おっとどっこい生きている
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 この話にはあまり書いていないが、もちろん、風紀委員の仕事も私はちゃんとやっている。
 この学校の生徒に言わせると、私に取り締まられると、結構張り合いも出るようになったのだそうだ。
 以前、私に取り締まられるのは嫌だ、という生徒もかなりいたようなのに。
 先生共々、私を何だと思っているのだろう。
 尤も、私は最初の頃に比べて、チェックが甘くなったと、アメリカに越して行った西川先輩から仕事を引き継いだ井坂委員長に言われたが。
 男ができたから、性格が丸くなったんだとか、いろいろ言われているらしいが、それは関係ない。
 変わったとしたら――えみりのおかげだ。
 えみりは、化粧にずいぶん時間をかける。
「何でそんなに時間をかけるの?」
 と訊いたら、えみりは笑って、
「だって、おしゃれは女にとっては命がけだもん」
 と答えた。
 おしゃれは命がけ……。
 そう言われたら無碍に校則だからといって取り締まることなんてできないじゃない。
 なんか、気持ちわかるようになったもの。綺麗でいたいっていう。
 私だって、例えば将人に「可愛い」とか、「綺麗になったね」とか言ってもらえれば嬉しいもの。
 きっと、えみりだって、雄也に褒められれば喜ぶと思う。
 だから、あまりにあんまりな場合でなければ、見逃している。
 今、私は、「話がわかるようになった」と一部では人気が出ているらしい。それは美和が言っていたことだが。
 少なくとも、コロンや、スカート丈が多少短いのは許容範囲になった。
「ねぇ、秋野さん」
 井坂委員長が言った。
 この人は、陰で、「オールドミス」と呼ばれているらしい。まだ高校生なのに。
 確かに、私でさえも、そう思ってしまうところがある。惜しいな。黒ぶち眼鏡を外せば、美人なのにな。
「あなた、真面目にやってる?」
「やってます」
「彼氏ができたからって、浮かれないでね」
「そういうわけじゃありません」
「じゃ、どういうわけなの?」
「――私が、今リョウ達と暮らしているのは知ってますよね」
「噂はね」
 井坂女史の黒ぶち眼鏡の中の目が、きらりと光った。
「ふしだらな」
「そんな……保護者代わりに兄貴が友達連れて来ただけですよ」
「それにしても、鷺坂さんがあなたの家に住む謂われはないでしょう?」
 う……そりゃまぁ、そうだ。
 今だって、詳しい事情はわからないのだが、リョウは一度だって家のことを喋ったことがない。そのうち教えてくれるだろうと、私達もほっぽってあるのだが。
 それが、リョウには居心地がいいらしく、料理を食べたり、時々気紛れに掃除をしたり、ギターを弾いていたりする。
「えみり……渡辺えみりさんが連れてきたんですよ」
「じゃあ、なんだって、あなたのところに居候しているの?」
「居候ではありません! 同居人です!」
 おや?
 私は今まで彼らのことを、厄介な居候としかみてなかったんじゃなかったっけ?
 それを、居候ではないと……じゃあ何だろう。……そうだ!
「彼らは……私の友人です」
 私は震える拳をぎゅっと握った。
「そう。ならいいけど。あまり染まらないようにね」
 新聞部のこともあったのだし、と、委員長はつけ加えた。
 私の友人――えみりも、雄也も、哲郎も――リョウも。
 純也はまだ赤ちゃんだけれども、いずれ、私達と対等になる日が来るだろう。
 それとも、そんな日が来る前に、雄也達は、私達の家から出て行くだろうか。
 そんなの嫌!
 全部今のままがいい。お父さんもお母さんも、トンガから帰って来なくていい。
 私はこのまま、永遠に白岡高校二年生のままでいたい。
 おじいちゃん、おばあちゃん、ごめん。
 なんでか知らないけど、謝りたくなったから――ごめん。
 あまり重要視しなくなって――ごめん。
「どうしたの? みどりー」
 私は、回想に耽っていたらしい。えみりの台詞で、我に返った。
「あ、ごめん。大丈夫」
「もうーしっかりしてよ」
 えみりは手加減して、私のことを小突いた。
「さては、将人クンのことでも考えていたのかな?」
 えみりは、いたずらっぽい目を向けた。
「そんなんじゃないってば……」
「じゃあ、何なの?」
「えみりも……友達なんだと思ってさ」
「え? 違うの?」
 相手は、さも意外そうに目を丸くする。
「だからさー、アタシはみどりのこと、ずっとマブダチだと思っていたのよ」
 こうして、一緒に雄也のお父さんの為に買い物に来てんだしー、とえみりは付け加えた。
 私達の現在地は、この街で一番大きなデパートの食品売り場だ。
 ちゃんと部活もやってきた。頼子はまたコピーを取らせてと言った。もう慣れっこなので、何気なく渡した。
 それが、あんな事件になるとは思いもよらず――。
 だが、その話は今は置いておく。
「何買ったらいいと思うー?」
「そうねぇ……ナツメグやターメリックは買いたいわね」
 それにカルダモンやシナモンも、あったらクミンも……そう思った時、えみりが歓声を上げた。
「葉里!」
「――え? おまえ――もしかしてえみりん?」
 え? 何? 知り合い?
「久しぶりだなあ。こんなところで会えるなんて」
 葉里、と呼ばれた男は相好を崩した。だけど、葉里って――。
「そっちの可愛い子は?」
「ああ、秋野みどりっていうの。みどり。葉里誠一よ。高校の時一緒のクラスだった」
「そして、えみりんにフラれた」
「こらこら。しょうもないこと言うんでない」
「だってよぉ、俺は雄也にえみりんとられたんだもんよー。オレ、ほんとはおまえに惚れてたんだ。ちょっと悔しいんだぜ、今でも」
「葉里、今彼女いる?」
「いるけど――なんかおまえますます綺麗になったなぁ」
「ナチュラルメイクしてるもん」
「お話中すみませんが――」
 私は、失礼とは思いつつ、二人の話の腰を折った。
「葉里さん、総二って弟さんいます?」
「おう、いるよ」
 やっぱり! 葉里って、そういる苗字じゃないもの!
「何? アンタ、総二の彼女? あいつ、同じ高校の女の子が好きだって言ってたっけ。アンタ、白岡の制服着てるから違うよな。えーと、名前何てったっけ。ちょっと、アンタと似ている名前の子だったと思うけど……」
「麻生しおりちゃんでしょ?」
「そうそう」
 思い出したらしく、誠一は手を叩いた。
 
おっとどっこい生きている 76
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