おっとどっこい生きている
65
「それって、上手く書こうとするからそうなるんじゃない?」
 美和が言った。私もそう思う。
「そんなこと……まぁ、あるかもしれないけど……」
 頼子は珍しく歯切れが悪い。
 私は言えなかった。
 私の方はと言うと――今はかなり絶好調なのだ。
『黄金のラズベリー』は書いているだけで楽しい。まるで、自分の中にキャラクターが乗り移ったみたい。昨日だって、家で十枚も書いたのだ。おかげで床につくのが遅くなったけど。
 そんなこと、頼子には言えない。
「はぁ……」
 頼子が溜息をついた。
「アンタなら大丈夫よ。才能あんだから」
 私は頼子の肩をどやしつけた。
 そうすると、彼女はギロロッと睨んだ。
「あんたは……今、いろいろと上手くいってるから……私の気持ちなんてわからないわよ!」
「頼子……」
 私は、こう言ってやることしかできなかった。
「村沢先生の許可が取れたら、一緒に剣道部行こ」
「――うん」
 田村先生は許してくれるだろう。前に一度追い返されたことがあるけれど。川島道場に紹介してくれたりもしたから、そんなに悪い印象は持っていない。
「そう、それがいいよ。頼子ちゃん。いい気分転換になると思うし」
 美和が慌てて言った。
 でも、この間、頼子は剣道部いたこと、誰にも言わないでねって口にしてなかったっけ? 方針変えたのかな。
 頼子とは遠慮がない仲だ。私が質問すると、
「まぁ、美和も言わないと思うし。それに、私、武田先輩のことは誰にバレてもいいと思ったわけ」
 頼子は、照れ照れという感じだった。
 さっき軽口叩いたのは、悪かったと思うけど。頼子は頼子なりに真剣なのに。
 でも、彼女はそんなに気にしていないみたい。タコさんウィンナーを口に運んでいる。
 私も牛そぼろとご飯を食べた。
「でも、勇気いるわよね……告白するって」
「え? 告白するの?」
「うん」
 頼子が赤くなってうつむいた。
「みどりはすごいわよね。あんなに騒がれたのに、平気そうなんだもの」
 平気じゃなかったわよ。だけど、しようがないじゃん。将人との関係、バレてしまったんだもの。
 新聞部も今は取材に来ないけど、私は迷惑したんだから。

 そして放課後、私達は剣道部の部室にいる。
 田村先生の許可ももらった。先生曰く、
「俺もさ、前はギャラリーは邪魔だと思っていたけど、せっかく応援してくれてるんだからな。いつでも来ていいぞ」
 と、前よりずいぶん話が通じるようになった。
 そういえば、何人か女子学生が来ている。
「将人ー」
「秋野みどりのものでもいいからがんばれー」
 ものって何よ、ものって。
 まぁ、悪い気はしないけど。
「武田先輩!」
 頼子が、嬉しそうに顔をほころばせる。
「よぉ。松下――じゃなかった。頼子」
「へえ。武田先輩、頼子のこと、呼び捨てで言うんだ」
 私はにやにやしながら言った。
「こ、これは……その、なんていうか……」
「私が頼んだの」
「そう。それに、苗字で『松下』なんて呼ぶと、先生を呼び捨てにしてるみたいで、なんか具合が悪いからな……」
 面頬を脱いだ武田の顔は、個性的だが、味のあるいい顔をしている。
 さすが、私の親友の選んだ人ね。
「武田先輩……あの……」
「何?」
「好きなんです! つきあってください!」
 おーっ!と野太い声と、きゃー!と言う声が重なった。そんなに大きくはなかったと思うけど、私の耳には轟いたように響いた。
「聞いた聞いたー? 松下先輩と武田先輩、付き合うんだってー」
「バカ。まだ武田先輩が返事してないじゃん」
「でも、OKするわよ。松下さんかわいいもん」
「畜生! 武田の奴!」
「うらやましいぞー!」
 ギャラリー達は口々に言っている。ヒューヒューと口笛を吹いたやつもいた。
「ちょっと! 武田の話も聞こうよ!」
 誰だかの声で、練習場は水を打ったようにしんとなった。
「頼子……俺でよかったら……」
 武田が武骨な顔を真っ赤に染めた。
「きゃーっ! OKしたわよ!」
「新聞部! 取材に来ーい!」
 わーっとまた騒ぎが起こった。
 その時、私の近くで、こんな声が聴こえた。
 いいよな。武田は。松下先生へのコネができたんだから。
「誰?!」
 私が声のした方を振り向くと、そこには人はいなかった。
 気のせいか。
 なんか、男の声みたいだったけど。
「こんな騒ぎになるとはな……今日は練習どころじゃないな。全く……松下頼子を入れるんじゃなかったよ」
 そう言っている田村先生もにまにま。
「おい。部活やりに来たんだろ。おまえら。ちゃんと真面目にやれ。でないと、ビシビシ叩くからな」
 将人だけが、いつも通りの秩序を取り戻そうとしている。
「そうだぞ。俺と頼子のことはおまえらには関係ないんだからな!」
 武田もムキになって怒る。
「こっえー」
「早く戻ろうぜ」
 部員達は迅速に練習を再開した。それでも、うわついた空気はそこかしこに残っている。
「こらあ。それでも戦っているつもりか!」
「本気になってかかってこい!」
 私達はそんな、それぞれの想い人を見ながらうっとりとしている。
「私の将人……」
「私の金八……」
 私と頼子の声が重なる。お互いに顔を見合わせて笑った。
 部活の時間が終わった。
 本当なら、剣道部の部員達はまだ帰らずに、練習を続けていることもしょっちゅうあるのだが。
「そうだな。おい、桐生、武田、今日はあがっていいぞ」
「もう終わりですか?」
「受験勉強があるだろ。特に桐生! おまえは推薦受けねぇだろ。今のうちにやっといた方がいいぞ」
 田村先生はぶんぶんと乱暴に手を振った。
「それに、おまえらがいると観客がうるさくてしょうがねぇ」
 
おっとどっこい生きている 66
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