おっとどっこい生きている
62
「みどりさん達送って行くから」
 そう言って、頼みもしないのにしおりがついてきた。
 だが、この時のしおり、私達を栄高校にまで引っ張ってきた時のような元気がない。
「どうしたの? しおりちゃん」
 ついにたまりかねて、訊いてみた。
 しおりは半ベソだった。
「ねぇ……私と溝口さんじゃ……勝ち目ないよね」
 彼女は項垂れていた。
 確かにそうかもしれないが、しおりちゃんにはしおりちゃんの魅力があるよ。
 そう言いたかったが、言えなかった。
 リョウも、同じ気持ちなのだろう。口をぱくぱくさせている。
「溝口さん、しおりちゃんの家にも来てたの?」
 無理矢理話題を変えてみる。
「うん。前は家の教会来てたよ。彼女、クリスチャンだから」
 ああ、そう言えば、溝口さん、麻生のところの教会に来なかったって言ってたな……。
「あたし……あたしがもっと美人だったら……霧谷も振り向いてくれたかな」
 聞こえないように、しおりがぼそっと言った。
「あ、当時の話よ。今は全然」
 しおりは笑いながら手を振る。
 嘘だ。
 しおりの笑いには、嘘の匂いがする。
 きっと今でも霧谷のことを……。
 そりゃ、麻生を傷つけ、多大な迷惑を及ぼした彼であるが、人間とはそんなもんじゃないだろうか。
 傷つけ、傷つき、憎しみ合う。
 それを赦すのが即ち――
 愛。
 なぁんて、クサイこと思っちゃったけれど。
 霧谷を赦すことができない限り、しおりも辛いのじゃないかな。
「しおり、なんでもっと美人に生まれなかったんだろ」
 問題はそこじゃない。そこじゃないけども……。
「しおりは可愛いよ!」
 あ、リョウに先を越された。
「リョウさん」
「あ、ごめん」
 リョウは赤くなって口元を押さえる。
 もしかするとこれは……。
(リョウ、アンタ、もしかしてしおりちゃんのこと好きなの?)
(ばっ……ばかな。第一そこまで行ってねぇし)
「なに二人でこそこそ話してるの?」
「何でもねぇよ。な」
「う、うん」
 少なくとも、リョウがしおりちゃんを憎からず思っているのはわかった。
「ありがとう。リョウさん、優しいね」
 しおりがふわりと笑みを浮かべた。
 石鹸の匂いがほのかに香った。まっ白いTシャツによく似あう。
 少し混じった汗の匂いも健康的だ。
 そして、しおりが結構肌が焼けて黒くなっているのにも改めて気が付いた。
「ねぇ、しおりちゃんて、運動部?」
「えー、わかる?」
「だって、日に焼けてるもん」
「陸上部だよー。これでも栄高校の未来を担うって言われてんだよー」
「そんな期待の星が部活サボって大丈夫?」
「うん。先生には休むって言ってあるしぃ」
 しおりはわざと語尾を伸ばした。
「それに、霧谷の話、訊けて良かったよ。溝口さんじゃ勝ち目ないもんね。でもあたし、今までアイツを避けて通ってきた。真相を知る勇気を持てたのは、みどりさん達のおかげだよ」
 いや。余計なお世話だったかもしれないんだけどね……。
「ありがとう」
 笑顔でそう言われちゃ、「可愛いな」って思うじゃない。
 リョウもそのようだ。
 こんな妹、欲しいな……。
 思えば、お父さんもお母さんも、トンガで新婚生活みたいなことやってのよね。まだ子供授かるのに間に合うかな。兄貴がお母さんが二十四の時に生まれた子供だから……。
 って、何考えてんのかしら。私ったら。
「おい、秋野。何赤くなってんだよ。もしや、スケベなこと考えてるんじゃ……」
 当たり。どーん。
 リョウったら鋭い!
 今までだと、ここでむきになって怒ってるとこだけど――私も少しずつ変わっていってるみたい。
 耳年増なのは相変わらず――うん、結構大人の雑誌とか読んでるけれどね。
 彼氏ができたせいかな。雄也で免疫つけたかな。
「やぁね。リョウったら」
 私は余裕たっぷりにホホホと笑った。
「秋野。その反応、気味悪い」
 その後、私がリョウに思いっきり反撃の肘鉄を食らわしたことは言うまでもない。

 私は荷物を取りに図書室に行った。
 全部置いといたままにしておいたからである。
 先客がいた。頼子である。
 何やらぶつぶつと呟いている。
 あ、あれは……!
 もしかして、『黄金のラズベリー』の原稿じゃ……。
「頼子」
 頼子がびくってなったのは、私の気のせいかしら。
「どうしたのよ。みどり。部活の時間にいなくなるなんて」
「いや、ちょっと野暮用で……頼子こそ、もう帰ったかと思った」
「うん。ごめんね。原稿勝手に読んで」
「いいわよ。そんなこと」
「じゃあさ、このできた分、コピーさせてもらっていい?」
「いいけど」
「じゃ、借りるわね」
 頼子は、図書室のコピー機に向かった。
 なんか変だな。
 私の勘(あまりあてにならないが)が働いている。
「ねぇ、頼子。アンタ、小説書いてんの?」
 応えはない。
「ねぇ、頼子ったら」
「うるさいわね! ちゃんと書いてるわよ!」
 頼子は苛立たしげに怒鳴った。
 どうしたってんだろ。
 相手から、ずい、と無言で原稿を手渡された。
 機嫌悪そう。松下先生か、それとも武田とかと喧嘩でもしたのかな。
 まぁ、放っておけばいずれ頭も冷えるだろう。私は校門で待っていたリョウと帰ることにした。
 
おっとどっこい生きている 63
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