥、もうすぐだから」
 湊が俺の袖を引っ張った。――幸田家に着いた。湊がチャイムを押す。
「姉ちゃーん。出てー」
 扉が開き――そこで俺は息を飲んだ。
 茶色の長いストレートの綺麗な髪、杏子型のハシバミ色の瞳。ちょっと日本人には珍しいんじゃないだろうか。とにかく、すげぇ好みだった。
「姉ちゃんだ」
「幸田涼子です。初めまして」
 うわー、綺麗なソプラノ。なんかドキドキしちゃうな。
「大澤遥です。お見知りおきを」
「姉ちゃん、遥のこと、この家に置いてやっていい?」
「え――?」
 涼子さんは戸惑っているようだった。そうだろうなぁ。子供の言うこととはいえ、「この人、我が家に置いてくれないか」なんて言われたらダメに決まってるよなぁ。たった一晩泊めるだけでもダメって言う人がいるというのに。
 でも、涼子さんは、
「遥さんはどこに住んでらっしゃるの?」
 と、取り敢えず結論を先延ばしにする方法を取ったようだ。
「あー、俺、どこに住んでたかわかんないんです」
「え?」
「この人、記憶喪失なんだぜ。可哀想だろ」
「え、ええ、まぁ……」
「少しの間でいいからさ。泊めてやろうよ。それとも、姉ちゃんはこの人嫌い?」
「嫌いも何も――今会っただけの人だし」
 そうだよなぁ。俺は殆ど一目惚れだったんだが。さよなら、俺の恋心。もうこの人には会えないんだ。
 だが――神は俺を見捨てなかった。
「いいわよ。しばらくの間ね。うちには男手もないでしょう? 手伝ってくれるとありがたいわ」
 おお……神よ……。
 この美少女と一つ屋根の下で暮らせるなんて。例え数日でも。
 勿論、手は出さない。でも、目の保養にはなるじゃないか。涼子さんは涼子さんで、苦労も多いはず。例えば、屋根の修繕とか、押し売りの追っ払いとか。そういうのを全部俺が引き受けるんだ。まぁ、しばらくの間だけど。
「宜しくね。遥くん」
「宜しく……」
 俺はぼーっとなって突っ立っていた。湊は不審に思ったらしかったがそんなこと気にしない。
 涼子さんはおやつにしましょうと言って昨日作ったというアップルパイを出してくれた。とても旨かった。
 ――涼子さんに会えたことだけでも、湊には礼を言いたい。
 俺の消えた記憶については、人心地ついたらまた探ることにしよう。
 けれど、短い間にたくさんのことを思い出せた。それに日本語を忘れていないのは助かった。俺がどこに住んでいて、どうやってあの空地に来たのかはまだ謎に包まれているけれども。
 涼子さんの勧めで俺は病院へ行くことになった。

2018.06.13

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