おっとどっこい生きている
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「あの……はざとさん」
 私は、ちょっと遠慮勝ちに呼んだ。
「はさと、って呼んでくれないかな。みどりちゃん。誠一さんでもいいけど」
「ああ。はさとさん?」
「何?」
「総二君に『がんばってください』と伝えておいてくれません?」
「いいけど、なんで?」
「だって……」
 でないと――将人をしおりちゃんに取られるのが嫌だから。
 なんて子供っぽい理由だろう。でも、この時の私は本気だった。
「わかった、伝えとく。他に伝言は?」
「しおりちゃんと仲良くねって」
「あ、もしや君、総二の友達なわけ?」
「いいえ。しおりちゃんの友達なんです」
「そか。いい友達を持って幸せだな。しおりちゃんも」
 誠一が微笑んだ。軽いところは弟と変わらないが、いい人みたいだ。なんでこの人、えみりにふられたんだろう。いい人止まりってとこかな。
 なんて失礼なことを考えていると――。
「じゃ、葉里――私達、買い物あるから」
「うん。それじゃ」
 なんだろう。誠一が寂しそうに見えた。
「行きましょ。みどり」
「ああ、うん……」
 私達は、誠一と別れた。
 しばらくして、えみりが言った。
「しようもないやつでしょ? アタシの友達って、みんなああなの」
「ふぅん……」
 私は、えみりの方を見た。
 彼女は、いつもと変わらないように思える。
 誠一は、今でもえみりのことが好きなのかな?
 まさかね。彼女いるって言ってたもの。
 別れ際、寂しそうに見えたのだって、きっと目の錯覚だ。
 総二も、あの人と似てるのかな。だったら、私も、精一杯応援しちゃる。
 きっといい人に違いないもん。
 将人と私の明るい未来の為にも!
 葉里総二にはしおりとくっついてもらわねば!
 しおりちゃんにも、それとなく総二のことをアピールしておこう。
 私達は香辛料の棚を回って、お目当ての物をかごに入れた。
 このデパートは大きいし、品揃えも豊富だし、私好みだ。
 野菜コーナーは既に回った。最初は野菜コーナーに行くことにしている。店側も、それを承知で並べているのだし。
 あと、精肉コーナーも行ったし……。
 デザートも作ろうかな。フルーツポンチとか、杏仁豆腐とか。
 それをえみりに言ったら、彼女は目を輝かせた。
「いいわね! それ! 美味しそう!」
「あ、でも、えみりは雄也のお父さん達と『輪舞』へ行くっけか」
「別腹よぉ! ああ、食べたい! フルーツポンチ、杏仁豆腐!」
 まぁ、どちらも似たようなものなんだけどね……。
 えみりも意外と大食らいなんだな。
「太るわよ、えみり」
「うぐ……」
 私の一言は、えみりの心臓にぐさっと突き刺さったようだった。
「いいわよ。ダイエットするから……」
 少しいじけさせてしまったみたいだから。悪かったかな。
「みどりには無縁の言葉よね。ダイエットなんて。貧乳だけどスタイルいいし」
 す、スタイルいい?!
 私はコケそうになった。
 そんなことあんまり言われたことない。将人は……あんまりそういうこと言う方じゃないもの。
 でも……嬉しいかもしれない。貧乳はよけいだけど。
「でも、アタシはやっぱり肉はある程度ついていた方がいいし。このままでいいかも」
 えみりは一人で納得したようだった。
 大食漢の友達がいるのも頷ける。類は友を呼ぶってやつだ。
 たくさんの荷物を抱えて、私達は家路に向かった。
「雄也ったら、今日もバイトで忙しいって言ってたわ。手伝って欲しかったのに」
 えみりがこぼした。
 雄也は、バイトの為にサークル活動も頻繁に行かなくなった。
 そこのところは、えらいかもしれない。
 まぁ、一児のパパだもんね。
 私は、この頃、この渡辺夫妻を見直している。きっちり育児はするようになったし、えみりも化粧が薄くなったし。
 それをえみりに言うと――
「やだぁ、アンタって子は自覚がないのね。アンタが働いているところを見ると、ついつい手伝おうかって気になるじゃん」
 だから、アタシも働き者になったのよねぇ――とえみりはのたまった。
 私はこまねずみみたいに働いてないと、落ち着かない性分なのだ。それが、えみりに影響していたのなら、いい気分でないこともない。
 えみりの作ったご飯は不味いけど――慣れるまで我慢しようと、私は決心した。
「お帰り、みどり、えみり」
 兄貴がすだれから顔を覗かせた。
「お? みどりは学校帰りに買い物行ったのか?」
「そうだけど、何?」
「いや、珍しいなぁと思って」
 そりゃあ、私だって着替えたかったわよ。でも、えみりに呼び出されたんだもの。
 携帯もこうなると考えものね。
 友達からどんどんメールが来て、楽しいことは楽しいけど。
 私の性にはちょっと合わないところもあるな。
 夕飯の後には、カレーの下拵えをしよう。明日になってあたふたしないように。
「みどり。夕飯私に作らせて」
「え?」
 私は思わず兄貴の方を見遣った。
 幸か不幸か、人並みの味覚を持った兄貴は、えみりの後ろからダメ、ダメのジェスチャーをしている。
 私はにんまり笑った。
「わかった。えみり、今晩も任せるわ」
 兄貴が、地獄にでも落ちたような顔をした。面白い……。
(大丈夫、私も手伝うから)
 私はアイコンタクトでそう伝え、ウインクした。それで、ようやく兄貴もほっとしたようだった。
「今回もアタシが作ったのよ!」
 食卓で、えみりが自慢そうに言う。生クリーム入りの野菜シチューだ。
「うわ! 激うま! えみり腕上げたな!」
「実はみどりにも手伝ってもらったんだけど」
 というか、私が指導したんだけどね。でも、えみりの努力は買うわ。
 うちの両親みたく味オンチ、ってわけでもなさそうだし。
「あのババ……お義母さんには、『あなたの料理の腕はひど過ぎる』と言われたものだったのにねぇ……」
 エプロンの裾で涙を拭うえみり。うん、泣いてもいいよ。あなたには立派にその資格はあるわ。
 お代わり!と、男連中は皿を一斉に差し出した。
 
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