おっとどっこい生きている 「雄也のお父さんが家に来る時、しおりちゃんも招待していい?」 と訊いた。 「もちろん、しおりちゃんなら大歓迎だよ。なんなら、『輪舞』にも連れて行こうか?」 と雄也。 「アタシの友達の時はダメだって言ったくせに」 と、えみりはぶうたれていた。 しおりとメールのやり取りをして、私達は駅で合流することにした。 「おーい。えみりー。みどりー。早くしないとおいてくぞー」 雄也にせかされ、私は、 「あとちょっと待ってー」 と言った。 カレーは下拵えをして、後は香辛料やカレー粉を混ぜるだけになっている。 本当はもっと煮込んで、灰汁も取りたいんだけど……仕方がない。 これは、えみりとの共同作業だ。 いつか、カレー粉を入れないカレーにも挑戦してみたいものだが……今回は仕方がないよね。 えみりは既にばっちりおしゃれして、メイクも決めている。 真剣に料理と取り組んでいるのは、いい兆候だ。 「じゃあ、行くとしますか」 と、えみりが言った。 「そうね」 と、私、答える。 兄貴と雄也が、玄関口で待っていた。リョウと哲郎は、今回は純也とお留守番。リョウは残念がっていたが、兄貴が宥めた。いつか『輪舞』でコーヒー奢ってやるから、と約束して。 「おせーぞー。みどりー」 「仕方ないでしょ。お客さん達の食事作ってたんだから」 「うん。もうバッチリよ」 えみりが、OKのサインを出した。 「美味しくできるに決まってんだから」 「じゃあ、期待するよ」 雄也は嬉しそうだ。 駅に着くと、つねさんと……一人の男の人が私達を見つけて、近づいた。 「こんにちは。つねさん」 「お久しぶりです。皆さん」 つねさんは、相変わらず斜め四十五度に体を折り曲げて、挨拶してくれた。今日の着物は若草色だ。つねさんによく似合っている。それに、初夏という感じもするし。もう初夏ではなく、梅雨もあけようとしている頃なんだけど。 「こちらが私の夫、渡辺俊夫ですわ」 「渡辺俊夫です。どうも。今回はお招きいただいてありがとうございました」 雄也父が自己紹介をした。 上下セットのスーツを着ていて、ネクタイもきちんと締めている。黒ぶち眼鏡をかけている。目鼻立ちは整っているが、その顔には皺がだいぶ刻まれている。 雄也が年を取ったら、こうなるであろうような、見本のようなものであった。 雄也って、お父さん似だったんだな。 「親父、そんなに固くならなくてもいいよ。どうせみんな身内同然だ」 「いやいや。いつも、雄也がお世話になっているからねぇ……ところで」 俊夫さん(これから雄也父のこと、俊夫さんて呼ぶわね)がきょろきょろし出した。 「なんだよ、親父、便所か?」 「いや、孫はどこかなぁと思って」 「まだ連れてきてねぇよ。親父達には俺のバイト先に案内するつもりだったから。ガキがいると、邪魔だろ?」 「ほー、おまえ、またバイト先変えたのか」 「まぁね。『輪舞』ってところさ。コーヒーの上手い喫茶店だぜ」 「それでは、是非ともお呼ばれしようかな」 俊夫さんは嬉しそうだ。 その足でしおりを拾い、私達は駅の売店をひやかしてから、『輪舞』に向かった。店内は思ったより広い。 「やぁ、雄也」 マスターが笑顔で片手を上げた。雄也も手をひらひらさせた。 「こちら、俺の家族と友人。――じゃ、オレ、厨房に行って着替えてくるから」 「おう。非番なのにすまんな」 「だって、マスター、俺の我がままきいてくれたから」 「あなたが雄也の上司ですか。息子がお世話になっております」 俊夫さんが深々と頭を下げた。つねさんも倣ってお礼を述べた後、「雄也はちゃんと仕事をしてますでしょうか?」と訊いた。 「ご心配なく。彼のおかげで、女性客が三割増えましたよ」 マスターはそう言って笑った。楽しそうだ。 私達はカウンター席に座った。雄也がメニューと水を持ってくる。 「じゃ、注文取りまーす。しおりちゃん、君、何食べる?」 雄也は、しおりちゃんに向かってウインクした。 「雄也」 えみりが険しい声を出した。 「はーい。しおり、カルボナーラが食べたいです」 「じゃ、えみりは?」 「シーザーズサラダを」 「んじゃ、その他の人々は?」 その他の人々って何よ。 結局、私はスパゲティーナポリタン、兄貴はトーストセット、つねさんは比較的あっさりしたものをというので、コンソメスープ、俊夫さんに至っては、なんとステーキ定食を頼んだ。 「みどり、こんなところでナポリタン注文するなんて、罪悪だぜ」 悪かったわね。いいでしょ、好きなんだから。 「それに親父、えみり達がカレー作ってくれるんだから、そんな胃にもたれるもの注文するんじゃねぇよ」 「ふん。別腹じゃい」 雄也は、厨房に注文を伝えに行った。 「いい店ですね。――雄也は、いつもあんな感じですか?」 俊夫さんは、気になるようだった。 「いえ。彼はいつもはもうちょっと丁寧ですよ。特に、女性にはね」 マスターはからからと笑った。 「ふうん。女性客には親切なんですか。浮気したらこってり絞ってやんなきゃ」 えみりの手がぽきぽき鳴った。――怖い。 「ところで、マスター。あなたは名前、何ておっしゃるんですか? 私は雄也の父の渡辺俊夫と申す者ですが」 「ああ。名乗るのを忘れるところでしたわ。私は浦芝です」 「浦島?」 「いえいえ。浦芝です。だから、玉手箱を開けておじいさんになることもないわけで」 マスターはまた笑った。結構面白い人のようだ。 「今日は可愛いお客さん方を連れてきていますね」 「まあ、可愛いなんてそんな……」 えみりが身を捩らせた。 「雄也は結婚してるという話を聞いてます。すると、ひょっとしてあなたが奥さんですか?」 マスターの質問に、そうです、とえみりがはっきり答えた。 「そうですか。他のお二方はまだ若過ぎるし、雄也の奥さんといったら、多分あなただろうな、と見当はつけていたんですよ。指輪もしてらっしゃるし、外見も話の通りだし」 「雄也は私のことを何と言っていました?」 「とっても素敵な妻だと」 えみりは、「まぁ……」と言って、嬉しそうに頬を緩ませた。 「食後のコーヒー、一応飲んで行きなよ。――確か親父はキリマンジャロが好きだったな」 おっとどっこい生きている 79 BACK/HOME |