おっとどっこい生きている
73
 はああ〜、今日はなんだかいろいろある日だったな。
 そりゃ、嬉しいこともいっぱいあったけどね。
 幸いにも宿題はないから、お風呂に入って、着替えて、顔洗って歯を磨いてさっさと寝よ。
 お。携帯の着信音。しおりからだ。
『今日は付き合ってくれてありがとうございました。しおり』
 しおりは、基本的にはいい子なのだ。
 将人と恋人になりたいと言わなければ、本当にいい子なんだけれどねぇ……。
 あの麻生と違って。――いや、麻生はいいヤツだって、元クラスメートの霧谷さんが言ってたっけ。
 いろいろあってひねくれたんだろうな、彼も。
 麻生のことはいいや。
 そうそう。寝る前にお父さん達にメールしよ。時間が遅くなって、電話にも出られなかったし。
 それにやっぱり――お父さんとお母さんは、大切な家族だから。
 でも、お父さん達はトンガにいるのよねぇ。時差とか大丈夫かしら。調べてみよっと。
 私は兄貴の部屋へ行った。
「ねぇ、兄貴。パソコン貸してくれる?」
「おっ? なんだ? 勉強か?」
「そうでなくて……トンガと日本の時差を調べたいの」
「なぁんだ。父さん達のことなら、心配いらないよ。俺がみどりの事情、ちゃんと説明しておいたから。それとも、何かあるのか?」
「メールを送ろうと思ったんだけど……」
「メールねぇ……着信音で起きたりするとあれだろ? トンガはここより四時間早く時間が進んでるんだぜ」
「そっか……」
 じゃあ、明日でいいや。
 それに、メールでも、いろいろかかるだろうし。携帯代は兄貴が払っているんだから。
「おやすみ。兄貴」
「いいのか? もう」
「うん」
「じゃ、おやすみ」
 私は兄貴の部屋を出て、家の匂いをすーっと嗅いだ。
 どこか饐えた匂いのある、しかし、懐かしさを醸し出す匂いだ。
 お父さんとお母さんにもお礼を言いたかったが、仕方がない。
 それから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも――
(いつも、見守っていてくれて、どうもありがとう)
 私は、キリスト教式に手を組んで祈った。
 仏教とキリスト教。私は将来、どちらを信じることになるのだろう。
 オール・オア・ナッシングでなくても、別にいいんじゃないかと思うけど――。
 哲郎はどうなのだろう。
 彼は、キリスト教にいかれている。いかれていると言って悪ければ、一生懸命だ。
 哲郎に会うまで、そんな世界があるとは知らなかったけれど――
 これも、縁てヤツかな?
 哲郎だけでない。リョウや、雄也にえみり、純也、奈々花、今日子、頼子に美和に友子――みんな、縁があって出会っている。
 それに――そう。将人のことも。
 将人は、こんな私のことを好いてくれている。とても嬉しい。
 ああ、私は幸せ者だ。
 こんなにいい人達に恵まれて。
 私はうきうきしながら風呂場へ向かった。
 今ならば、世界中の人に、「好き!」と言えそうな気がした。
 あの高部由香里にさえ――。
 そういえば、あいつどうしてるかな。あんな悪態しかつけないなんて、可哀想なヤツだと思う。

 一晩明けた。カレンダーは木曜日を指している。
 私は、哲郎の真似をして、主の祈りを捧げた。
「みどりくん。君は偉いよ。ちゃんと神様に食前の祈りを捧げるようになったんだね」
 哲郎に言われて、私は少し照れた。
「別に……ただ、信仰というヤツに触れてみようかな、と思っただけだから。哲郎さんみたく」
「偉い!」
 哲郎は立ち上がって、私の手を取った。
「まずは信じることが大事なんだよ!」
「へぇー。哲郎サンと秋野って、そんな関係なんだ」
 リョウがにやにやしている。
「私も驚き!」
「哲、女の趣味は悪いな」
 えみりと雄也が言う。
「おまえにみどりは渡さんぞ」
 兄貴の目はマジだ。冗談ではない。
「ご……誤解しないでよ、みんな」
 私達はぱっと手を放した。
「そうだね。君には、将人くんがいるんだものね」
 哲郎さんは、何となく寂しそうな表情をした。
「哲郎さんにだって、奈々花がいるじゃない」
「奈々花くんか……確かにいい子だと思うよ。しかし……」
 哲郎は、奥歯に物が挟まったような言い方をする。
 前から思ってたんだけど、哲郎って、奈々花には複雑な想いを抱いているみたい。好かれるのは嬉しい。だけど――。
 あ、私ったら、どうしてそんなことを思うのかしら。奈々花と哲郎が上手くいけば、きっと一番嬉しいはずなのに。
 変なの。
 哲郎が切ない顔をすると、私もそうなるのはどうしてだろう。
 それにしても、私達は奈々花と哲郎について、同じようなこと喋ってるような気がする。
「あ、ねぇねぇ。カレーの材料、いつ買うの?」
 えみりが言った。
 話が逸れて、私はいくぶん、ほっとした。
「この間のは全部食べちゃったしなぁ。ま、残っていても食べることはできなくなってるかもしれないけど」
「そうね。明日買いに行きましょ」
 話の流れを変えてくれた、えみりに感謝!
「おっ、そうだ。親父が来たら、『輪舞』へ連れていきたいんだけど」
 雄也の提案に、
「いいじゃない」
 とえみりが頷く。
「ついでに友達もよんでいい?」
「ダメ! ダメダメダメダメ!」
「なによう。雄也のケチ」
 えみりは頬を膨らませた。
 私はちょっと雄也の気持ちがわかる気がする。以前のあれで懲りたんだろうな。えみりには大食漢の友達がいるから……。
「ちょっと! なに笑ってんのよ、みどり」
 今度は矛先がこちらに回ってきた。
「思い出し笑いか?」
 リョウも、首を傾げて、質問する。
「いや、雄也さんの気持ちもわかるなーって」
「だろだろ。珍しく意見が合ったな」
「なんなのよ。だから」
「ほら。えみりには大食漢の友達がいたでしょう?」
 あ、そっかぁと、リョウも納得した顔だった。えみりはまだ、腑に落ちないようであるが。
 
おっとどっこい生きている 74
BACK/HOME