おっとどっこい生きている
90
 大変だ――しおりちゃんを止めないと。
 私は溝口先輩に向かってアイコンタクトをした。
「じゃあ、私も行く」
 何っ?! 溝口先輩まで!
「みどりさんは帰ってもいいわよ」
 溝口先輩……止めてくれると思ったのに……。
「ご家族が心配してらっしゃるでしょう?」
 溝口先輩が更に言った。
 家族……家族ねぇ……兄貴の他は、みんな居候だし。それに――
(兄貴は私に似た女と寝たんだ)
 その想いが突きあげてくると、私の心には嫌悪感みたいなものが生まれた。今は……帰りたくないかも。兄貴と顔を合わせたくない。
 兄貴は、私や哲郎(この人は童貞だ)みたいに、清らかじゃない。
 私は、溝口先輩としおりの顔を交互に見た。
 いいわ、こうなったらとことんしおり達に付き合ってあげる。
「私もついていくわ」
 堂々と宣言した。
「でもちょっと待って。電話するから」
 あんな兄貴でも、心配させるわけにはいかない。一応携帯を持って来た。しおりからまたメールが来るかもと思って。
 呼び出し音が鳴って、受話器を取る気配がした。
「はい、秋野ですが」
 兄貴の声だ。
「あ、兄貴……帰りちょっと遅くなる」
「え? みどり、それってどういう――」
 みなまで言わせず、切ってしまった。
「でも、いいの? みどりさん、溝口さん、本当に――」
 しおりがすまなそうな顔をする。
「いいって言ってるでしょう?!」
 私は、思わず声を荒げてしまった。
「今のしおりちゃんを、放っておくわけにはいかないわ」
 溝口先輩も言った。
「まぁ、何年もこの教会に来なかった私のセリフじゃないけど」
 そう、言い足して。ああ、本当に、溝口先輩はいい人だなぁ……。
「じゃあ、行こう。エイエイオー!」
 しおりは、なんだか気合いが入っている。
「お父さん、出かけてくるよ。みどりさんも溝口さんも一緒だから」
「そうか――あまりご迷惑かけるんじゃないぞ」
 うーん。人様の家庭に立ち入ってはなんだけど、やっぱり麻生牧師は、子供に甘いんじゃないかしら。父親失格とは思わないけど。
 たった一言で許すなんて――どこへ行くかも尋ねずに……。
 うちの親は一見甘かったけど、門限には厳しかったな。遅くなる時は連絡入れろって、口酸っぱくなるほど言ってたっけ。
 門限は八時。兄貴よりも厳格だった。――兄貴のことは忘れよう。
 とにかく、私はしおり達と、この近くの繁華街へと繰り出したのだった。遊びではなく、麻生清彦を捜しに。
 自転車は、ちょっと迷った末、教会の駐車場に置いて行った。動くなら身軽な方がいい。
 
 街は、混雑していた。
 人々のざわめき、車の音。自転車で通り過ぎる人。
 賑やかだけど、怪しいところは何もない。
 そんな事実に、少しほっとした。
 こんな時間にこの街に来ることは、あまりない。
「夜の街って、ドキドキするね」
 しおりが、わくわくを抑えきれないように言った。
「しおりちゃん、麻生くんを見つけたら、すぐ帰るのよ」
「……はぁーい」
「それにしても、どこら辺にいるのかしら」
 私が訊いた。
「それがわかっていれば、苦労はないよ……」
 その時、どんっと人にぶつかった。
「あっ、ごめんなさ……って、由香里?」
「秋野さん!」
 な、何?! やる気?!
 私は少々身構えた。
「みどりさん、知り合い?」
「クラスメートよ」
「秋野さん……お願い、私がここにいることは誰にも言わないで!」
 へぇ、珍しい。由香里が私に頼み込むなんて。
 それに――私と将人を隠し撮りしたのは、この人じゃなかったっけ? ――ああ、あれは加奈か。
 でも、由香里も一枚噛んでいたんだよね……それなのに、虫が良すぎるとは、思わないでもなかったけど。
 今は、由香里どころではない。
「いいわ。何があったか知らないけど、黙っててあげる」
「恩に着るわ」
 そう言って、由香里はいそいそとその場を離れた。
 訳ありみたいね。いいわ。こっちも訳ありなんだから。
 しかし、こんな時間にうろついている私のこと、どう思ったかしら。しおりはともかく、溝口先輩も一緒だし。抜き打ちの取り締まりかと勘違いしたかしら。その場合は、先生が一緒だろうけど。
 考えたって仕方がない。今は、麻生の馬鹿野郎を捜すことが大事。私達は歩いた。
「ねぇ、しおりちゃん。食堂とか……カラオケボックスに入っていたら、麻生くんつかまらないかもよ」
 溝口先輩が尤もなことを言う。
「その時は――諦めるよ」
 しおりが爪を噛んだ。癖らしい。
「しおりちゃん。爪を噛んじゃいけないわ」
 あ、私のセリフ、溝口先輩に取られた……。しおりは気がついて、すぐにやめた。
 私達は運が良かったのか――。
 腕を組んで歩いている麻生と女生徒を目撃した。女の方は知らない。だが、他校の制服を着ていた。
(あの制服――城陽?)
「どうしたの? みどりさん。――あ」
 しおりも気がついたようだった。
「麻生くん……」
 溝口先輩も呆然としている。
「兄貴!」
 しおりが、麻生を呼び止めた。気がついた麻生が、びっくりしたようにこっちを見ている。
「しおり! 秋野――それに妙子!」
 そうか――麻生は、溝口先輩のこと、妙子って呼んでるんだ……なんて、そんなことで感心してる場合ではない!
「なぁにぃ。知り合い?」
「ああ……ちょっとな」
「あの美人な人、本命の彼女?」
「いや、違う……」
 麻生は、こんな時だと言うのに、苦笑いしている。
「そっちの人も可愛いけど、この美人に比べると、一格落ちるわね」
 城陽の女生徒は、私を指差した。
 な……何よ、失礼ね!
「兄貴、帰ろう。パパが心配してるよ。溝口さんも、兄貴が気になってここに来たんだよ」
 麻生は、何か言いたそうだったが、でも何も言わずに俯いていた。

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