おっとどっこい生きている
96
「かわいいなー、フク」
 リョウは、メロメロになりながらフクを撫でていた。
 フクは、えみりが拾ってきた猫である。
「でしょう。可愛いわよね」
 えみりも得意になっている。
「えみりは何でも拾ってくるんだなぁ。リョウのことも拾ってきたし」
 雄也が揶揄するように言う。
「あら、いいじゃない」
「悪いとは言ってねぇけどさぁ」
「ていうかさー、俺、犬猫じゃないんだけど」
 リョウの抗議はしかし、雄也とえみりはきかなかったようだった。
「この子、オスよ」
「へぇー。見たんだ」
「もちろん」
 二人で盛り上がっているのを、リョウは面白くもなさそうに聞いていた。もちろん、フクの頭を優しくさすりながらだけど。
「フクって名前はダサくねぇか?」
 兄貴が口を挟む。
「あら。駿ちゃん、アタシのネーミングセンスに文句をつける気?」
「そうじゃないけどさぁ……」
 兄貴はぼりぼりと背中を掻く。
「駿ちゃん。そんなところ掻いて、どうしたの?」
「ん。その猫、ノミいるんじゃねぇの?」
「やだ。どうしましょ」
「ノミ取り粉買ってくる?」
 リョウが自発的に進み出た。
「いや。まだノミのせいかわからないし」
「あ、そうだ。この猫、洗ってくるね」
「オレがやるよ。えみりさんは、純也の面倒見る仕事があるだろ?」
「あら、そう? 悪いわね、リョウ」
 リョウは、すっかりこの新しい小さな住人に参っているようだった。
「さ。おまえはこれからオレと一緒に風呂に入るんだぞ。できるだけ抵抗はしないようにしろよ」
 フクは、これから何が起こるか知らないようで、「ニャー」と暢気に鳴いた。
「あ、こいつ、オレの言うことわかるのかな。賢いな」
 親馬鹿……というか、飼い主馬鹿炸裂で、リョウが言った。
 まぁ、本当の飼い主なんて、誰だかわかりゃしないけれどね。居候達だって、フクの飼い主といえば、飼い主なんだから。拾ってきたのはえみりだし、面倒を見る役は、どうやらリョウに決まりそうだし。
「でも、リョウが動物好きなんて知らなかったわ」
 私は、本当に意外だったのだ。
「え? オレ、動物なら何でも好きだよ。秋野、おまえにそのこと言ったことなかったっけ?」
「聞いてない」
「そっか」
 リョウは、自分の膝にフクを乗せた。フクは嬉しそうに喉を鳴らした。リョウがフクのこと好きなんだって、わかるんだ。この猫は。
「オヤジもオフクロも、ペット飼ってくれたことなかったしさぁ」
「それは、動物が死ぬ悲しさを味わわせたくなかったからじゃないの?」
「そんなタマかよ。あいつらがよぉ」
 リョウが伸びをしながら言った。フクはちょこんと落ち着いている。
 ふぅん。リョウが、家族のことを話してる。姉や兄もいるみたいだけど、滅多に話聞かないし。あ、朝、ちょこっとおばあちゃんのこと話題にしたけど。
 どんな状況で育ってきたのかな。
 私は、リョウの家族のことはあまり知らないが、それでも、彼が大変なところをくぐってきたのは想像がつく。
 いつか、話してくれるだろうか。酒の肴でもつまみながら。私達はまだ未成年だから、大人になってからだろうけど。
 その時は、リョウも、心の整理はついているだろうから。笑い話として話してくれるといいな。
 なんたって、私達は、友達なんだから。そう思っているのは私だけかもしんないけど。
 私は、恵まれている方かもしれない。彼に比べると。優越感とかからではなく、心の底からそう思う。
 兄貴は一度、リョウの両親と話をしたことがあったらしい。――そちらに任せる、とのことだった。
「オレ、捨てられたんだよぉ」
 その日、笑って酒を飲みながら、リョウは言っていた。
 私は、いつもだったら「未成年のくせに酒なんて!」と怒るところだが、なんかリョウが気の毒になって、好きにさせておいた。
 捨てられた。そうかもしれない。だから、私達がリョウを拾う。『捨てる神あれば拾う神あり』って言うもんね。
 だから、フクのことは、リョウにとっても他人事ではないのかもしれない。同じような境遇なのだから。
 フクが猫だから、というより、リョウはフクに同調してしまったのだろう。
「あ、そうだ。風呂だったな。駿サン、オレ達先に入っていい?」
「ノミは残すなよ」
 兄貴が釘をさす。
「わかってますって」
 リョウは嬉しそうにフクを連れてリビングを出て行った。
 兄貴は、私の隣に座った。
「どうした? 気になるか?」
「え? どういうこと?」
「リョウとフクのことだよ。あいつら、仲良くなれそうじゃん」
「拾ってきたのはアタシなのにー」
 えみりが河豚のように膨れる。
「まぁ、こればっかりは相性だからな。フクが来てくれて、俺、ほっとしてるんだ」
「あ。やっぱり?」
「やっぱりって……じゃあ、おまえもリョウのことは気になってたんだな」
「まぁね。クラスメートだし」
「でもな――フクが来たことで、変わると思うんだ、俺」
「僕もそう思うな」
 哲郎が入ってきた。
「哲郎、いないと思ってたら、どこで何してたんだ?」
 兄貴が訊くと、哲郎はくしゃっと笑った。
「やだなぁ。勉強してたんだよ。今、水を飲みに来たとこ」
「何だよ。俺の話、聞いてたのか?」
「ん、まぁ……」
 哲郎、いたずらが見つかった子供のようだ、と私は思った。
「兄貴、声大きいんだもん」
 私がフォローに回る。
「哲郎、哲郎も、フクのこと、よろしくな」
「わかった。僕も猫好きだからね」
 この家には、猫が嫌いな人はいないらしい。私はほっとした。
 純也のことがちょっと気にはなるけど……。
「ねぇ、純也くん、大丈夫? アレルギーとか……」
 私は渡辺夫妻に問うてみた。
「え? 大丈夫だろ?」
「そんなひ弱な子、産んだ覚えはないわよ」
 そうだね……純也くんは健康優良児だしね。しかも、親に似ず、いい子だし。――もちろん、そう思ったことは、二人には内緒だけど。
「ニャーッ!」と、悲鳴じみた声が届いた。フクだな……。リョウも動物好きとは言っても、お風呂の使わせ方は知らなかったに違いない。
 それとも、フクが風呂嫌いなだけか……兄貴が「俺、行って来る」と言い置いて、風呂場に走った。えみりと雄也も後に続いた。
 でも、私は行くわけにはいかない。これでも、まだウブな女子高生なんだ。全裸の男と猫なんて、見たくない。
 哲郎は、台所に向かった。水を飲みに行ったらしい。まぁ、あんまり大勢で押し掛けるのもあれだと思ったんだろうな。
 でも、リョウ達の苦労の甲斐あって、風呂から上がった後、ドライヤーで乾かされたフクの毛皮はつやつやになっていた。気分も直ったらしく、「ナー」と、リョウに甘えかかっている。
 この二人――いや、この一人と一匹、うまくいくかもしれない。良かった。

おっとどっこい生きている 97
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