おっとどっこい生きている
80
「ま……将人!」
 私は上擦った声を上げた。
「なんだぁ? 誰か来たのかぁ?」
「あー、桐生サンじゃん」
 野次馬がぞろぞろと玄関に集まってきた。
「どうしたんだね?」
 俊夫さんまで、純也を抱きながらこっちに来る。
「こらこら。さぁさぁ、行った行った、みんな」
 えみりが仕切ってくれた。
「あん。しおりもっと見てたい」
「あとでね、あとあと。――今、タオル持ってくるからね、桐生クン」
 えみりが野次馬達をリビングへと押し戻す。
 助かった。ありがとう、えみり。
「今のは……もしかして、麻生の妹?」
「ええ。うん。ほら、私達友達になったから――今日も雄也さんのお父さん達が来るっていうので――」
 突然――視界が遮られた。言い訳していた私もびっくりして黙ってしまう。
 抱きしめられたのだ、と気付いたのは、数秒後であった。
 私の鼻先が、将人のレインコートに押し当てられる。将人からは、湿った森の香りがする。それは、ちっとも不快ではなかった。
「会いたかった……」
「将人……」
 私に会う為に、こんな嵐の中を――。
「心配してたんだ。今日は川島道場に来なかったから――」
「ごめん……連絡しないで」
「いや、いいんだ」
「桐生クン、タオル持って来たわよ」
 えみりが声をかける。
「あら。オジャマだったかしら?」
 えみりがにやにやする。ほんとにもう!
 将人が、私の首元に目を留める。
「あ、あのネックレス、ちゃんとしてたんだな」
 それは、将人との初デートの時に買ってもらったビーズのネックレスだった。
 学校や川島道場ではしないのだが、教会へ行く時や、特別の時などにはつけるようにしている。
「そうなのよ。みどりってば、このネックレスがお気に入りのようでね」
「え……えみり!」
「アタシ達散々冷やかしてたんだけどねぇ、いつしかそれも飽きちゃってね。――はいタオル」
「あ、私が拭くわよ」
「いいんだ、秋野」
 えみりがいる手前、『みどり』とは呼べないわけね……。
「じゃ、せめてレインコートは脱いでね。風邪ひくから」
 私は将人の濡れたレインコートを受け取った。
 将人は、髪や服をタオルで拭う。
 その様を、私は見つめていた。
 変な話、それはセクシーな光景だった。
「みどり、なんか作ってあげたら」
「あ、ああ、うん、そうだね」
 カレーライスはもうなくなってしまったから――。
「ちょっと待ってて。将人。今味噌汁作るから――」
 私は台所へ向かった。
「――ありがとう。秋野はいい嫁さんになるだろうな」
 そんな言葉を背中に聞いて、私は台所へ向かった。
「味噌汁ができるまで、これでも飲んでて」
 私は、お茶を入れる。
「ありがとうな。秋野」
 将人はお茶をふぅふぅ吹くと、美味しそうに飲む。
「しおり、桐生さんに会えて嬉しい」
「そう。俺も嬉しいよ」
 しおりの台詞に、将人は、多分社交辞令で答えている。
 私はまた台所へ戻る。味噌汁は十五分くらいでできるだろう。煮干しでダシを取って――と。
 リビングからは、楽しそうな笑いが聞こえてくる。
 いいな。私も仲間に入りたいな。だが、今は料理に集中しないと。
 味噌汁ができると、将人のところに持っていった。
「あち、あち」
 と、将人は熱そうに言う。
 慎重に味噌汁を啜ると――
「うんめぇー」
 と、本当に感極まったように声を出す。あっという間に平らげる。
「お代わりいかが?」
「ああ。よろしく頼むよ」
「ふぅん」
 しおりが、面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「いいんだ。みどりさん。しおりもお料理できればなぁ」
「じゃあ、私が教えてあげるわよ」
「本当?! でも、そんなことしたら、桐生さん、しおりに惚れちゃうかもよ」
「それはない」
「――なんでよぉ」
「桐生サンは、アンタみたいなガキは相手にしないとさ」
 リョウが話に割り込んだ。
「ちぇっ」
 しおりは舌打ちをする。
 ははっ……。すっかり打ち解けたわねぇ。
 その後、純也とも仲良くなった将人、俊夫さんやつねさん達と一緒に、戦国史談議に花開く。将人は細川ガラシャ夫人が好きらしい。そこで、哲郎と気が合った。
「ガラシャ夫人は、大した女性だよ。立派なキリスト信者だよ。君、キリスト教に興味はあるかい? 一度教会に来給えよ」
 哲郎の勧誘に、将人は苦笑している。
 お風呂は既に沸かしておいた。俊夫さんが、親切にも、一番風呂に入る権利を、将人に譲る。
「将人くんは体も冷え切っただろうからねぇ」
「なんだよ、親父。結構親切じゃねぇか」
「雄也は、私の親切なところは受け継がなかったようだな」
「なんだと!」
「まぁまぁ」
 えみりが二人を宥めようとする。
「ふん。親父め。相変わらずだな」
「おまえもな」
 あらら。普段は言い争いばっかりしている親子なのかしら。雄也と俊夫さんは。まぁ、仲がいい証拠なんだろうけれど。
「純也。雄也みたいにはなっちゃだめですよぅ」
 俊夫さんが、純也の頭を撫でる。
 純也が、「だぁ、だぁ」と言う。
「ほら、純也だって、おまえみたいにはなりたくないって言ってる」
「そんなことわかるか! まだ0歳だぞ! 純也は」
 みんなは、あははははっと笑う。
 楽しそうに見えるこの団欒も、一皮剥げばいろいろと思惑があることを、この時の私は知らなかった。
 
おっとどっこい生きている 81
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