おっとどっこい生きている
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 私が家に帰ると、リビングにえみりとリョウがいた。
「お帰り、みどり」
「ただいま、えみりさん」
「これがポスターよ」
 ほう、なかなかよくできてるじゃない、というのが第一印象だった。きじとらのフク。美形に撮れている。猫に美形というのも、なんだか変だけど。
 ポスターには、
『この猫の飼い主いませんか?』
 とでかでかと書いてあって、その後にはこう書いてあった。
『この間、このきじとらの猫を拾いました。探している方、心当たりのある方は下記のところまでご連絡ください』
 そして、私の家の住所と電話番号が書いてあった。
「ところで、雄也さんは?」
 私が尋ねると、えみりさんは笑い出した。
「やぁねぇ。雄也はバイトに決まってるじゃない」
 ああ、そうか。
「浦芝さんに追い出されないといいけど」
「みどり、そんなわけじゃないじゃない」
 えみりが真剣な顔になった。
「ああ見えて、雄也はとっても真面目なんですからね!」
 雄也が真面目? 今度は私の方が吹き出したくなった。
 でも……そうかもなぁ……。兄貴だって、真面目っちゃ真面目だし。目の寄るところには玉、といったところか。
 まぁ、この数ヶ月間で、兄貴のイメージも変わったけど。
「なぁ、秋野」
 リョウがぽつりと言った。
「あのなぁ……俺、フクの飼い主が見つからなければいいと思ってるんだ」
「リョウ……」
 えみりがリョウの方を向いて、なんともいえない顔付きをした。
「こんなポスター、作っておきながら、なんなんだけど……俺は、フクが好きなんだ」
「私だってよ」
 えみりが言った。
「でもね、本当の飼い主がいるなら、その人達に返してあげたいの」
「本当の飼い主なんていねぇよ!」
 リョウはすごい剣幕で怒鳴った。しかし、冷静になると、
「わり……えみりサン……」
 と、詫びた。
「いいのよ。リョウがフクに対する気持ちもわかるし」
 えみりがさばさばした態度で流した。
「それに、見つからなかったらこのうちで飼いましょ。いいでしょ? みどり」
「イヤとは言えないわねぇ……」
 リョウに起きた、この一日での変化。フクを返してしまったら、また心を閉ざしてしまうかもしれない。
 せっかく、私達を家族として見做してくれるようになったと思ったのに。
 フクはもう、リョウの猫なのだ。たとえ、えみりが拾ってきてくれたのだとしても。
 それにしても、どうしてポスターを作る気になったのかしら。私が訊くと、えみりは、
「だって……リョウがフクを可愛がっている姿を見てたら……こんな風にお世話していた飼い主が、いたかもしれないって気になっちゃうじゃん。リョウも似たような気持ちだったらしいけど。私もフク好きだし」
 との答えが返ってきた。
 知らんぷりすればいいと思うのに。フクはうちの猫。それでいい、と思ってればいいのに。
 変なところで優しいんだから。リョウも、えみりも。本当は律儀なんだから。
「リョウ……アンタって、優しいね」
「な……何言ってんだよ、秋野」
 リョウが焦っている。私はちょっと笑った。
「でも……本当に飼い主が現われたら、どうすんの?」
「うーん。どうなるだろう。俺、泣くかも」
 じゃあ、飼い主が出てこないよう、祈ろう。
 幸い、今日は神学校だ。岩野牧師や、みんなにも祈ってもらおう。
 そんな祈りごとは、神様はきいてくれないかもしれないけど。
「みどりくーん」
 哲郎が入ってきた。
「今日、神学校、一緒に行ってもいいかな」
「いいけど、勉強は?」
「一日くらい、どうってことないよ。それに……岩野牧師に相談したいこともあるしね」
「わかった。みんなにも言っておくわね」
 メールを送信したら、夕飯作りに取りかからねば。
 そろそろフクにもご飯かな。
「ねぇ、兄貴はキャットフード買ってきてくれた?」
「ああ。駿サン、ちゃんと用意してくれたよ」
「じゃ、夕飯の時、出しましょ?」
 そういえば、兄貴はどこにいるんだろ。
 訊いてみると、
「今、勉強中だってさ」
 との返答がリョウから返ってきた。
「ふーん。えらいじゃん」
「もう四年でしょ? アタシ達。卒論のことも考えなきゃなんないし」
 ふぅん。そんな時期に入ってるんだ。
 大変なのは、哲郎ばかりではないんだ。私だって、来年は受験だしなぁ。
 でも……そうなると、フクや純也の面倒は誰が見るんだろう。
 私は学校行かなきゃならないし、兄貴達は大学だし、哲郎さんの進路は未知数だし。
 どうしよう……。
 とりあえず、みんなに哲郎さんが来ること話して、目の前にある家事を片付けねば。

 午後、八時半――。
 六月とはいえ、外は暗くなっている。
 教会には、奈々花、今日子、友子、美和が既に来ていた。
「みどりちゃん、おっそーい」
 美和が手を振った。あんたらが早過ぎんのよ。
 岩野牧師は、今まで通り、温和な笑顔をたたえている。
「すみません。岩野牧師――お邪魔します」
 哲郎が頭をぺこりと下げた。
「いえいえ。構いませんよ。君には、日曜には必ず会っていますからね」
 岩野牧師は、どことなく嬉しそうだ。
「それでは、お祈りをしましょう」
「あ、あの……私、祈りの課題を上げさせてもらいたいのですが」
「なんでしょう。秋野さん」
 岩野牧師は、私の方を見た。
「私の家に、猫が来たんですよ。同居人が拾ってきて…で、リョウ……私の同級生が、すっかりメロメロになっちゃって……。今、飼い主を探しているんですが、本当は、飼い主が見つからなければいいなぁと……」
 私の説明は歯切れが悪い。こういうのは苦手なんだ。
「じゃあ、その猫くんが、秋野家の一員になれるように祈りましょう」
 ああ! なるほど! その手があったか!
 飼い主が出てこないように祈るより、その方がよっぽど後味がいい!
 ワン、ワンと犬の鳴き声が聞こえた。上の方からだ。
「おや。フィービーくんが鳴いてますね。ちょっと連れてきましょうか?」
 フィービー? 牧師は犬を飼ってたの? 少し気になった。どんな犬だろう。

おっとどっこい生きている 100
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