おっとどっこい生きている
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「ちょっとー、清彦イヤがってるじゃない。行こ、清彦」
 例の、スカート丈の短い城陽の女が割って入った。
「あんたは黙ってよ。これは家族の問題なんだから」
「このガキー……」
「ガキじゃないよ。麻生しおりって、名前がちゃんとあるんだから」
「ふーん。じゃあ、清彦のきょうだい?」
「妹だけど」
「でも、清彦、家に帰りたくなさそうだよ。諦めて、さっさと帰んな」
「やだ!」
 しおりはきっぱりと言った。
「ねぇ、麻生くん。しおりちゃん、本当に心配してたのよ」
 溝口先輩は、ソフトな声でやんわりと意見した。
「溝口さん!」
「溝口?」
 しおりの言葉に、女は問い返した。
「へぇ〜、アンタ溝口って言うんだ。ねぇ、溝口サン、アンタ、こんなヤツらとつるんでないで、あたしと組まない? きっとおもしろいように男が釣れるよー」
「何言ってんの! 溝口さんを巻き込まないで!」
 しおりだって、溝口先輩を巻き込んでいると思うのだが、気持ちはわかる。
「邪魔すんな、ブス」
 女は、男性相手にキャピキャビ媚びている分には可愛いのだろうが、今はちっとも、可愛くも魅力的にも見えない。肉食獣の醜さだけが見える。
「あんたに言われたくない」
 不穏な空気が辺りな漂う。少しの間、緊張が走った。通りを行く者の何人かは、ちらちらとこちらを見ていく。
「ムカつくのよ!アンタ!」
 女は、歯を剥き出した。伸びた八重歯がよく見える。
「お生憎様。しおりもアンタがムカつく」
「しおりちゃん……」
 溝口先輩が、気がかりそうな顔で見守る。
「いい加減にしてよ! アンタら!」
 ついに私も参戦した。余計なお世話かもしれないけどね。
「私はしおりちゃんとちがって、麻生先輩が誰と付き合おうと知ったこっちゃないけどね! 私はしおりちゃんの友達だから、しおりちゃんが不愉快な思いをするのは、許せないの。どう? 城陽のお嬢さん。ここは一旦矛を収めて、麻生先輩をしおりちゃん達のところに返してあげてくれない?」
「イヤだと言ったら?」
 力づくでも……と言いたいところだけど、私、腕力に自信がないんだ。リョウに言わせると、「秋野は結構凶暴」だそうだが。
 ここは、説得の一手だ。
「ねぇ、麻生先輩。ここは或る意味危ないのに、しおりちゃんはわざわざ来たんだよ。溝口先輩と私が来なかったら、一人で来たかもしれない。妹をそんな目に合わせるなんて、はっきり言って兄のすることじゃない!」
 そう、私の兄貴だって、私にそんな心配をかけさせたことは、一度だってない。たとえ、私のことをどう思っていようとだ。
「てめえに何がわかる!」
 麻生が怒鳴った時だった。
 しおりが麻生に近づいて行って……。
 パァン!と麻生の頬にビンタを張った!
「わからないわよ!兄貴の気持ちなんて!」
 しおりは泣いていた。
「だから、あたしもパパやママもやきもきしてるんだよ!溝口先輩だって、みどりさんだって……」
 しおりは泣き崩れた。
「……清彦」
「なんだ?」
「あたし、もう帰るね」
 言葉通り、城陽の制服を着た女は去って行った。
 ふぅん。さっきの様子から見て、もう少し食い下がるかと思ったけど、そこまで馬鹿じゃなかったらしいわね。一応引き上げ時は心得てたってわけか。それとも、ただ単に鼻白んだか。
 本当に城陽の生徒だったのかは、今ではもうわからないし、どうでもいいことだ。
「……ごめんなさい、麻生くん」
 溝口先輩が、済まなそうにお辞儀をした。
「何が」
「せっかくのデートを邪魔して」
「いいって」
 麻生の顔は、どこか吹っ切れたようだった。
「そんなにタイプでもなかったしよ」
「じゃあ、どうしてあの女と歩いてたわけ?」
 しおりがひょいっと小首を傾げて、麻生の顔を覗き込む。
「成り行きだよ、成り行き」
「あっきれた」
 私はつい、声を出してしまっていた。
「成り行きで好きでもない女を連れ歩けるのね」
「人のこと言えんのかよ、秋野。こんな時間にこんなとこうろついてたくせに」
 うっ……それを言われると弱い……。それに私、今日は学校休んだし。
「しおりがみどりさんを連れてきたんだよ!」
 しおりが庇ってくれる。ああ、ごめんね、しおりちゃん、でも……。
「私が勝手に来たのよ」
「お節介め」
 麻生が毒づく。
「妙子もそうなのか?」麻生は妙子の方に向き直った。
「ええ、まあ……」
「仕方ねぇ奴らだな。どいつもこいつも」
 麻生、そう言って、また苦笑い。
「兄貴がバカだから、みんな苦労してるんだからね。自暴自棄が許される時は過ぎたよ」
「…………」
 麻生は黙っていた。
「あたし達には、こんなにいい友達がいるんだからさ」
 何?! しおり! あたし達が麻生の友達?! 冗談じゃないわ!
 ……そう思ったけど、言えなかった。
「そうよ。今度しおりちゃんを悲しませたら、私が許さない」
 溝口先輩……先輩は、手をボキボキ鳴らした。
 うわぁ……意外とすごむんだな……。
「それから兄貴」
「なんだ?」
「あの冬美って人と、別れてね」
「それがおまえに関係あんのかよ。しおり」
「兄貴が好きなのは、冬美さんじゃない、溝口さんでしょ?」
 しおり……アンタ、何てこと言うのよ……それが事実だとしても、言ってはいけないことが……。
「……戻るぞ」
 麻生が背中を見せた。表情はわからない。ただ、何となく、頬が赤くなっているんじゃないかな、という気はした。あくまで気のせいだろうけどさ。
 人間の頬は、そんなに簡単に赤くなったりしない。私も便宜上、「顔が赤くなった」と使う時はあるけどさ。
「うん!」
 しおりは嬉しそうについて行った。
「あ、そうだ」
 しおりがくるりと振り向いた。
「みどりさん、溝口さん、どうもありがとう」
 いえいえ――私は心の中で言った。
「溝口さん、兄貴のこと、お願いね」
「うーん。そう言われても……」
「桐生さんは渡さないよ。みどりさんの恋人だけど、私も狙っているんだから」
 ――何がおかしいのか、溝口先輩はくすくす笑った。そして、こう言った。
「でも……そうね。教会には、なるべく顔出すようにするわ」

おっとどっこい生きている 92
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