おっとどっこい生きている
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「溝口……妙子先輩……」
 私は思わず声に出していた。
「秋野さん……」
「――みどりでいいです。私、年下ですから」
「そう……じゃ、みどりさん」
 ふわっとした快い声が私を呼ぶ。
 ちょっと長塚冬美に似ている彼女。でも……どこか違う。うまく説明はできないけれど。
 イミテーションのダイヤと、夜空に輝く星ほどに違う。あ、星の方が溝口さんね。
「こんばんは。今日は、どうしたの?」
「いや……それは、私の方が訊きたいんですけど……」
「私?」
 溝口先輩が、意外そうな口調で言う。
「暗いわね。ちょっと電気つけ直すね」
 しおりが電灯の紐を何回か引っ張る。部屋が明るくなった。
「ありがとう、しおりちゃん」
「えへへー。どういたしまして」
 しおりも溝口先輩に褒められて悪い気はしないらしく、嬉しそうに答えた。
「で、溝口さんは、何で来たんでしたっけ? もういちどみどりさんにも説明して欲しいな」
「そう……私は、しおりちゃんに会いにきたんだけど……」
 溝口先輩は、ちらりとしおりの方を見遣る。しおりは、いつもと同じ笑顔を浮かべている。
「――隠したって仕方ないわね。しおりちゃんに会いたかったのも本当だけど、本当に用があったのは、麻生君の方よ」
「なるほど。やっぱりそうでしたか」
「え? みどりさん、わかってたの?」
「なんとなく、そんな気がしたものですから」
「麻生君とは、幼馴染だからね、初恋の相手でもあるし。その相手が、なんだかおかしくなっちゃった、ということを聞くと、放っておけなくて」
 気持ちはよくわかる。私も溝口先輩と同じタイプであるらしい。
 だから、好みのタイプも似ているのかもしれない。
 溝口先輩は、今は将人が好きだと言っていた。彼は一生懸命に生きている。だから――。
 ……麻生先輩より、将人に惹かれるのは、わかるんだ。
 それを、浮気だとか、麻生先輩から心変わりしたとかいう資格は、私にはない。――ほんとはちょっと思ってるけど。
 でも、溝口先輩は、私と将人のことを認めてくれている。その点に文句はない。
 ――閑話休題。
「おかしくなったって、どういうことですか?」
「夜の街に行ったり――女の子を連れて歩いたり」
「その中に冬美もいるんだって」
 しおりが吐き捨てるように言った。
「あのメス猫」
「そんなこと言っちゃいけないわ。しおりちゃん」
「だって、そうでしょう? 兄貴が好きなのは、溝口さんの方よ。悪いけど、冬美って溝口さんに少し似てるからね。中身はダンチ、違うけど」
「しおりちゃん……」
 冬美には悪いけど、私もその通りだと思う。
「麻生先輩と冬美さんて、つきあっているの?」
 私はわざと尋ねてみた。
「そうじゃないの? わたしはてっきり……」
「みどりさん! 溝口さん!」
 しおりが怒鳴って、咳払いをした。
「つきあってたってねぇ……そんなの、代償行為に決まってるんだから」
 へぇ……意外と難しい言葉、知ってるのねぇ。『代償行為』なんて。
 意味はわかる。例えば、第一志望の彼女と付き合えないから、それによく似た人を相手に選ぶってこと。
「む……難しいこと言うようになったのねぇ、しおりちゃん」
 溝口先輩も、感に堪えた、というような口調でそう言った。
 そしたら――
「えへへ。マンガの受け売りです」
 としおり。あらら。
 正直な子ね。言わなかったら、私達、しおりちゃんを見直したままだったろうに。
 だけど、そこがしおりちゃんのいいところね。
「しおりちゃーん。やっぱりあなたって可愛いわ」
 溝口先輩がしおりを抱き締める。
「むぎゅ」
 と、しおりは鳴いていたが、満更でもなさそうだ。
 どういう関係なのかしら。この二人……。
 私が半ば呆れて見ていると、
「あ、ごめん、みどりさん。私達、結構幼い時からじゃれ合ってたから。その……百合とかそういうんじゃないのよ」
 溝口先輩は冷や汗交じりといった感じだ。
「そうそう。しおり達、仲良しだから」
 まぁ、女子校ではそんな関係、結構あるようだし、私のクラスメートにも、ハグとかボディタッチする子いたからねぇ。
 それから、これは頼子の話なんだけど、
「私、こう見えて過敏体質だから、小学校の頃、みんなにくすぐられたりしたわよ」
 なんてことを聞いたことがある。その時は、クラス別々だったから、よくわからなかったけど。
「話を元に戻すわね――で、麻生君のことを、自分の両親に言うわけにもいかないし――で、麻生牧師に相談しようとしたんだけど」
「パパは当てになんないわよ」
 しおりがあくびしながら言う。
「でも、一応は……私達の牧師でもあるんだし」
「そうねぇ……鰯の頭でも拝んでたら、兄貴はよくなるんじゃない?」
 しおりは、哲郎が聞いたら激怒しそうなことをのたまった。
「ここをうろうろしていたところを、しおりちゃんに見つかってしまってね」
「溝口さん。こんな人のいないとこ、通っちゃダメだよ。ヘンなヤツに襲われても知らないんだからね――実は、しおりが溝口さん見つけたのも、偶然なんだけどさ」
 確かにしおりの言う通りだ。妙な男に目をつけられて、尾けて来られないとも限らない。
「牧師にも一応相談したんだけど――」
 麻生牧師は、
「あれももう十八になる。自分のことは自分で決めるよ」
 と言ったそうな。
 それでいいのかな。確かに十八といえば、昔だったらもう大人だろうけど――
「なんか違うような気がするなぁ……」
 私はつい、声に出して言ってしまった。
「そうそう、それ! 兄貴はやけっぱちになってるだけなのよ!」
 しおりちゃんがすごい勢いで賛同してくれた。
「冬美なんかとつきあってるのも、『自傷行為』に違いないわ!」
「しおりちゃん、自傷行為はちょっと違うような気がするけど……」
 溝口先輩がやんわりと意見する。
「あんなの、兄貴じゃないもん! 兄貴はもっと優しかったもん! ああ、もう! 霧谷のばかー!」
「しおりちゃん、霧谷君は関係ないんじゃ……」
 また溝口先輩がツッコむ。
 原因は何にせよ、霧谷信夫が直接の原因であるように、しおりは思っているようだ。
「霧谷なんかに溝口さんはもったいないのよー!」
「まぁまぁ、しおりちゃん、落ち着いて……」
 しおり、酒でも入ってんのかしら……それとも、もともとこういう性格? ――きっともともとね。
「決めた! しおり、今から兄貴を探して来る!」
「しおりちゃん……この時間にあの街に行くの?」
「当然!」――しおりは本気の顔である。

おっとどっこい生きている 90
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