おっとどっこい生きている
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 私はぼーっとしながら、夜のひと時を自分の部屋で過ごしていた。
 いやいや。ただぼーっとしていたわけではない。
 私は、今書きかけの作品について、思いを馳せていたのだ。だが、他の人から見れば、徒然そうに映っただろう。
 リョウのギターが聴こえる。前より、ラブ・バラードが多くなってきた気がする。
 風がぬるい。もうすぐ夏だ。
「おーい、みどりー、電話だぞー」
 兄貴が言う。また親からだろう。電話はほぼ毎日来る。気にかけてくれるのはありがたいと思うけれど。
 私は、兄貴から受話器を渡された。
「はい。みどりだけど」
「おお、みどり」
 お父さんの嬉しそうな声。
「そっちでは何か変わったことはあるかい?」
「別に何も……そういえば、雄也さんのお父さんが明日来るって。純也くんに会いたいんだと思うわ」
「そうか……駿から聞いたよ。できれば僕もみどりに会いに行きたいな」
「来ればいいじゃない」
「仕事の関係で、なかなか、ね。でも、ああ、会いたいよ」
 お父さんは、少し疲れているようだった。
「みどりはちゃんとしているし、駿もいることだから、家のことは心配していない――と言ったら、嘘になるかな。やっぱり、ちょっと心配なんだよ。下宿人の方達は、いい人みたいだと、わかってはいるんだけどね」
「ねぇ、お父さん」
 私は、話を遮って、前から気になっていることを言った。
「どうして私達に留守番させることにしたの?」
「僕だって連れて行きたかったさ。でも、みどり、学校変わるの嫌だろ?」
「当然」
「それに――お母さんに言われたんだ。『みどりも、もう高校生なんだし、駿もいるから』って。だから、お母さんは僕と一緒にトンガに行きたいって。僕が寂しくないように」
 お母さんに甘いお父さんは、それで説得されたという訳か。後半、ノロケ入ってない?
「あ、だからと言って、みどり達のことを忘れた日はなかったよ。――愛してる」
 それはどっちかというと、将人に言ってもらいたい台詞なんだけどなぁ……。
「お母さんは?」
「もう寝てる。――雄也くんのお父さん、雄也くんのバイト先に案内するんだって?」
「それも兄貴から聞いたの?」
「そう。確か、『輪舞』ってところだったよね。素敵な名前だね」
「……どうも」
 別に自分には関係ないのに、思わず礼を言ってしまった。
「じゃあ、雄也くんのお父さんに宜しく。――そうだ、みどり」
「え?」
「学校は楽しいかい?」
「楽しいわよ。問題もあるけど」
「問題?! どんな問題だい?!」
 しまった! 私は自分の顔をぴしゃっと叩いた。
 そんなこと言ったら、お父さんが心配するってことはわかってたのに。
「大した問題じゃないのよ。自分で解決できると思うから」
「そうかい? 手に負えなくなったら、相談してくれよ」
 お父さんがしゃしゃりでると、ますますややこしくなると思うが、それは言わないでおいた。
「それじゃ、勉強がんばって」
「うん」
 勉強の他にも、やることあるしね。
 兄貴には繋がなくてもいいということだったので、私達はそこで電話を切った。
「親父、何だって?」
 兄貴が着替え一式を持って一階に降りて来た。
「いつも通り。世間話」
 兄貴は、「ふぅん」と、興味なさげに言ったきり、風呂入ってくるから、と、その場を立ち去った。
 台所では、えみりが後片付けをしている。私が後でやっておこうと思ったのだが、「アタシがやる」と引き受けてくれたのだ。おかげで私はゆっくり休めた。
 えみり、えらいじゃん。
 この間まで、私が働いてても、気にもしなかったのに、食器を洗って拭いてくれるとは。
 あれ? シンクも掃除してない? いつもは私がやっていたところなのに。
 今までより、格段に成長しているわね。
 片付けやってくれると、後が楽なんだ。
 それに比べて。
 リビングには読みかけらしい本が置きっぱなしにしている。誰だろう。兄貴か哲郎か……兄貴だろうな。本をそのまま置いておく癖のあるのは。
 今のえみりの爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいわ。
 その本は、『月刊創造』。文芸誌らしい。なんだか文学の同人誌みたいな名前ね。
 私は何気なくぱらぱらと読んだ。――あるところに目が止まった。
「こ……これはっ!」
『月刊創造』では、作品を募集していた。
 私が釘づけになったのは、高校生部門のところ。
「エウレカ!」
 私は思わず叫んでしまった。
 エウレカとは、「見つけた!」という意味のギリシア語。本当は「へウレーカ」と発音するらしい。
「どうしたのよー、みどり。変な声出して」
 仕事が終わったらしいえみりが、リビングに来て、言った。少し怪訝そうな顔をしている。
 変な声。何とでも言え。一度使ってみたかった言葉なんだから。
「あれ? それ、雑誌? 何の雑誌よ」
「真面目な雑誌」
 私はそう答えると、応募要項を見た。
 作品は、五十枚以内。最終集作品賞には百万円。プロ・アマは問わない。
 まさしく、私の執筆中の小説、『黄金のラズベリー』にふさわしい!
 もうそろそろ、書き終わるし。ま、枝葉を切り落として、もう少し見直すか。
 小さく名前でも乗ればめっけもの。
 案ずるより、生むが易しだわ。
 七月三十一日が締め切りか。私にとってはまだまだ余裕はあるわね。当選作は十二月発売の一月号で発表。
 えみりは、熱心な顔をして本を読んでいる私を眺めていたらしい。
「――あら、えみり。まだいたの」
「いちゃわるい?」
「そんなことないけど――あのね、えみり、私これに応募することに決めたの」
「なになに?」
 えみりも覗いてみる。
「みどり……これに応募するの?」
「そうだけど?」
「アンタ小説なんて書いてたんだ」
 ガクッ! えみり、私とはどのぐらい付き合ってんの!
 ……って、まだ三カ月も経ってないか。
「応援するよ。がんばってね」
「ありがとう」
 私は嬉しさで頬が紅潮した。
「あ、そうだ。雄也から伝言があったんだけど」
 なぁに?と私が訊く。
「あのね、お義父さんが来た時、アンタにも出迎えついてきて欲しいって」
「私がぁ?」
 どうして私が行かなきゃなんないんだろう。川島道場に行きたかったのに――でも、なんかそれなりの訳があるのだろう。私はOKすることにした。
 雄也の父親って、どんな人なんだろうという、好奇心もあった。
 
おっとどっこい生きている 78
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