おっとどっこい生きている
61
 霧谷……この人が……。
 麻生を裏切り、陥れた……。
 そんな風には見えないんだけど。
 顔のパーツも小作りで、美少年――と言うより、優男だな、うん。
 気も弱そうだし、そんな大それたことする人には思えない。
 麻生の方がよっぽど悪党って気がする。
「霧谷。この人、秋野みどりさん。兄貴にはずいぶんお世話になったんだって。ついでに隣にいるのがえーと……リョウさん」
「ついで?!」
 おまけ扱いされて、リョウは機嫌を損ねた。
 しかも、まだフルネーム覚えてもらっていない。
「ついでってなんだよ……ついでって……」
 ぶつぶつ呟いている。
 だが、私以外、そんなことに気を留める者は誰もいなかった。
「お……お世話って?」
 霧谷がおずおずと言った。
「アンタと同じことを、兄貴もするようになったのよ! この人は兄貴の被害者! いい?!」
 しおり、すごい迫力。
 まぁ、私も言いたいことがあったんだけど、この人を扱き下ろすのは可哀想だ。そんな気がした。
「ゆ……許してくれ!」
 霧谷が泣いている。
 もういいよ、しおりちゃん。
 私、怒ってないから。
 だってこの人、麻生よりも弱いじゃない。
 私とこの学生には、何の関係もないんだし。
「みどりさん、どうしたの?」
「もうやめよ? しおりちゃん」
「だって、こいつのせいで、兄貴が変になったんだよ! 兄貴だって、みどりさん達に対してずいぶんひどいこと書いてたようだし」
「それとこれとは話が違うんじゃない?」
「違わないよ!」
 しおりは地団太を踏んだ。
「あたしの家庭を壊したのは、アンタよ!」
「悪かった!」
 霧谷が土下座をした。
 学生服に砂がつくわよ。ここは校庭なんだから。
 でも……間接的にでも、私はこの人から被害を被ったんだなぁ。
 いくら謝っても許さないわ――と、しおりが冷たい声で言った。
「僕は……どうしたらいいんだい?」
 私はリョウと顔を見合わせた。
「霧谷さん……もういいですよ」
「そうっすよ」
 直接の加害者は、麻生清彦だし。
 私達は、霧谷さんを立ち上がらせようとした。
「甘やかしちゃダメ!」
 しおりが、よく通る声で怒鳴った。
「霧谷――アンタは、あたしの恋心を踏みにじったのよ!」
「しおり……」
「気安く呼ぶのは止して!」
「――わかったよ。でも、僕だって、傷ついたんだ」
「言い訳なんか聞きたくない!」
「ちょっと待った」
 リョウが割り込んできた。
「アンタら二人にどういう経緯があったかオレらは知らない。でも、話くらい聞いてやってもいいんじゃないか?」
「優しいのね、リョウさん――わかったわ。霧谷の言い分も聞いてあげる」
 しおりが折れた。
「どこから始めよう……恋……そうだ。当時、僕も恋していたんだ。でも、その人は麻生に恋していた――でなかったら、僕はあんなことやってなかったはずだ」
「で?」と、リョウが話を促す。
「僕は……麻生がちょっと困った立場に立てばいい、と言う気持ちで、その子に『麻生がカンニングしているみたいだ』と言ったんだ」
「裏サイトにも書き込んだんだよね」
「そう……ちょこっと……。でもまさか、あんな騒ぎになるとは――」
 霧谷は、ひくっとしゃくりあげた。
「結局その子に説得されて名乗り出たんだけど――麻生は、まだ僕を許していないんだね」
「そうよ。兄貴、アンタの話題になると、すぐ話を逸らすもの」
 麻生にとって、霧谷のことは、まだ心の傷になっているみたいだ。
 だけど知らなかった。霧谷も、恋をしていたなんて。
 この人は、しおりの気持ちに気付いていたのかしら。
 しおりの方に心が傾いていれば、また違う展開もあったかもしれなかったけれど。
 もう遅い……。
 けれど、しおりはまだ本当は諦めていない……と私は思う。
 本当に見限っていたら、こんなところまで私達を連れては来ないだろう。
「ところで――その人、アンタが恋していたその人、名前、何て言うの?」
 しおりが、ためらいがちに訊いた。
「もう時効だから言うけど――溝口妙子さんだよ」
「溝口さん?!」
 しおりが素っ頓狂な声を上げた。
「溝口サンを?!」
 リョウも驚いたようだった。
「だ、誰? 溝口さんて」
 私は一人、話に乗り遅れた。
「白岡じゃ有名な人だよ。オマエ知らなかったの?」
 リョウが呆れ返ったように言った。悪かったわね、知らなくて。
 聞いた覚えはあるんだよね。ほんと、ここまで出かかってるんだけど……誰だったかしら。
「演劇部の溝口サンだよ。生徒会役員の選挙に出ないか?と言う誘いも断ったとか」
 ああ、思い出した。
 とても美人で、確か性格も良いとか。私も何度か会ったことがある。それなのに、忘れてた。あの綺麗な人を。私のデータバンクもあてにならないわね。
 生徒会役員か。私にも話が来たことがあるけれど。
 多分溝口さんが出れば、当選確実だと考えた人もいたのだろう。
 にしても、女のことには詳しいのね。リョウ。
「溝口さんかぁ……それじゃ、高嶺の花だね」
 しおりが初めて、同情めいた口調になった。
「でもそれとこれとは別! どうして男らしくアタックしなかったのよ! そしたら、私もまだアンタのこと好きでいられたのに!」
「ごめん、しおり。君の気持ちに気付かないで」
「いいよ、もう」
 しおりは膨れっ面で言った。
「あの事件の後から、溝口さんも教会に来なくなったし」
「そっか……」
「アンタ、溝口さんに後で謝っといで」
「ああ」
 霧谷、すっかりしおりに尻に敷かれているの図。
「じゃ、みどりさん達にはここで改めて謝罪して」
「みどりさん、リョウさん。僕のせいで、麻生君が……。僕では麻生君の代わりにならないかもしれないけれど、申し訳ございませんでした。それから、麻生君は本当はいい奴なんです。とても……いい奴なんです」
 
おっとどっこい生きている 62
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