おっとどっこい生きている
55
「お水のお代わりでもどうぞ」
 おばさんが、大きな水差しにいっぱいの水を持ってきた。
「君達は信者ではないのかね?」
 さっきおばさんと一緒に、私達を出迎えてくれた五十がらみの恰幅のいい男性が言った。この人が麻生牧師なのだろうか。
「いえ。哲郎さん以外は、クリスチャンではありません」
「では、やはり遊びに来たのかね? 清彦の友達が来るのも、近頃ではめっきり少なくなったがなぁ」
 友達……全然違うけど、それを言うと角が立ちそうなのでやめておいた。
「退屈なところでしょう? 礼拝も今日は終わってしまったし。尤も、誰も来ませんけどねぇ」
 牧師の奥さんが口を挟んだ。
「ああ、そう言えば、名前を聞いていなかったな」
 麻生牧師の言葉に、
「私は秋野みどりと言います。そしてこちらが――」
「佐藤哲郎です」
「渡辺雄也っす〜。この子が愛息子の純也」
「えみりです。雄也の妻です」
 ――後は、おのおのがめいめいに自己紹介をしていった。
「私は麻生広秀。この教会の牧師です」
 思っていた通り、この眼鏡をかけた初老の紳士が、麻生牧師だった。
「こちらは妻の明江」
「清彦がお世話になってます」
「いや、おれたちゃ初めて会ったんだけど」
 雄也が戸惑いながら言った。
「――麻生牧師」
 哲郎が、ちょっと怖い声を出した。
「さっき奥さんが、息子さんに煙草代を渡してましたが」
「ああ、それかね」
 麻生牧師は座り直した。
 風鈴がちりんちりんと鳴った。
「煙草代で済むのなら――何と言うことはないですよ」
「お小遣いも出しているのですか?」
「――ああ」
「小遣いだけでは足りないのですか? 息子さんは」
「それは、私どもでもわかりかねますなぁ。なぁ、明江」
「ええ」
「何故お金で解決しようとするのです?」
「お金って言ったって、微々たるものですよ。それに、問題を起こされても困るし」
「――問題って、家で暴力ふるうとかですか?」
「――家出するんですわ」
 麻生牧師が困ったように頭を振った。奥さんの明江さんは、心配そうな顔をしてエプロンを揉み合わせている。
「清彦も、昔はそれはそれはいい子でねぇ……人気者でもあったんですわ。だから、私達は、あの子が再び元に戻れるように、毎日祈っていますよ」
「それで、清彦くんは救われるんですか?」
 哲郎の眉間がぎゅっと狭まる。
「神様に祈ったぐらいでは、今の清彦くんは救えないと思いますけれどねぇ」
 へぇー。哲郎から意外な言葉。
 でも、私も今回は哲郎の肩を持つ。
 だいたい矛盾してるわ。煙草代をやりながら、息子の更生を願っているなんて。
「あなたがたは、親として、息子さんに向き合わなければならないのではないですか?!」
 ブラヴォー! 佐藤哲郎!
 私は心の中で手を叩いた。奈々花はうっとりと眺めている。
 その時――
 がちゃっと物音がしてドアが開いた。
「パパ、ママ。その人の言う通りよ」
「あ、あの……この娘は?」
 今日子が訊くと、その女の子は途端に笑顔になった。
「あたし、麻生しおり。蟹座のO型。栄高校の一年。現在彼氏募集中でーす」
 そう言って、ピースサインを額にかざした。
 ショートカットの活発そうな子だ。健康さが匂ってくるようだ。
「白岡高校ではないの?」
 今日子がおっとりと訊く。
「それがさぁ、あたしバカだから落ちちゃってさ」
 あははっとしおりが笑う。
「でも、本当に優秀な人は城陽行くよ。――あ、ごめん。あなた達白岡?」
「そうよ」
「そっちのケバい人達も白岡?」
「私達は大学生よ。哲郎は浪人だけど」
 えみりが言った。
「じゃ、その赤ちゃんは?」
「私達の息子」
「えー、大学生のくせに赤ちゃんこさえるなんて不良!」
「どっちが不良よ! どうせ今までの話、隠れて聞いてたんでしょ?」
「あ、バレてた? 何となく出づらくってさぁ。これでも空気読む方よ、あたし」
「そうかしら?」
「まぁまぁ。えみり。悪気はないようだから」
「ふん。雄也ってば、本当に可愛い娘に甘いんだから」
「しおり、おまえいつから私達の話を聞いていたんだ」
「パパ、その猿顔の人がパパに意見しているところからだよ」
 この場に頼子がいなくて良かった――と私は思った。
(本当に優秀な人は城陽行くよ)
 その通りなのだ。しおりは正しい。正しいからこそ、腹が立つ人もいるのだ。
 もう既に過ぎ去った話題にこだわるのもどうかと思うが、私は城陽に受からなかった時の頼子の落ち込み具合も知っている。でも、あそこは早稲田慶応……ううん、東大を狙っている人々が行くところだからなぁ……。
「ただいま」
 麻生が帰ってきた。私達のいる部屋に来ると、
「なんだ。おまえら。まだいたのか」
 と、銜え煙草で迷惑そうに顔をしかめた。
 煙がもうもう。しかも、部屋はやに臭くなる。
 私は水差しを持つと、麻生のところへ行き、ざぱっと残っていた水をかけた。
「迷惑よ! アンタ未成年でしょ! 二十歳になって、自分で金稼げるようになったら吸いなさい!」
「やるー♪」
 しおり、ピューと口笛を吹いた。
「兄貴が一本取られるとこ、一度見てみたかったんだ。ねぇ、メアド教えてよ」
「メアド?」
「ああ、こいつ、ケ―タイ持つようになったの、この間からだから、赤外線とか知らねーよ」
 リョウが代わりに説明してくれた。
「えー、めっずらし。じゃあ、あたしが教えたげる。あ、あなた、名前なんて言うんだっけ」
「秋野みどり」
「へー、『秋のみどり』か。風流じゃん」
「あ、そうだ。子持ちの大学生カップルさん達は、当然ケ―タイ持ってるわよね。それから、白岡高校のみなさんも」
「それがさぁ、俺達ケ―タイ代払ってないんだよね。だから止められてるの」
 雄也は残念そうだった。
 私も今持ってないんですけど、と友子が言う。僕も持ってない、と隼人。哲郎も当然持ってない。
「えー、使えない人多いじゃん。じゃあ、連絡できる人だけでいいから教えてよ。あたし、あなた達みたいな友達欲しかったんだ。また来てよ」
 
おっとどっこい生きている 56
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