おっとどっこい生きている
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 新聞はだいぶん朝早くから貼り出されていた。だから、皆の知るところとなった。
 パシャパシャとカメラが鳴る中、頼子と武田は、一緒に三年一組の教室へ入った。
 ふぅん。昨日帰る時は私の付き添いが必要なほどに心許なさげだったのに、随分堂々としてるじゃないの。やるわね。二人とも。
 おそらく大食漢であろう武田の為に、頼子がお手製の弁当を食べさす。早弁だ。でも、この時間、授業が始まるまでまだちょっとある。
「あーんして。あーん」
「あーん」
 二人ともこの上もなく幸せそうだ。
 私は頼子達の後について、三年のクラスについて行ったのだが、もはや誰も私に注目する人などいやしない。ちょうど良かった。
 にしても――頼子って、あんな性格だったっけ?
 長年付き合ってても、わからないところってあるんだなぁ、と、まざまざと思い知らされた。ま、だから人生面白いんだけれどね。
 武田は昼の弁当はどうするつもりなんだろう……今のうちから食べちゃって。うちの高校にも食堂はあるにはあるが。
 そんなことより。私の頭を占めていたことはふたつある。
 ひとつは、麻生しおりについてのこと。
 私は土曜日、家にしおりを招きたいと思っている。もし本人さえ良ければ。
 もうひとつ。綿貫派の新聞に告白騒動のことが載っていないこと(綿貫派と麻生派の違いは紙面でもわかる)。
 私は下らないと思うけど、彼らにとってもかっこうのネタだろうと思ったのに。

 昼休み、いつもより早く食事を終えた私は新聞部――綿貫のいる新聞部へ向かった。
「よぉ、秋野。弁当でも食べさせに来てくれたか?」
「冗談。誰がアンタなんかに」
「リョウには持たせてんだろ? 愛情弁当」
「あれはきちんと食べないからよ」
「ははっ。確かに。リョウってカトンボみたいだもんなぁ」
「どうして弁当の話を? 今お昼時間だから、無理ないっちゃ無理ないけど」
「今、後輩の吉田が、『武田先輩と松下頼子が弁当食ってます』って報告に来たからさ」
 あっきれた。そんなことまで調べる新聞部って暇なのかしら。
 しかし、武田もお昼、食いっぱぐれないで良かったわね。
「だが、まぁ、今回は、俺の出る幕じゃないね」
「そうですね」
「たかが色恋沙汰のひとつやふたつ、俺の知ったこっちゃないし、松下らに利用されるのもあれだしな」
『たかが色恋沙汰』か。それを一生懸命追っかけ回してたのは、どこの誰でしたっけ? 綿貫も変わったのだろうか。
「……頼子は利用してるつもりなんてないと思いますけど」
「いいや。武田はともかく、松下はなかなかしたたかだ。おまえさんも気をつけないと足元掬われっぞ」
「…………?」
「わからないって顔してるな」
 いや、わからないこともないけどなぁ……。それだったら、本当に頼子らしい。足元掬われる云々については、いまいちピンと来ないけど。
「しかし――武田に近づいてあいつにメリットがあるのかなぁ。桐生だったらともかく」
「頼子は武田先輩のこと好きなのよ」
「そうか。まぁ『恋は思案の外』って言うからなぁ」
 綿貫はそう言って顎を撫でた。
「それよか、桐生の調子はどうだい?」
「おかげ様で」
「そうか。天才は一度崩れると脆いモンだが、あいつは大丈夫か?」
「大丈夫です。今もしっかり道場に通っています。それに、彼は努力の人ですから」
「努力の人ねぇ。そりゃあいい。天与の才に努力が加われば百人力ってこった」
 私が出て行きかけると、綿貫は気になることを言った。
「東条学園の試合な……武田だったらあの試合、負けずに済んだかもしれんぞ。と言っても、田村の受け売りだけどな」
 武田だったら、あの試合、負けずに済んだかもしれない……。田村先生が、綿貫にそう言ってたわけか。
 しかし、どうして――?
 放課後の校門、そんなことをつらつら考えている。しおりを待ちながら。
「みどりさーん」
 あっ、来た。しおりは今日も半袖姿だ。
「ここよー」
 私達はぶんぶんと手を振り合った。
「久しぶりッ」
「まだ数日も経ってないでしょッ」
「みどりさんやリョウが懐かしくなってきちゃった」
 おっ。この台詞、リョウが聞いたらどう思うかな?
「さ、溝口さんのところに案内して」
「それよりしおりちゃん。ちょっといいかな」
「何?」
「今週の土曜日、空いてる?」
「空いてるけど、どして?」
「雄也さんのお父さんが来るの。それで、しおりちゃんも誘おうと思って」
「え? なんで?」
「だって……しおりちゃんはその……」
 私は口ごもった。
「しおりちゃんは、私達の大切な人だから」
「みどりさん!」
 次の瞬間、私はしおりに思いっきり抱き締められた。
「私も……私もみどりさんが大切……」
「そ、そう? あ、ありがと」
 おっきな胸が当たっている。なんかちょっと複雑な気分。
 男子だったら喜ぶんだろうなー……。
 そう思った時。
「あーら。秋野さんてば、彼氏がいるのにレズってんの?」
 うっ! よりによってやな奴らに! 高部由香里と南加奈!
「違うもん。感謝の気持ち表わす為にハグしてただけだもん。ねぇ、みどりさん」
「そうよ」
 だから、そろそろ放してくれないかなぁ、しおりちゃん……。
「アンタら何なの?」
「アンタこそ何なのよ。この学校の生徒じゃないわね」
 しおりと由香里の間に、バチバチッと火花が散った気がした。
「あたしは麻生しおり。白岡高校の麻生清彦の妹です」
「そう。私は高部由香里よ。レズっ娘さん」
「レズじゃないってばー。これでも彼氏募集中ですー」
 もういいから放して……。
「へーえ。彼氏募集中。レズの上手い隠れ蓑よね」
「桐生先輩が知ったら何て言うかしら」
 由香里と加奈が言った。
「あ、そうそう。桐生先輩ってみどりさんの彼氏ね。兄貴があまり口割らないからこの学校に通ってる友達に訊いたよ。かっこいいんだって?」
「そう。とーってもかっこいいわよ。秋野さんには勿体ないくらい」
「一言多い人ね、えーと、高部さん?」
 しおりはやっと離れてくれた。
「なんか、気に入らないわね。しおりって言ったっけ? 兄貴の方はまぁまぁいい男なのに」
「アンタ、嫌い」
「あたしだってアンタは好きになれないわね。秋野さんのことはもっと好きになれないけど」
「行きましょ。しおりちゃん」
 なんか不穏な空気になって来たので、私はしおりが何か口を開く前に、彼女の腕を引っ張って校庭を突っ切ろうとした。
「秋野さん! アンタ麻生先輩の妹使って今度は彼をたらし込むつもり?」と言う由香里の声が、後ろから聞こえて、私はその場に立ち尽くした。
 
おっとどっこい生きている 69
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