おっとどっこい生きている
58
「じゃ、私はもう行くから」
「おやすみなさい。――これ美味しいね」
 トリ雑炊をれんげですくって食べている哲郎の部屋から出ようとした時だった。
「みどりー、聞いて―」
「な、なになに?」
 満面の笑みを湛えたえみりが飛び込んできた。ついでに雄也も。
 この人達は、人のテリトリーを侵したからと言って、気に病むことはないんだろうなぁ……と言うか、まず、ない。
「今、雄也のお父さんから電話あったのー」
「へぇー。で?」
「純也の養育費と私達の学費は負担してもいいって」
「えみりの分まで払ってくれるってのが、泣けるじゃねぇか」
「良かったわねー」
「でも、バイトはしなきゃいけないけどさ」
「――だけど、なんで雄也さんのご両親が、今更お金出してくれるわけ?」
 私は訊いた。
「あっ、そう言えばそうね」
「――孫に、会いたいんだとよ。ほら、もう年だろ? 親父」
「ああ。なるほどね」
「孫の顔見に来ていいかって、言うんだよ。いいかい? みどり」
「もちろんよ」
 私が胸をどんと叩いた。だんだん太っ腹になってきたみたいだな。私も。
 と言うか、そうならなきゃ生きていけないって言うか。
 秋野みどり十七歳。おっとどっこい生きてます。
「それで? お父さん来る場合は、あらかじめ言ってくれると助かるんだけど」
 私にも都合と言うものがあるのだ。
「ああ。それは、相談して――」
「渡辺くん、えみりくん」
 哲郎が二人に近寄った。そして、二人の手を取った。
「おめでとう」
「まぁ、まだもらったわけではないけどねー」
「頑固親父だけど、やっぱり孫に会いたい誘惑にゃ勝てなかったみたいだな」
「と言うわけだから、お義父さんが来た時には、よろしくね」
 えみり。よろしくって、誰に言ってんの。そう口に出したら、相手は――
「みどりに決まってんじゃん」
 と答えた。
「哲郎さんは?」
「ああ。話相手お願い。哲郎歴史好きでしょ? お義父さんと話、合うと思うんだ」
 えみりは、はきはきと仕切っている。
 でも、私が何の役に立つんだろ。お茶を出すとか、お料理振る舞うとか?
 まぁ、私も歴史とか好きだから、話相手はできると思うんだけど。
「ん? どうしたの? みどり」
「雄也さんのお父さんが来たらどうしたらいいの?」
「テキトーにしてていいよ。どうせ気を遣う相手じゃないし」
 つねさんと初めて会った時は、めちゃくちゃ緊張したんだけど。
「それに、じーさんは、若い娘なら何だっていいんだよ」
 雄也さんのように、スケベなのかしら。だとしたら、私今後が心配……。
「やーだー。あの人、真面目そうに見えたけどぉ?」
 えみりの言葉に、
「いやぁ、ああ見えてむっつりでね」
 と、雄也が大声で言う。
「ちょっと、静かにしなさいよ。哲郎さん、ごめんね」
「いやいや、いいんだよ。みどりくん」
「さ、行きましょ」
 私達三人は、揃って部屋を出た。
 背中越しに、
「ありがとう」
 と言う台詞が聞こえた。気のせいだったかもしれないけど。
 宿題を終えた私はパジャマに着替え、部屋のベッドに寝転がった。
(そうだ、携帯……)
 父と母から、メールが届いている。
 むにむに……返信、と。
 どうせ大したことは書いていないから、割愛する。
 今日のことは話さない。お父さんはあれで忙しいだろうから、心配はかけたくない。
(……あ)
 しおりにメールしよう。
『今日は、家庭の事情に立ち入ってしまってすみませんでした』
 ――送信。
 少し経ってから、返信が来た。
『なぁんだ。そんなこと。兄貴やオヤはどうだか知らないけど、あたしは気にしてないよ。また遊びに来てね しおり』
 良かった。
 私は安心して、寝床に寝転がった。

 翌日――
 いつもと同じ朝がやってきた。
 いや、『いつもと同じ』ではない。同じように見えても、そこには、必ず何か変化があるものだ。
 哲郎も元気を取り戻したみたい。
「お代わり」
 雄也がご飯茶碗を差し出す。
「堂々としてるわね。居候のくせに。『居候 三杯目にはそっと出し』と言う諺、知らないの?」
 しかし、そう言いながらも私はご飯をよそってやる。自分でも偉いと思う。
「まだ二杯目だぜぇ」
「僕も、お代わり欲しいな。頼める?」
「いいわよ。哲郎さん」
「俺は居候で、哲郎はさんづけかよ。あーっ、おまえらもしかして」
「え? 何だい?」
「あ、それはないか。哲郎は奈々花とデキてるもんなー」
「違うんだよ、渡辺くん」
 哲郎は、少々困った顔になった。
 奈々花が聞いたら喜びそうな雄也の台詞だけど、哲郎はかえって迷惑そうだ。
 何でだろう。奈々花がいい娘なのは、哲郎も知っているはず。まぁ、奈々花の贔屓の引き倒しには、私もちょっと戸惑うことがあるけれど。
「僕はね――奈々花くんのことは妹として見てるんだよ」
「妹……それがアブないんだよなー」
「そうそう。私の知り合いなんかねぇー……」
「渡辺くん! えみりくん!」
 哲郎が立ち上がった。
「食事中は行儀よくしろよ。おまえら」
 味噌汁をすすりながら、兄貴が言った。
 兄貴の言う通りだ。哲郎さんまで渡辺夫妻のテンポにハマってどうすんの。まぁ、昨日の不自然な沈黙よりはマシだけど。
「おう、哲郎。――おまえ、昨日のこと、引きずっていないみたいだな」
「うん、まぁね、秋野くん。君の言うこともわかったし。確かに、僕はおせっかいだったと思うよ」
 
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