おっとどっこい生きている
63
『今日はごめん。みどり。つい当たってしまって』
 そんな文面のメールが、頼子から私宛に届いた。
 気にしなくてもいいのにな。長い付き合いなんだし。
 今の友達の中では、頼子が一番古い友人だ。
 その時、ちょっと疑ってかかった方が良かったかもしれない。
 だって、こんなことで謝るなんて、ちょっと彼女らしくないもの。
 でも、この時は気付かなかった。頼子がどんなことを考えているか。
『いいよ。私ももうそんなに気にしてない』
 そう書いて、送信した。
 メールを打つのも、結構慣れてきたみたい。みんなのおかげね。
 それから、兄貴にも感謝しないと。電話・メール代もってくれるって言うんだから。
 もちろん、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんにも、今日のこと、報告したわ。仏壇に祈ってからね。
 哲郎さんはいい顔しないかもしれないけど。偶像礼拝は罪だとか何とか言ってね。
「みどりくん!」
 うわさをすれば何とやら。
 ちょうどいい(?)タイミングで哲郎が現れたので、私は思わずどきっとしてしまった。
「仏像に手を合わせるのは、偶像礼拝じゃないか! 偶像礼拝は、キリスト教では一番重い罪なんだよ!」
「ほっといてよ! 私が好きでやってるんだから!」
 それに、可愛がっていた孫娘が線香の一本もあげないんじゃ、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも可哀想だ。せっかく世話してくれたのに。
「好きにする?! 君は好きで仏壇に手を合わせてるのかい!」
「う、うん……まぁね」
「習慣や惰性からではないのかい? そこがサタンの狙い目なんだよ!」
 サタンがどう言うものか私は知らない。
 ただ、哲郎が仏壇を毛嫌いしていることだけは、よっくわかった。
「惰性からではないわよ、失礼ね」
 ちゃんと真心込めて祈っているんだから。
「ああ……、みどりくん。君が本当の信仰に目覚めるまで、いくらかかるんだろう」
 私はカチンと来た。
「イエス・キリストが偉い人なのは認めるわ。でも、イエスだけが偉いんじゃないわよ。仏陀もマホメットも、みんな偉いんじゃいない?!」
「違うよ、それは。本当に偉い、救い主、贖い主はイエス様しかいないんだ!」
「どうしてそう言えるのよ!」
「イエス様が神の子だからさ」
 私は、ふっと疲れを覚えた。
「やーめた。話にならないわ」
「そうやって、真実から逃げる気かい?」
「もし本当に真実なら、逃げて行かないわよ」
「みどりくん。君はどうもわからない。教会にちゃんと行ったかと思えば、さっきの不信仰な意見も口にする」
「私だって、哲郎さんがわからないわ。麻生先輩の教会に行った時は、『祈りだけで人は救えない』って言ったくせに! それも、不信仰ではないの?!」
 私は、触れてはいけないところに触れてしまったかもしれない。
「あの時のことは……僕が間違っていたと思うよ」
 哲郎は素直に非を認めた。
「清彦くんには、立ち直ってもらいたい。信仰の力で」
 私もそう思う。
 だが、彼はキリスト教を必要としているのか。
 私は、救いに至る道はいろいろあると考えているのだが、哲郎はどうやら違う意見を持っているようだ。
「僕は、毎日祈っているよ。いろいろなことを」
「じゃあ、私が仏壇に手を合わせるのも、哲郎さんにとっての祈りと同じなんだから、認めてくれたっていいじゃない!」
「違うよ……」
 哲郎は涙声になった。
「違うんだよ、それは……根本的に」
 哲郎が泣いている。
 どうして泣くのかわからない。ただ、私は憐れまれていることしかわからなかった。
 ガラッと襖が開いた。
「おい、みどり」
 兄貴だった。
「なぁに? 兄貴」
 私は言った。
「えみりがさ、みどり連れて来いって」
 えみりが? なんでだろ。
「雄也の親父が土曜日に来るんだって。で、おまえに料理を教わりたいそうだ」
「うん。今行く」
 渡りに舟とばかりに、私は二つ返事でOKした。
 哲郎と話しているのにも疲れてきたしね。
「あ、みどりくん。話はまだ終わってな……」
「あとで」
 私は強い口調で哲郎に言った。
「なんかおまえら話していたようだったけど、みどり借りてくぞ」
「……わかったよ」
 哲郎は諦めたようだった。
「雄也さんのお父さんて、どんな人?」
 私が訊くと、
「さぁ……俺にもよくわかんねぇ。でも、いい人みたいだよ。えみりの話によると」
 えみりがそう言うんなら、信じてもいいかな。彼女の審人眼は確かだから。
「みどり。料理教えて」
 リビングに行くと、えみりが頼みに来た。
「うん。兄貴から話は聞いてたから」
「駿ちゃんから?」
「私でよければ、知ってることはちゃんと伝えるよ」
 それにしても、えみりにも殊勝なところがあったのね。舅さんの為に料理を作りたい、なんて。つねさんも来るんだろうけど。
「で、どんな料理を作るの?」
「カレーライス」
 あ、それなら誰でも作れるわ。
「もうルウも用意してあるのよ」
「へぇ、張り切ってるわね」
「もちろん! それでさあ、みどりが作ったような美味しいルウを私も作ってみたいんだけど」
 あ! 市販のルウを使わずにカレー粉とスパイスだけを使ったカレー! せっかく時間をかけてできたのだから、とっておこうと思っていたら、次の日なくなっていたカレー!
 食べた犯人はえみりであったか。単独犯とは考えにくい。雄也も一枚噛んでそうだ。
 それから、カレーの時は、ルウで間に合わすようになった。手抜きみたいで、自分の主義に反しているのだけど。――まぁいいか。
 私達は台所に立った。
 じゃがいもの皮むきは私が見本を示した。けれど、このえみりの手つき、おっかないんだよなぁ……。にんじんも一応皮を取った。
 えみりはにんじんを切ろうとする。
「えみり、包丁を使う時は、猫の手よ」
「猫の手?」
「そう。指を切らないように引っ込めるの」
 私はやってみせた。
「へぇー、勉強になった」
「お母さんのお手伝いとかしなかったの?」
「うん、手伝えたら良かったんだけど」
 えみりが寂しそうに見えたのは、気のせいだったろうか。私は指導を続けた。
「カレー粉をしょうがやニンニクと炒めると、香ばしくなるわよ。チョコレートある? ――あるなら隠し味に入れましょ」
 
おっとどっこい生きている 64
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