おっとどっこい生きている
66
 武田は電車で通っているので、私達は一緒に駅まで見送った。
 私だけ先に帰ろうとしたのだが、頼子も武田も、ちょっと来て欲しそうだったので、付き添ったのだ。
「あ、そうだ。ねぇ、みどり。原稿進んでる?」
 家に戻りしな、頼子の問いに、
「あ、うん、ここにあるけど……」
 と、私は自転車を止め、鞄から『黄金のラズベリー』の原稿を取り出した。
「それ、見せて」
「うん。はい」
 私は原稿を頼子に渡した。頼子は食い入るように眺めている。
「……これ、コピーしてきてもいい?」
 点の辛いので有名な頼子が文句言わないのだから、満足させることができたのだろう。しかも、コピーさせて、とまで。
 なんだろう。この話だけ、やたらに頼子はコピーしたがる。
 妙だな。
 だが、その真相に気付いたのは、もっと先の話である。今の時点では、親友を疑いたくなかった心理が働いていた。
 私達はもう外に出ていたので、コンビニのコピー機を借りることにした。
 と言っても、私は外で待っていただけだ。
 と、その時である。
「みどり」
「将人!」
 どうして将人がここにいるんだろう?
「どうしたの?」
「本屋の帰り。おまえは?」
「ちょっと、頼子に付き合って……」
「ふうん」
 将人は生えかけのひげをなでた。
「松下……武田とうまくいくといいな」
「そうだね」
 それからまた、沈黙。
 言いたいことはいっぱいあるのに、言葉が出ない。
 冷たい風が、私達の間をふいた。
「じゃあな、みどり」
「うん、またね」
「武田のヤツを大事にしろよって、松下に言ってやってくれよ。あいつ、本当にいいヤツだから」
 多分、将人も本当はそんなことを言いたいのではないのだろう。いや、武田と頼子のことを『そんなこと』と言っては失礼か。
 でも、私はもっと、自分達のことを話したかった。
 頼子には悪いけど……友情より恋の方が大事。だから、女の友情ってもろいって言うのかな。
 そんなこと、恋する以前は信じてなかったけど……親友と恋人どっち取るかと聞かれたら……恋人の方が重い。
 今夜電話でもしてみるか。まず、親との連絡を早めに切り上げてからだな。
 恋人と親を比べたら、親なんて本当に軽い。
「みーどり」
「わぁっ!」
 なんだ、頼子か。
「コピーし終わったから、帰ろ」
 そう言った頼子は、なんかにやにやしてる。
「あの……もしかして、私達のこと、見てた?」
「うん、ちょっとね」
 彼女は素直に認めた。
「彼、いい人ね。私達のことも考えてくれてるなんて」
「うん……でも、私は、もっと……」
「もっといちゃいちゃしたい?」
「まぁ、頼子ったら」
 私は冗談半分に拳を振り上げた。頼子は「きゃあっ!」と笑いながら逃げる真似をした。
「ねぇ、頼子」
 それは、もう私の家が近付いてきた頃だった。私はこう誘った。
「今度の日曜、私達と一緒に教会に行かない?」
 頼子は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした後、
「ぷっ……あははははは」
 と笑い出した。
「なぁによぉ。やぶから棒に」
「うーん。奈々花や今日子や友子は教会行ってんだよね。後で美和も誘う予定だけど、頼子をよばないのはまずいかな、と思って」
「へぇー。みどりって、案外律儀なとこあるのね。実は奈々花からも誘われたんだけど……あ、彼女、哲郎さんと付き合っているのよね」
「……どうかなぁ」
 どっちかと言うと、哲郎はちょっと迷惑してるみたいだけど。
 あっ、奈々花。応援してるからね。一応。
「その人に毒されたんでない? みどりも。あっ、もしかして、アンタ哲郎さんも好きだとか?」
「そんなこと、あるわけないでしょ?!」
 変なこと言うと、いくら頼子でも許さないんだから!
「言っとくけど、私、無神論者だから」
 頼子はそう口に出すと、大きく伸びをした。
「無神論者だからって、教会に行ってダメなんてことはないと思うけど」
「でもねぇ。私行きたくないのよ。教会。なんか苦手」
 あら。麻生と同じようなこと言うのね。
 まぁ、あいつの場合、家が教会だから、いやもおうもないのだけど。
「それよりさぁ、みどり。人に自分の考え押しつけちゃダメよ」
「押しつけてるつもりはないんだけど」
「それにさぁ、アンタ、イエス・キリストなんて、本気で信じてるの?」
 う……。
 それは確かに、痛い質問だった。
「信じたいって、思ったことはあるわ」
「それって、まだ信じてはいないことよね」
「少しは信じるようになったわよ」
「少し! 少しね!」
 頼子は、勝ち誇ったように嘲笑った。
「それではアンタ、人を教会に誘う資格なんてないわよ!」
「え……?」
 教会に誘うのに、資格があるかどうかなんて、今まで考えたこともなかった。
「とにかく、私は行かないわ。二人で剣道部の試合を見に行くって話なら、別だけど。じゃあね、みどり」
 頼子は後ろ姿を見せて、自分の家への道を歩いて行った。
 私も家へ帰った。
「お帰りー。みどり」
 えみりが絆創膏だらけの指を差し出した。
「ど、どうしたの? えみり。その指」
「ああ、これ? ご飯作ろうと思って。料理って結構楽しくて、ハマっちゃってさぁ」
「はぁ……今日の夕飯は味は期待しないでおこう」
「何よそれ! どういう意味よ、ちょっと……」
 私は早々に仏壇のある和室に引っ込んだ。純也が健やかな寝息を立てて眠っている。
 仏壇に手を合わせている私に、教会に人を誘う資格があるのだろうか。頼子の台詞が思い出された。
(私だってそんなに信じていないのに……教会に人を引っ張り込むこと、できないよね……)
 携帯が鳴った。持ってきた鞄の中に入れておいたのだ。
 しおりちゃんからだ!
 
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