おっとどっこい生きている
84
 教会が終わった後、渡辺俊夫、つねさん夫妻は帰って行った。美味しい羊羹をお土産に残して。
「ふーっ」
 部屋で一息吐いて、これから勉強か小説書きでもやろうかって時に、リョウが現われた。
「秋野。――話があるんだけど」
「なぁにぃ?」
 私は、自分でも間の抜けた声だな、という感じで応対した。
 リョウと私は、男と女だが、友達っぽい、気楽な関係だ。それは、時として心をほっとさせる。
 私には将人というれっきとした彼がいるし、リョウは、えみりさんのようなタイプが好きだし。
「桐生サンのことなんだけど――」
 将人のことも頭の中に浮かんでいたので、私は思わず、(こいつはエスパーか?)なんて非科学的なことを考える。
 だが、創作活動の時はともかく、私はあまりそういう超能力とかは信じない方である。
「あの人、ヤバくね?」
 え? ヤバいって? 将人が?
「どういうことよ」
 私もつい、口を尖らせる。
「なんというかさー……昨日、雨ん中来た時、オレ、そこまでしなくてもいいのになーと思ったんだよ。なんか、怖いもん感じなくねぇ?」
「別に……」
「無事を確かめ合うのだったら、電話でもいいじゃん。それをわざわざ秋野の自宅まで来てさぁ……ちょっとこいつ、ヤバいな、と思ったんだよ。おまえら両思いだからいいけど、あそこまで行くとストーカーっぽいぜ」
「そんなことないってばー」
 私は笑おうとした。が、笑えなかった。
 実は、私も心の底で、感じていたことだったから。
 今はいい。今は――私達上手くいってるから。でも、一旦こじれると面倒そうだなとは思った。
 まぁ、私も将人と別れる気ないから、杞憂ってもんかもしれないけどね。
「しおりは? 桐生サンのこと、なんか言ってた?」
「なんでそこでしおりちゃんが出てくるわけ?」
「いや、しおりって、桐生サンのこと好きみたいだから。コトバとか、態度でわかるよ」
 そうねぇ……まぁ、しおりも、隠しはしないからねぇ。
「オレさぁ、ちょっとはアンタのこと、好きなんだぜ。レンアイとかじゃなくてさ――姐御、みたいな感じで」
「だから、忠告に来たってわけ?」
「ピンポンピンポン」
 リョウは口でそう言った。
「だからさ――あんなヤツ、しおりにやっちゃえよ」
「やだ」
「なんで」
「私、誰が何と言おうと、将人のことが好きだから!」
 絶対絶対、好きだから!
 それなのに、うちの男連中は、どうして、将人とのことにやいのやいの口挟むわけ?
「しおりちゃん、モテるんだから。将人のことだって、一種の熱病でしょ?」
「オレ、アンタも同類って感じがしないでもないんだけど」
「ほー。同類なんてよく知ってたわねぇ。えらいえらい」
「あのなぁ……こうやって茶化されるんだったら、ほっといた方がよかったぜ」
 リョウがべぇと舌を出した。
「そうだなぁ……もし、もしだよ。綿貫が雨の中、この家に訪ねてきたらどうする? 雷も鳴ってる中でだよ」
 私は、そのことを想像してみた。そしたら、ぶるりと寒気がしてきた。
「わ……悪かったわ、リョウ。アンタの言うことも、一理はありそうね」
「まぁ、綿貫はそんなことしないだろうけどさ」
 だったら、比較の対象にしないでよ。失礼でしょうが、わだぬきに。
 まぁ、将人にはもっと失礼なことを私達は話しているんだけどね。
「あ、えみりサンが呼んでたよ」
「えみりが? 何だろ」
「アンタがえみりサンと話す前に……一応オレの考えも話しておこうと思ったんだけど……あんまり待たせると怒られるかな」
「えみりはそこまで四角四面の人ではないわよ」
「だよな! えみりサンて、ホントに、大人の女性って感じだよな! 色っぽくて、華奢だけど、胸はあるし、性格も好みだし……」
「ちょっと……アンタがヤバくなってない?」
「オレは、雄也サンがいるから、あの人に平気でアコガレることができるんだ。今に別の、うーんと美人で優しいオンナと付き合うことが夢だし……」
「アンタの夢まで聞いてないわよ」
「だからさ、おまえら、急がなくったっていいよ」
 全然急いでない。むしろ、遅いぐらいよ。キスもまだだもん。私と将人。
 でも、アコガレ、という言葉をリョウが発した時、私は、胸にズキーンと来た。
 アコガレ……。
 私はもしかして、何も知らず将人に憧れていた時が、一番幸せだったのではないだろうか。
 そんなこと、ないよね……やだ。なんか、自分に言い聞かせるようになってる。
 あの時の私は、恋に恋していただけだったし、将人は充分優しかった。
「さ、行けよ。えみりサンところへ。ひきとめてわるかったな」
 リョウが、慈しむように微笑んだ。
「えみりサン、入りますよー」
「どうぞー」
 えみりは純也を抱っこしている。雄也もいた。
「みどり――哲と駿に告白されただろ」
 単刀直入に雄也が訊く。
 そういえば、こんな話を雄也とするのは、滅多にない……どころか、記憶にない。
「どうして知ってるのぉ?!」と驚いてみせた方がいいんだろうか。だが、そんな気は、私にはまるでなかった。
「さっき、哲と駿が来てさ――おまえに告白したこと、オレ達に言ったんだよ」
「へーえ。それで?」
「哲はさ、本気でおまえのこと好きだって。奈々花にも話すって」
「それをアンタに言うの? ちょっとズレてない?」
「まぁ、哲はああいうヤツだから」
 それって、答えになってない。
 奈々花をふる、っていうのも許せないし。
「そう。――で、兄貴は何と言ったの?」
「『みどりには、幸せになってもらいたい』って。やっぱり恋だったんだな。あいつなりの」
 私の頬が、熱を帯びた。体の芯から、熱くなった。
 血の繋がった存在に恋されるのって、改めて認識すると、結構恥ずかしいというか、こそばゆいというか……。
「ねぇ、みどり」
 えみりが口を挟んだ。
「あのね、駿ちゃんね、前に付き合っていた子もいたんだけど――それが、みどりそっくりの子だったの」
「へぇー……」
 いいじゃない。それで。何か私に関係でもある?
 私には、兄貴の恋に口出しすることなんかできないんだからさ。
「一緒に寝た時さ、みどりを抱いてるようで、妙な気分だったって」
 私こそ、こんな話聞かされて妙な気分よ。明日からどんな顔して兄貴に会えばいいの?
 そこで、私ははた、と気付いた。
 哲郎さんに好意を示された時は、そんなに驚かなかったのに、この話聞いて、私は少なからず動揺している。
 私は、兄貴の性的対象になっていたってこと?
 ああ。昨日、兄貴は、あだやおろそかにあんなことを言ったのではなかったのだ。今頃になって、その重みに気がついた。
「雄也……みどりはまだ高校生なんだから」
「もう高校生だろ? オレ、高校の時からヤッてたぜ。女と」
「そういう話じゃないのよ。みどりはアタシ達と違うのよ。実の兄に女として見られてたってこと知ったら、アタシだって、ショックだわよ」
 えみりが私の気持ちを代弁してくれる。
 兄貴って、本当に本当に私に対しては紳士だったのね。手を出さないでくれて、助かったわ。でないと私、一生立ち直れなかったと思う。
 
おっとどっこい生きている 85
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