おっとどっこい生きている その由香里の台詞は、私を地面に縫い止めた。 言っていいことと悪いことがあるわ! なんで私が麻生と……! 「な……な……」 上手く言葉が出て来ない。 「それこそ望むところよ!」 そう言ったのはしおりだった。 「みどりさんと兄貴が付き合うの、大賛成よ! あたし! 桐生さんとやらには悪いけど」 しおり、アンタそんなこと思ってたわけ? 麻生は、スレンダーで、出るべきところは出ている長塚冬美のようなタイプが好みなのよ。私も麻生なんて眼中になかったし。 「いいけどね。秋野さんは、綿貫先輩も色仕掛けで骨抜きにしたわよ」 由香里は悪意のしたたるような言葉を投げた。 しおりによれば、霧谷も連れて来たかったが、忙しいので無理だったようである。どうして忙しいのかは言わなかった。私にとってはどうでも良かったし。 閑話休題。 「でも、待っててくれてありがとうね。みどりさん」 しおりは笑顔でお礼を言ってくれた。 「ん。何となく放っておけなくてね」 「やっぱりみどりさんはいい人だね。うん。兄貴と付き合って欲しいな、やっぱり」 またその話か……。 「あのね、しおりちゃん。私が麻生先輩と付き合うって言うのは、やっぱり無理があると思うの」 「そっか……まぁ、ひどい目にあったりもしたようだからねぇ」 話している間に、演劇部の部室に着いた。とんとんとノックする。 「すみませーん」 「はいはい」 演劇部の部員とおぼしき女生徒が出てきた。 「溝口先輩、いらっしゃいますか?」 「あ、今いるよ。溝口さーん、呼んでるわよー」 「はーい」 溝口先輩が現れた。 顔立ちが整っていて、大きな目は潤んでいるように見える。鼻は高い。少し大柄で、プロポーションは抜群だ。足も長い。 「しおりちゃんじゃない。どうしたの?」 「ちょっと話があってね」 「秋野さんも一緒なのね」 向こうは、私のことをしっかり覚えていたようだった。私はこの間まで忘れていたというのに。 うーん。罪悪感というのとも違うけど、やっぱりばつが悪い……。 「霧谷がね、よろしく伝えてくれって」 しおりがそう言った。 「また溝口さんに会いに来て欲しいのよ。霧谷には」 「どうして?」 「だって――霧谷は溝口さんが好きだったって」 「――しおりちゃん、ちょっと他の場所で話しましょ」 私もその方がいいと思う。 「わかった」 しおりは素直に頷いた。 「私、いない方がいいかな?」 「ううん。みどりさんも来て」 しおりが私の腕を引っ張った。 そして今―― 私達は体育館の裏にいる。 「霧谷くんは元気?」 「うん。元気だったよ。そんでやっぱり……あなたに未練はあるのかもしれない」 しおりが霧谷のことをまだ想っているように……もちろん、私は、今はそれを口にしなかったが。 「溝口さん、兄貴のこと、好きだったってほんと?」 しおりがずばりと切り込む。 「誰から聞いたの?」 「霧谷から」 先輩は、ふーっと深い溜息を吐いた。 「麻生君を憎からず思っていたのは本当よ。しおりちゃんも、実の妹のようだったし……」 「じゃあ、どうして教会に来なくなったの?」 「それは……」 溝口先輩は、何故かちらっと私の方を見た。 彼女には、何というか、『目力』がある。ちょっとこっちを見ただけでも、私はどきっとした。 「やっぱり、麻生君に会うのは、霧谷君に悪いって気持ちもあったし――それに、彼は変わったわ」 「それって、霧谷のこと? それとも、兄貴のこと?」 「霧谷君のことはよく知らないけど、麻生君は変わったわ」 「うん。あたしもそう思う」 しおりも同意した。 「でもね、人間の心って、変転していくものだと思うの。私、今は別の人を好きなの」 「え? 誰? その人って」 「それは……」 先輩は、私の方をまた見た。 私は、さっきから黙って事の成行きを見守っていたが―― 「私にも、関係あることなの?」 と、話に加わった。 溝口先輩が、なんか私にも喋りたいことがありそうだったから。 「――私、今は桐生君のことが好きなの」 私の頭の中に、先輩の台詞が染み込むのに、数秒かかった。 「――え?」 溝口さんが、将人のことを、好き? 「桐生さんって、みどりさんの恋人?」 さすがにしおりも呆気に取られたようだった。 「そうなのよ――だから、私の片思い。気にしなくていいわ。秋野さん」 と、溝口先輩は言ってくれたけれど―― 奈々花といい、溝口先輩といい、将人もモテるわね。まぁ、それだけいい男ってことなんだろうけど。 奈々花は、今は哲郎が好きみたいだけど、溝口先輩は、将人のことが好き――強力なライバルね。将人だって、溝口先輩みたいな美人に好かれて、悪い気はしないだろうし……。 溝口先輩と少し話して別れてから、しおりは、「兄貴のところへ行こう」と言い出した。 ……私としては、さっさと部活に行きたかったんだけどね。この頃休んでいたし。 けれど、まぁ、仕方がない。乗りかかった船だ。 階段を上がろうとした時だった。 「どうしたんだ? 秋野」 将人! どうしてこんなところで鉢合わせするんだろう。 ちょうど、彼のことを話題にしてきた後だったから、心は複雑……。 そして、しおりの方に目をやると――彼女はぼーっと見惚れていた。まずいな。 「あ、あの……お名前何て言うんですか?」 「え? 俺ですか? 俺は桐生将人と言います。君は」 「あ……麻生しおりです」 マンガだったら、ぽっぽっと蒸気が上がっているところかもしれない。 おっとどっこい生きている 70 BACK/HOME |