おっとどっこい生きている そりゃ、嬉しいこともいっぱいあったけどね。 幸いにも宿題はないから、お風呂に入って、着替えて、顔洗って歯を磨いてさっさと寝よ。 お。携帯の着信音。しおりからだ。 『今日は付き合ってくれてありがとうございました。しおり』 しおりは、基本的にはいい子なのだ。 将人と恋人になりたいと言わなければ、本当にいい子なんだけれどねぇ……。 あの麻生と違って。――いや、麻生はいいヤツだって、元クラスメートの霧谷さんが言ってたっけ。 いろいろあってひねくれたんだろうな、彼も。 麻生のことはいいや。 そうそう。寝る前にお父さん達にメールしよ。時間が遅くなって、電話にも出られなかったし。 それにやっぱり――お父さんとお母さんは、大切な家族だから。 でも、お父さん達はトンガにいるのよねぇ。時差とか大丈夫かしら。調べてみよっと。 私は兄貴の部屋へ行った。 「ねぇ、兄貴。パソコン貸してくれる?」 「おっ? なんだ? 勉強か?」 「そうでなくて……トンガと日本の時差を調べたいの」 「なぁんだ。父さん達のことなら、心配いらないよ。俺がみどりの事情、ちゃんと説明しておいたから。それとも、何かあるのか?」 「メールを送ろうと思ったんだけど……」 「メールねぇ……着信音で起きたりするとあれだろ? トンガはここより四時間早く時間が進んでるんだぜ」 「そっか……」 じゃあ、明日でいいや。 それに、メールでも、いろいろかかるだろうし。携帯代は兄貴が払っているんだから。 「おやすみ。兄貴」 「いいのか? もう」 「うん」 「じゃ、おやすみ」 私は兄貴の部屋を出て、家の匂いをすーっと嗅いだ。 どこか饐えた匂いのある、しかし、懐かしさを醸し出す匂いだ。 お父さんとお母さんにもお礼を言いたかったが、仕方がない。 それから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも―― (いつも、見守っていてくれて、どうもありがとう) 私は、キリスト教式に手を組んで祈った。 仏教とキリスト教。私は将来、どちらを信じることになるのだろう。 オール・オア・ナッシングでなくても、別にいいんじゃないかと思うけど――。 哲郎はどうなのだろう。 彼は、キリスト教にいかれている。いかれていると言って悪ければ、一生懸命だ。 哲郎に会うまで、そんな世界があるとは知らなかったけれど―― これも、縁てヤツかな? 哲郎だけでない。リョウや、雄也にえみり、純也、奈々花、今日子、頼子に美和に友子――みんな、縁があって出会っている。 それに――そう。将人のことも。 将人は、こんな私のことを好いてくれている。とても嬉しい。 ああ、私は幸せ者だ。 こんなにいい人達に恵まれて。 私はうきうきしながら風呂場へ向かった。 今ならば、世界中の人に、「好き!」と言えそうな気がした。 あの高部由香里にさえ――。 そういえば、あいつどうしてるかな。あんな悪態しかつけないなんて、可哀想なヤツだと思う。 一晩明けた。カレンダーは木曜日を指している。 私は、哲郎の真似をして、主の祈りを捧げた。 「みどりくん。君は偉いよ。ちゃんと神様に食前の祈りを捧げるようになったんだね」 哲郎に言われて、私は少し照れた。 「別に……ただ、信仰というヤツに触れてみようかな、と思っただけだから。哲郎さんみたく」 「偉い!」 哲郎は立ち上がって、私の手を取った。 「まずは信じることが大事なんだよ!」 「へぇー。哲郎サンと秋野って、そんな関係なんだ」 リョウがにやにやしている。 「私も驚き!」 「哲、女の趣味は悪いな」 えみりと雄也が言う。 「おまえにみどりは渡さんぞ」 兄貴の目はマジだ。冗談ではない。 「ご……誤解しないでよ、みんな」 私達はぱっと手を放した。 「そうだね。君には、将人くんがいるんだものね」 哲郎さんは、何となく寂しそうな表情をした。 「哲郎さんにだって、奈々花がいるじゃない」 「奈々花くんか……確かにいい子だと思うよ。しかし……」 哲郎は、奥歯に物が挟まったような言い方をする。 前から思ってたんだけど、哲郎って、奈々花には複雑な想いを抱いているみたい。好かれるのは嬉しい。だけど――。 あ、私ったら、どうしてそんなことを思うのかしら。奈々花と哲郎が上手くいけば、きっと一番嬉しいはずなのに。 変なの。 哲郎が切ない顔をすると、私もそうなるのはどうしてだろう。 それにしても、私達は奈々花と哲郎について、同じようなこと喋ってるような気がする。 「あ、ねぇねぇ。カレーの材料、いつ買うの?」 えみりが言った。 話が逸れて、私はいくぶん、ほっとした。 「この間のは全部食べちゃったしなぁ。ま、残っていても食べることはできなくなってるかもしれないけど」 「そうね。明日買いに行きましょ」 話の流れを変えてくれた、えみりに感謝! 「おっ、そうだ。親父が来たら、『輪舞』へ連れていきたいんだけど」 雄也の提案に、 「いいじゃない」 とえみりが頷く。 「ついでに友達もよんでいい?」 「ダメ! ダメダメダメダメ!」 「なによう。雄也のケチ」 えみりは頬を膨らませた。 私はちょっと雄也の気持ちがわかる気がする。以前のあれで懲りたんだろうな。えみりには大食漢の友達がいるから……。 「ちょっと! なに笑ってんのよ、みどり」 今度は矛先がこちらに回ってきた。 「思い出し笑いか?」 リョウも、首を傾げて、質問する。 「いや、雄也さんの気持ちもわかるなーって」 「だろだろ。珍しく意見が合ったな」 「なんなのよ。だから」 「ほら。えみりには大食漢の友達がいたでしょう?」 あ、そっかぁと、リョウも納得した顔だった。えみりはまだ、腑に落ちないようであるが。 おっとどっこい生きている 74 BACK/HOME |