おっとどっこい生きている おばさんが、大きな水差しにいっぱいの水を持ってきた。 「君達は信者ではないのかね?」 さっきおばさんと一緒に、私達を出迎えてくれた五十がらみの恰幅のいい男性が言った。この人が麻生牧師なのだろうか。 「いえ。哲郎さん以外は、クリスチャンではありません」 「では、やはり遊びに来たのかね? 清彦の友達が来るのも、近頃ではめっきり少なくなったがなぁ」 友達……全然違うけど、それを言うと角が立ちそうなのでやめておいた。 「退屈なところでしょう? 礼拝も今日は終わってしまったし。尤も、誰も来ませんけどねぇ」 牧師の奥さんが口を挟んだ。 「ああ、そう言えば、名前を聞いていなかったな」 麻生牧師の言葉に、 「私は秋野みどりと言います。そしてこちらが――」 「佐藤哲郎です」 「渡辺雄也っす〜。この子が愛息子の純也」 「えみりです。雄也の妻です」 ――後は、おのおのがめいめいに自己紹介をしていった。 「私は麻生広秀。この教会の牧師です」 思っていた通り、この眼鏡をかけた初老の紳士が、麻生牧師だった。 「こちらは妻の明江」 「清彦がお世話になってます」 「いや、おれたちゃ初めて会ったんだけど」 雄也が戸惑いながら言った。 「――麻生牧師」 哲郎が、ちょっと怖い声を出した。 「さっき奥さんが、息子さんに煙草代を渡してましたが」 「ああ、それかね」 麻生牧師は座り直した。 風鈴がちりんちりんと鳴った。 「煙草代で済むのなら――何と言うことはないですよ」 「お小遣いも出しているのですか?」 「――ああ」 「小遣いだけでは足りないのですか? 息子さんは」 「それは、私どもでもわかりかねますなぁ。なぁ、明江」 「ええ」 「何故お金で解決しようとするのです?」 「お金って言ったって、微々たるものですよ。それに、問題を起こされても困るし」 「――問題って、家で暴力ふるうとかですか?」 「――家出するんですわ」 麻生牧師が困ったように頭を振った。奥さんの明江さんは、心配そうな顔をしてエプロンを揉み合わせている。 「清彦も、昔はそれはそれはいい子でねぇ……人気者でもあったんですわ。だから、私達は、あの子が再び元に戻れるように、毎日祈っていますよ」 「それで、清彦くんは救われるんですか?」 哲郎の眉間がぎゅっと狭まる。 「神様に祈ったぐらいでは、今の清彦くんは救えないと思いますけれどねぇ」 へぇー。哲郎から意外な言葉。 でも、私も今回は哲郎の肩を持つ。 だいたい矛盾してるわ。煙草代をやりながら、息子の更生を願っているなんて。 「あなたがたは、親として、息子さんに向き合わなければならないのではないですか?!」 ブラヴォー! 佐藤哲郎! 私は心の中で手を叩いた。奈々花はうっとりと眺めている。 その時―― がちゃっと物音がしてドアが開いた。 「パパ、ママ。その人の言う通りよ」 「あ、あの……この娘は?」 今日子が訊くと、その女の子は途端に笑顔になった。 「あたし、麻生しおり。蟹座のO型。栄高校の一年。現在彼氏募集中でーす」 そう言って、ピースサインを額にかざした。 ショートカットの活発そうな子だ。健康さが匂ってくるようだ。 「白岡高校ではないの?」 今日子がおっとりと訊く。 「それがさぁ、あたしバカだから落ちちゃってさ」 あははっとしおりが笑う。 「でも、本当に優秀な人は城陽行くよ。――あ、ごめん。あなた達白岡?」 「そうよ」 「そっちのケバい人達も白岡?」 「私達は大学生よ。哲郎は浪人だけど」 えみりが言った。 「じゃ、その赤ちゃんは?」 「私達の息子」 「えー、大学生のくせに赤ちゃんこさえるなんて不良!」 「どっちが不良よ! どうせ今までの話、隠れて聞いてたんでしょ?」 「あ、バレてた? 何となく出づらくってさぁ。これでも空気読む方よ、あたし」 「そうかしら?」 「まぁまぁ。えみり。悪気はないようだから」 「ふん。雄也ってば、本当に可愛い娘に甘いんだから」 「しおり、おまえいつから私達の話を聞いていたんだ」 「パパ、その猿顔の人がパパに意見しているところからだよ」 この場に頼子がいなくて良かった――と私は思った。 (本当に優秀な人は城陽行くよ) その通りなのだ。しおりは正しい。正しいからこそ、腹が立つ人もいるのだ。 もう既に過ぎ去った話題にこだわるのもどうかと思うが、私は城陽に受からなかった時の頼子の落ち込み具合も知っている。でも、あそこは早稲田慶応……ううん、東大を狙っている人々が行くところだからなぁ……。 「ただいま」 麻生が帰ってきた。私達のいる部屋に来ると、 「なんだ。おまえら。まだいたのか」 と、銜え煙草で迷惑そうに顔をしかめた。 煙がもうもう。しかも、部屋はやに臭くなる。 私は水差しを持つと、麻生のところへ行き、ざぱっと残っていた水をかけた。 「迷惑よ! アンタ未成年でしょ! 二十歳になって、自分で金稼げるようになったら吸いなさい!」 「やるー♪」 しおり、ピューと口笛を吹いた。 「兄貴が一本取られるとこ、一度見てみたかったんだ。ねぇ、メアド教えてよ」 「メアド?」 「ああ、こいつ、ケ―タイ持つようになったの、この間からだから、赤外線とか知らねーよ」 リョウが代わりに説明してくれた。 「えー、めっずらし。じゃあ、あたしが教えたげる。あ、あなた、名前なんて言うんだっけ」 「秋野みどり」 「へー、『秋のみどり』か。風流じゃん」 「あ、そうだ。子持ちの大学生カップルさん達は、当然ケ―タイ持ってるわよね。それから、白岡高校のみなさんも」 「それがさぁ、俺達ケ―タイ代払ってないんだよね。だから止められてるの」 雄也は残念そうだった。 私も今持ってないんですけど、と友子が言う。僕も持ってない、と隼人。哲郎も当然持ってない。 「えー、使えない人多いじゃん。じゃあ、連絡できる人だけでいいから教えてよ。あたし、あなた達みたいな友達欲しかったんだ。また来てよ」 おっとどっこい生きている 56 BACK/HOME |