おっとどっこい生きている
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 結局、今日はえみりが家事をやってくれた。
 だいぶ腕が上がってきた。えみりの母親としての成長ぶりには目を瞠らずににはいられない。
 消化のいいものを、ということで、うどんを作ってくれた。三か月ぐらい前は考えられなかった。
 ――あったかくて、美味しかった。涙が出てきた。懐かしくて。
 自分が作るだけじゃなく、人に作ってもらってた、そんな時期を思い出して。
 おばあちゃん……。
 私の脳裏には、おばあちゃんの手料理の記憶がよみがえっていた。
 私は、いい人達に恵まれています……。
 かなり元気を取り戻し、起き上ってもよくなってきた。
 携帯には、いっぱい「大丈夫?」メールが集まってきたが、一番嬉しかったのが将人の、
『みどり、今日は会えて嬉しかった。よくなったらまた学校で元気な姿見せろよ』
 というものだった。
 絵文字がないのがいかにも将人らしい。
 しおりからも来ていた。今度は、うちの教会に来てね、という内容。将人とは正反対の、絵文字いっぱいの画面。
 そうだな……しおりは私の友達だし。麻生には興味ないけど、このまま放っとくことはできないかもなぁ、と考えた。
 あれ? また着信。
『みどりさん! 聞いて! 今ね、溝口さんが教会に来てるの!』
 溝口先輩? え? 何で?
 私は、自分としては素早く返信メールを送った(つもり)。
『なんかねぇ……今まで来たかったんだけど、勇気が出なくて来れなかったみたい』
『麻生先輩は?』
 いくらしおりの前といえど、『清彦』と呼び捨てはできない。
『いない。どっかに行ってるみたい』
『どっかって、どこ?』
『わかんない。この時間になるとぶらっとどっか行くの』
 あんのヤロー〜……!
 おっと、スラングを言ってしまった。でも、それが私の正直な気持ち。
 今何時だと思ってるの? 八時半よ! 家に連絡入れるのが筋ってもんじゃない?
 ――まぁ、運動部の人達は、夜遅くまで学校にいるのは珍しくないかもしれないけど。
 麻生は一度帰ってんのよね。
『麻生先輩って、いつもどこ行ってんの?』
『わかんない。街の方に行ってるみたいだけど』
 メールでは伝えるのに限度がある。
 兄貴が入ってきた。
「おい、みどり。親父から電話」
「悪いけど、いないと言っといて」
「なんだよ……」
 病院行く時に着替えていてよかった。普通なら、またパジャマに替えるとこだけど……つまり、まぁ、横着したのだ。
 誤解しないでよ。いつもはそんなんじゃないんだからね。布団に入る時には、ちゃんと寝巻き着てるんだから。
 そんなこと言ってる場合ではない。
「みどり、どうしたんだよ、みどり」
「心配しないで、兄貴。ちょっと出かけるけど」
 私はきりっとした顔のつもりで言った。
 兄貴にも、私の決心の度合いが伝わったらしい。
「もうよくなったのか?」
「よくなったわ」
「すぐ帰るんだぞ。明日、学校行くだろ?」
 言われるまでもない。
 私は外に出ると、がちゃこんがちゃこんと自転車を走らせた。
 目指すは『神光教会』!
 道順はこの間行ったのでわかる。
 しおり……溝口先輩……麻生……。
 いろんなキーワードや人の顔が、私の脳裏を過ぎる。
 この時間だ。日が長いとはいえ、今頃になると、やはり辺りは結構暗くなっている。
「こんばんは!」
 私は勢いよく神光教会の扉をノックした。少し焦っていたかもしれない。
 麻生牧師がドアを開けた。
「ああ。みどりさん」
「こんばんは」
「清彦に用事かね?」
「いえ、しおりちゃんにです」
「そうか……入っていいよ。ただ、今お客さんがいるからね……」
「溝口先輩でしょ? 聞いてますよ」
「そうか。君はしおりと仲が良いんだね」
「しおりちゃんがいい子だからです。それと……」
 私は意地が悪いかな、と思いつつ、こんな質問をぶつけた。
「麻生先輩はいらっしゃいますか?」
 牧師の顔が、少し強張った。
「いや……今出かけてるよ……」
「そうですか、誰と?」
「――知らないんだ……」
 麻生牧師は、情けなさそうに言った。
「みどりさん。私はね、牧師としてはともかく、親としては失格なんだよ」
「そんなことは訊いてません」
 私はきっぱりと言った。麻生牧師の愚痴を聞いている暇はない。
「そう思うなら、今からでも、何とかしようと努力するのが親の役目では」
「そうか――……そうだな……」
「しおりちゃんに会わせてもらって構いませんか?」
「……ああ、どうぞ」
 その時、しおりがひょこっと顔を出した。
「来てくれたんだ。みどりさん」
 顔が輝いて、嬉しそうだ。
「よかったー。しおり、何となく、みどりさんが来てくれるような気がしたから」
「……どうも」
 不良だ。私は不良だ。麻生先輩に負けないくらい不良だ。
 学校休んでこんなところに来てるなんて。まぁ、行き先が教会というところが、言い訳になるっちゃなるかもしれないけど。
「溝口さんにも会う?」
 私は無言で頷いた。
 溝口先輩に会ったら、何て言おう……。それより、話合いになるかな……。黙ったまんま数時間ってことになりうるかもしれない。
「お、おい、しおり……」
 麻生牧師がしおりをたしなめようとしたが、腰が引けている。
「いいから。パパは私に任せておいて」
 しおりには腹づもりがあるみたいだけど……私は不安だ。思いっきり不安だ。
「しおりちゃん、何か計画でもあるの?」
「うんにゃ」
 あら……。私はがくっとずっこけた。こりゃ、しおりちゃんも頼りになりそうにないわ。
「とにかく行こ? 溝口さんのところへ」
 しおりは私を引っ張って行った。
 そこは、以前、麻生夫妻が美味しいお水を私達にご馳走してくれたところだ。お茶うけがない分、清水の旨さがよく味わえた。
 その中に、人の目を惹きつけずにはおかない美女が一人……。
 
おっとどっこい生きている 89
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