おっとどっこい生きている しおりは、調子っぱずれな声で歌っている。 うーん、確かにしおりの言う通りかもね。 「これで、ライバルが一人減った〜」 まだ溝口先輩は、焼けぼっくいに火がついたわけでもあるまいに。しおりったら、煽ってその気にさせるつもりだな。 「よせよ、しおり」 見かねた麻生が、妹を窘める。 「だぁってぇ、兄貴がしっかりしてないから、溝口さん、桐生さんに目移りしたんだよ。今度こそ、ちゃんと繋ぎ止めておかなくちゃ」 しおりはウィンクをした。……んじゃないかな。暗くてよく見えないけど。 「おまえはお節介なんだよ」 「兄貴には溝口先輩とうまくいってほしいもん」 「妙子の気持ちが問題だろ」 「わ、私は……」 今は将人が好きなのよね。わかってるよ。 将人が知ったらどう思うかな。 こんな綺麗な人に好かれたら、悪い気はしないだろう。私はお払い箱になったりして。 いや、将人はそんな人じゃない! 私はぶんぶんっと首を振った。 「どうしたの? みどりさん」 「べ、別に……」 「ねぇ、みどりさん」 しおりは耳元でこう囁いた。 「桐生さんのこと、諦めてないからね」 「わかってるわよ」 でも、私だって将人と別れる気はない。たとえ、居候の男性陣に何を言われようとだ。 麻生牧師の教会に着いた。 チャイムを鳴らす。麻生牧師が出て来た。 しおりは、麻生を背中からぐいっと押した。 「親父……」 「清彦」 麻生は、父親から視線を逸らす……いや、逸らしたんだと思う。横顔のシルエットが、家の電灯の逆光で浮かび上がる。 「た……ただいま」 牧師は、しばらく間を置いてから、言った。 「お帰り」 牧師の奥さんが玄関にやってきた。 「おふくろ……わっ!」 牧師の奥さん――確か明江さんと言った――は、麻生のところに駆けつけて、抱き締めた。裸足のままだった。 「ママ……」 しおりは、感極まったような声を出した。 麻生は、抵抗しなかった。ただ、明江さんのなすがままになっていた。 (良かった……) 麻生も根っからの悪い人ではない。この両親を見ればわかる。麻生も愛されているのだ。もちろん、しおりも。 それは、神の愛というより、親の愛かもしれないけど――。 麻生は、見守られてきたんだなぁ……。 そりゃ、親達は、やきもきしてたかもしれないけどね。 麻生は変わるかもしれない。変わらないかもしれないけど。 「妙子さん、みどりさん、ありがとう」 牧師が礼を言った。 「い、いえ。私達は何も……」 「そうです。かえって余計なお世話だったかなぁ、と……」 私と溝口先輩は、ほとんど同時に言った。 「溝口さんもみどりさんも、あたしに協力してくれたんだよー」 しおりは得意そうだった。 「しおり、いい友達に恵まれて幸せだな」 うん。麻生はともかく、しおりちゃんは友達だ。 「ねぇ、ママ。お腹ぺこぺこ。何か作ってくれない?」 「そうね。妙子さん達も食べてく?」 麻生の頭を撫でながら、明江さんが申し出た。 「いえ、私、もう帰らないと……」 「私も」 そう。早く帰らないと。兄貴達が待っている。兄貴は心配しているかもしれない。ちょっと私も自棄になっていたかもしれないけど――それっていけないことだよね。 結局私は、溝口先輩と一緒に帰ることになった。 「じゃあねー、妙子さん、みどりさん」 しおりは、私達が見えなくなるまで手を振っていた。私は置かせてもらっていた自転車を引いていく。 「ねぇ、誤解してるんじゃないならいいんだけど――」 二人きりになると、溝口先輩が口を開いた。 「麻生くんね、悪い人じゃないのよ」 「うん。わかってる」 「本当はまっすぐなのね。素直過ぎるのよ。だから、一旦曲がると、修正が難しいのよね」 溝口先輩は、端正な横顔を見せた。 「でも、あんなにいい家族がいるんだから」 「そうね。それに賭けましょ」 ――麻生がちゃんと更生するには、どのぐらいかかるか――それは神のみぞ知る。 溝口先輩――妙子さんは、私を家まで送ってくれた。 お礼を言ってさよならし、自転車を止めて、わたしは玄関の扉を開けた。 ドンドン、と足音が響いた。低音って、割と響くのね。 現われたのは、兄貴だった。 私が言葉を紡ごうとすると―― バシッ! いきなり殴られた。幸いグーではなかったが。 「このバカ! こんな時間まで何してた!」 えー、この場合、何と言えばいいのだろう……。これは、私が悪いんだろうな。やっぱり。 「詳しく説明しろ。どこ行ってたか!」 ――私は、兄貴に、今までの経緯を明らかにした。 「ふぅん。じゃあ、もうそいつらには巻き込まれるな」 巻き込まれるどころか、もうどっぷりその事情にハマっちゃってるんですけど……。 「心配だったんだぞ。バカみどり」 「ごめん……」 バカと言われて、いつもなら怒るところだけど、今は引け目を感じて、何も言えなかった。 兄貴と一緒の家にいたくない、なんて思った時もあったけど、麻生の家族見てると何となく懐かしくなって、早く帰りたくなってきたんだよね。 「哲郎に、なんか作ってやれよ。もう熱下がったろ」 そうね。熱はないみたい。まだ少しだるいけど。おじやなんてどうだろう。私も食べたいから二人分。 「あ、そうだ。みどり」 兄貴が呼び止めた。 「俺も……おまえの手料理が食いたい」 わかった。三人分ね。 そして――闊達な兄貴らしくもなく、逡巡しているようだったが、やがて、顔を背けて呟いた。 「――……俺のせいか?」 何が『俺のせい』なんだろう。私はもう全然、そんなこと思ってないのに。でも、兄貴が特別自意識過剰というわけでもない。兄貴のおどけた仮面の下に、私の知らないものがあった。それが気になるといえば気になる。 とりあえず私は黙って首を横に振る。 おっとどっこい生きている 93 BACK/HOME |