おっとどっこい生きている 私は上擦った声を上げた。 「なんだぁ? 誰か来たのかぁ?」 「あー、桐生サンじゃん」 野次馬がぞろぞろと玄関に集まってきた。 「どうしたんだね?」 俊夫さんまで、純也を抱きながらこっちに来る。 「こらこら。さぁさぁ、行った行った、みんな」 えみりが仕切ってくれた。 「あん。しおりもっと見てたい」 「あとでね、あとあと。――今、タオル持ってくるからね、桐生クン」 えみりが野次馬達をリビングへと押し戻す。 助かった。ありがとう、えみり。 「今のは……もしかして、麻生の妹?」 「ええ。うん。ほら、私達友達になったから――今日も雄也さんのお父さん達が来るっていうので――」 突然――視界が遮られた。言い訳していた私もびっくりして黙ってしまう。 抱きしめられたのだ、と気付いたのは、数秒後であった。 私の鼻先が、将人のレインコートに押し当てられる。将人からは、湿った森の香りがする。それは、ちっとも不快ではなかった。 「会いたかった……」 「将人……」 私に会う為に、こんな嵐の中を――。 「心配してたんだ。今日は川島道場に来なかったから――」 「ごめん……連絡しないで」 「いや、いいんだ」 「桐生クン、タオル持って来たわよ」 えみりが声をかける。 「あら。オジャマだったかしら?」 えみりがにやにやする。ほんとにもう! 将人が、私の首元に目を留める。 「あ、あのネックレス、ちゃんとしてたんだな」 それは、将人との初デートの時に買ってもらったビーズのネックレスだった。 学校や川島道場ではしないのだが、教会へ行く時や、特別の時などにはつけるようにしている。 「そうなのよ。みどりってば、このネックレスがお気に入りのようでね」 「え……えみり!」 「アタシ達散々冷やかしてたんだけどねぇ、いつしかそれも飽きちゃってね。――はいタオル」 「あ、私が拭くわよ」 「いいんだ、秋野」 えみりがいる手前、『みどり』とは呼べないわけね……。 「じゃ、せめてレインコートは脱いでね。風邪ひくから」 私は将人の濡れたレインコートを受け取った。 将人は、髪や服をタオルで拭う。 その様を、私は見つめていた。 変な話、それはセクシーな光景だった。 「みどり、なんか作ってあげたら」 「あ、ああ、うん、そうだね」 カレーライスはもうなくなってしまったから――。 「ちょっと待ってて。将人。今味噌汁作るから――」 私は台所へ向かった。 「――ありがとう。秋野はいい嫁さんになるだろうな」 そんな言葉を背中に聞いて、私は台所へ向かった。 「味噌汁ができるまで、これでも飲んでて」 私は、お茶を入れる。 「ありがとうな。秋野」 将人はお茶をふぅふぅ吹くと、美味しそうに飲む。 「しおり、桐生さんに会えて嬉しい」 「そう。俺も嬉しいよ」 しおりの台詞に、将人は、多分社交辞令で答えている。 私はまた台所へ戻る。味噌汁は十五分くらいでできるだろう。煮干しでダシを取って――と。 リビングからは、楽しそうな笑いが聞こえてくる。 いいな。私も仲間に入りたいな。だが、今は料理に集中しないと。 味噌汁ができると、将人のところに持っていった。 「あち、あち」 と、将人は熱そうに言う。 慎重に味噌汁を啜ると―― 「うんめぇー」 と、本当に感極まったように声を出す。あっという間に平らげる。 「お代わりいかが?」 「ああ。よろしく頼むよ」 「ふぅん」 しおりが、面白くなさそうに鼻を鳴らす。 「いいんだ。みどりさん。しおりもお料理できればなぁ」 「じゃあ、私が教えてあげるわよ」 「本当?! でも、そんなことしたら、桐生さん、しおりに惚れちゃうかもよ」 「それはない」 「――なんでよぉ」 「桐生サンは、アンタみたいなガキは相手にしないとさ」 リョウが話に割り込んだ。 「ちぇっ」 しおりは舌打ちをする。 ははっ……。すっかり打ち解けたわねぇ。 その後、純也とも仲良くなった将人、俊夫さんやつねさん達と一緒に、戦国史談議に花開く。将人は細川ガラシャ夫人が好きらしい。そこで、哲郎と気が合った。 「ガラシャ夫人は、大した女性だよ。立派なキリスト信者だよ。君、キリスト教に興味はあるかい? 一度教会に来給えよ」 哲郎の勧誘に、将人は苦笑している。 お風呂は既に沸かしておいた。俊夫さんが、親切にも、一番風呂に入る権利を、将人に譲る。 「将人くんは体も冷え切っただろうからねぇ」 「なんだよ、親父。結構親切じゃねぇか」 「雄也は、私の親切なところは受け継がなかったようだな」 「なんだと!」 「まぁまぁ」 えみりが二人を宥めようとする。 「ふん。親父め。相変わらずだな」 「おまえもな」 あらら。普段は言い争いばっかりしている親子なのかしら。雄也と俊夫さんは。まぁ、仲がいい証拠なんだろうけれど。 「純也。雄也みたいにはなっちゃだめですよぅ」 俊夫さんが、純也の頭を撫でる。 純也が、「だぁ、だぁ」と言う。 「ほら、純也だって、おまえみたいにはなりたくないって言ってる」 「そんなことわかるか! まだ0歳だぞ! 純也は」 みんなは、あははははっと笑う。 楽しそうに見えるこの団欒も、一皮剥げばいろいろと思惑があることを、この時の私は知らなかった。 おっとどっこい生きている 81 BACK/HOME |