おっとどっこい生きている
67
 どうしてそれがしおりちゃんからの連絡だと知ったかと言うと――
 鞄から携帯を取り出して確認したからである。
 着信音で誰からだかわかるという高等テクニックはまだ使えないもの。
 それはともかく。
 しおりちゃんからメールが来ていた。
『今までずーっと考えてきたけど、一度溝口さんに会うことにします。だから、明日は白岡高校に行きます。しおり』
 そっか。明日私達の高校に来るんだ。というか、溝口さんに何を話すつもりなんだろう。
 私には関係ないかな。でも、しおりちゃんを何となくこのままほっとけない気もするなぁ……。
 まぁいいや。明日のことだ。それよりも私は――考えることがたくさんある。
 親との話が終わった後、将人に電話しようかな、とは帰る時に考えていたことだけど。……ああ、そうだ。将人には受験勉強があるんだ。やっぱり遠慮しとこう。
 ところが、えみりの作った予想通りのご飯を食べ、台所で食器を洗って片付けもして、自分の部屋に戻っていた時、将人から電話があった。
 嬉しい! 私も彼の声が聴きたかったのだ。
「みどり、俺、将人だけど」
「将人……勉強は?」
「一段落しようと思って」
 私達は、話をした。学校のこと、勉強のこと、家族のこと――。でも、私は肝心なことは言えずじまい。
 しばらく話が途切れた。
「じゃあ、俺、勉強に戻るから。相手してくれてありがとう。みどり」
 みどり……か。『秋野』と言われるより名前で呼んでくれる方がいい。みどり、と心の中に将人の声が響く。
「勉強がんばってね」
 私はそう言うことしかできなかった。
「あ、そうだ。俺……」
 将人は急に声を落とした。
「みどりのこと……愛してるかも……」
「えっ?!」
「それじゃ」
 何と言う不意打ちの告白!
 大好きだ、と言われた時もそうだった。
 将人は非常に不器用に、しかも思いがけなくこちらをどきどきさせる。
 電話は切れた。ツー、ツーと言う音がする。
 私は赤くなっていただろう。しばらく呆然とベッドに座っていた。
 その後、親との定時連絡も終わり、哲郎の部屋にお菓子を持って行ったついでに、頼子に言われたことを伝えた。
「教会に誘う資格なんてない……か」
 哲郎は静かに呟いた。
「君の友達は、だいぶ手厳しいね」
「そうなの。そういうところが気に入ってんだけどね」
「でも、僕だって改めて『自分は神様を、イエス様を信じているか』と訊かれたら、きっと言葉が出てこなくなってしまうよ」
「えーっ?! 哲郎さんでさえも?!」
「なんのなんの。僕なんかまだ弱輩者だよ」
「でも、ことあるごとに教会に連れてってもらったり、聖書一緒に読んだり……」
「信仰は一生かけて育てていくものだと思うよ」
 哲郎は真面目な顔で言った。真面目な顔と言っても、あの馬面だけど。
「僕にだってわからないことはいっぱいあるよ」
「私だって、頼子の言ってること、わかる気がする……」
 ていうか、頼子の意見にほとんど賛成。
 私、不思議な心の体験をしなかったら、神様なんてほんっとに信じなかったんだから。
 奈々花辺りはどうなんだろう。哲郎目当てなのかしら。でも、微妙に違う気もする。
 美和は教会に誘ったら行くだろうか。まだ美和に相談してないけど。奈々花がわたりをつけてくれたかな? 頼子の時と同じように。
 後で探りをいれてみよう。――ま、そんな大袈裟なことじゃないけどさ。
「ねぇ、私は美和を教会に誘う資格あるかしら」
「何言ってんだよ! 大いにあるに決まってるじゃないか!」
「でも、私、信仰が……」
「誰だって、霊的に幼い頃はあるよ。そっかぁ。美和くんも来るかもしれないんだ」
「いや、まだ本人に話してないんだけどね」
「そっか……でも、みどりくんが来てから、可愛い子が増えたような気がするなぁ。教会に」
「そりゃあ、私が可愛いから」
 私は冗談のつもりで言ったのだ。だけど、哲郎は真剣な目で私を見つめた。
「そうだよ。みどりくんは可愛い」
「やめてよ。ジョークよジョーク」
「僕は本気だ」
「え……?」
「前にも言ったと思う。僕は君が好きなんだ」
 はいはい、わかりました、と流すには、哲郎はあまりにもひたむきで……。
 わ、私には将人がいるのよ。二人の男を手玉に取るような女には、なりたく、ない。
 哲郎は、ふう、と溜息を吐いた。
「……嫌だって顔に書いてある」
「あ……」
「まぁ、君のそんなところも好きなんだ。将人くんが好きなんだろう?」
「はい……」
「いいよ。正直で」
 哲郎の目元が優しくなった。
「一生独身でいる覚悟もあるからね」
「そこまでしなくても……」
「いやぁ、必ずしも君に操だてしているわけじゃないんだ。聖書を読んでごらん」
「わかったわ。じゃあね」
 私は開きっぱなしのドアの哲郎の部屋を出て行った。
 自分の部屋へ帰って来ると、頼子からメールが届いていた。
『みどり。明日私と武田先輩が噂になってたらどうしよう』
 既に噂になっているような気もするけど。
 そこで、はた、と気が付いた。
 これは相談ではなく、一種のノロケだと。
 これだから女は。
 私だって女で、しかも硬派にあるまじき男女交際なんてものをしてるけど。将人も硬派だから。時々大胆なことも言うけど。
 人のことは言えないんだけどねぇ。
 明日の校内新聞に頼子と武田の記事が出ても、同情なんかしてやらない。
 私も通った道だ。頼子も強く逞しく克服するであろう。
 しかし、彼女も最近ずいぶんテンパってるなぁ……男なんかに媚びないクールさが売りだったのに。
 まぁ、恋をして変わったんだろう。
 一応、返信はしておいた。
「うぉーい。秋野〜」
 リョウが私の部屋に入ってきた。
「な、何よ。ノックくらいしなさいよ」
「わからないところがあるんだけど」
「どこがわかんないのよ」
「わかんないとこがわかんない。つーか全部」
 私は呆気に取られてしまった。口をぽかんと開けて、リョウの馬鹿さ加減に呆れた。

 翌日学校では――
 頼子が武田に、剣道部に集まった人々の前で告白した話題でもちきりだった。
 それに関する麻生派の新聞も貼ってあった。綿貫派は沈黙を守っていた。
 
おっとどっこい生きている 68
BACK/HOME