おっとどっこい生きている 例の『黄金のラズベリー』である。 今、クライマックスを書いているところだ。 エレンが、車のドアを開けて逃げ出す――少々説明が必要だろう。 エレンは、リー監督の友人のこれも映画会社を経営している監督に見込まれ、専属の子役にならないかと言われたのだ。 その監督の熱心さと父のリー監督の説得に、一度はOKしたエレンだったが、マリーやジョセフやマークなどと言ったファミリーのメンバーが追って来たので、慌てて車から飛び降りて彼らに向かって駆けて行く――ここはそういう場面なのだ。 なお、エレンがまろび出たところは、草原だったので、雑草がクッションとなってくれた。あまりスピードが出ていないうちだったのも幸いした。 エレンは最後にこう言う―― 「あたし、パパ達の映画が好き! みんなには下らないって言われようと! ゴールデンラズベリー賞――『黄金のラズベリー』は、私達の誇りよ!」 ここで、終わる。 THE ENDの文字を入れて、私はしばし感慨に耽った。 ああ、終わっちゃったんだな……。 『黄金のラズベリー』ばかりにかかりきりになったわけではない。その他にもいろいろあったけれど――。 でも、ひとつの作品、いや、世界が終った。 私には、初めての経験だった。 エレンが、リー監督が、ジョセフやマリーが、私の中でまだ生きている。 今度はどんな騒動が持ち上がって来るのだろう。彼らの世界に。 知りたいな。知りたいな。 たとえ、この作品も、ゴールデンラズベリー賞にしか値しないとしても。 続きでも書こうか……そう思った時だった。 「みどり」 頼子だった。 「頼子……たった今、終わったわ」 この親友と共に、『黄金のラズベリー』の終りを祝いたかった。 作家の人達は、編集者と共に、ひとつの作品が終わったら、ささやかな祝杯をあげるのではないだろうか。これは全く私の想像だけれど。それに、みんながみんなそうじゃないのは当然のことだ。 でも、頼子は―― 「あっ、そ」 と突き放すように言った。 冷たいなぁ。もう少し、おめでとうとか何とか、言ってくれてもよさそうなもんじゃあない? それとも、こんなものかな。 「ああ、そうそう。みどり。原稿貸してくれない? コピーするから」 「うん」 ああ、あの時の私は、何と迂闊だったことだろう。 (原稿コピーしてどうするの?) とか、一言でも訊いていれば……あんなことにはならなかったかもしれない。 けれども、それは、いくら悔やんでも詮ないことだった。 頼子はコピーする前に、私の原稿を読んだ。私はちょっと不安だった。頼子は点が辛い。いい人なんだけどねぇ……。 文学に関して言えば、頼子は少し辛辣であった。本をたくさん読み過ぎるせいかもしれない。 彼女はマンガも描けるし、書くことには自信を持っている。 頼子はぽつんと一言―― 「まぁまぁじゃない?」 と言ってくれた。 けれど、こんな感想、述べない方がマシというもの。私は酷評されてもよかったが、まぁまぁの作品は、書いた覚えはない。 しかも、自分では今までで一番の出来だというのに――。 「あら不満?」 頼子が私の心を読んだような台詞を吐いた。 「うん、まぁね」 彼女とは遠慮のない仲だ。私もついつい本音を口にする。 「私の意見は気にしないように。でも、よく書けたんじゃない?」 上から目線が気に入らない。 ちょっと脱線するけど、『上から目線』という言葉を考えた人って、ちょっとすごいと思わない? 私はあんまり好きじゃないけどさ。便利だし、使い勝手もいい。だから、人口に膾炙したのかな? 「じゃ、これあずかっておくわね」 「あ、秋野部長の『黄金のラズベリー』、私も見たいです!」 「友子……アンタ、まだ自分の話書き終えてないじゃない」 「でも、秋野部長の作品の方が、面白そうですから」 「あ、えっと……どうもありがとう」 私としては、頭を掻きながらそう答えるしかない。 「じゃ、友子。読んだら私にちょうだい」 「はい。でも、なんだかんだ言っても、頼子さんは秋野部長のファンなんですねぇ」 「親友よ」 そうなのだ。頼子とは昔から妙にウマが合う。 でも、実際に相手からも親友と認められて――嬉しいな。体の芯がぽかぽかと温まるような気がした。 友子は夢中で読んでくれた。読んだ後、 「面白いです! これ、私にも貸してください!」 と、勢い込んで言ってくれた。 「待って。私が先。コピーしたら渡すから」 頼子が原稿を奪い取る。 「はい。私もコピーします」 友子の卵型の顔が、可愛い笑みを浮かべる。 本当は――頼子も気に入ってくれたんだろうか。そう思うと何となく喜びが込み上げてきた。 「なに? みどり。にやにやして」 「なんでもないよ」 頼子の言葉に、私はつい笑顔を引っ込める。 「ジョセフさんの活躍がもっと読みたいです。続き、書かないんですか?」 「そうねぇ……それ、検討していたところなの」 「部長! 是非書いてください!」 うーん。友子のリクエストは、私をいい気分にさせるなぁ。 「あんまりおだてちゃダメ。それで勘違いする人、多いんだから」 それはわかるけど、頼子は相変わらず、ずけずけ言いだなぁ。まぁ、そういうところがいいんだけどね。 正義感が強くて、少々きついけど、自分の信念は貫き通す。それが、松下頼子という人間だった――少なくとも、私は、そう思っていた。いや、今でも。 だから、あれは――あの事件は、頼子の魔がさしたとしか思えない。 え? 何の話してるかって? いつか触れることもあるはず。触れることなくこの話が終わったら、それならそれで、良しとしてちょうだい。 私だって、友達のことを悪く言いたくはないんだし。 とにかく、その頃の私は多少舞い上がり気味で有頂天だったのだ。それに――私はやっぱり勘違いしていたのかもしれない。 話は変わるが、予定通り、『黄金のラズベリー』は新人賞に出そうと決めた。自分の今の実力がどこまで通用するか見てみたかった。シタヨミで落とされるかもしれないが。 (ダメでもともとだ――) 私は他の部員に見えないように、拳をぎゅっと握った。 「みどりー」 えみりが玄関まで出て来た。その腕の中で、「にゃあ」と、子猫が鳴いた。 「なに? どうしたのよ。その子猫」 「えへー。いいでしょ。拾ってきたの。名前はフクね。幸福のフク」 「それはいいけど――アンタ、純也くんは?」 「かまあないわよ。猫アレルギーは……多分、ないはずだし」 「頼りないわねぇ」 「私が面倒見るから。ね、いいでしょ?」 まるで、親に頼む子供のようだった。わたしはぷふっと吹き出した。 「わかったわよ。私だって猫嫌いじゃないし。でも、くれぐれも気をつけてね。純也くんが引っ掻かれでもしたら、大変でしょ?」 「もちろん!」 えみりは抱いているフクを私に撫でさせてくれた。フクは雑種のくせにノーブルな顔をした、大きな目の猫だ。いずれ美猫になるであろう兆しが見てとれた。 おっとどっこい生きている 96 BACK/HOME |