おっとどっこい生きている
54
 夕方、私達は麻生牧師のいる教会に向かって歩いていた。
 麻生は不満そうだった。
「なんでこんなについてくるんだ!」
 そう言われるのも無理はないかも知れない。
 なんせ、麻生を入れれば十人以上いたからだ。
 純也は父親の腕に抱かれている。
「人数は多い方が楽しいじゃない」
 私はけろりとすまして答える。
 だが、決して、彼に対する嫌がらせではない……と思う。気が付いたらこうなってしまっていたのだ。
 奈々花と友子は、「今度は美和や頼子も教会に誘おうか」と言う話をしている。
 哲郎は……それを遠巻きに眺めている。
「哲郎、どう? 奈々花とは」
 私は隣に来て囁いた。
「どうって、別に……」
「何よ、歯切れ悪いわね。キスのこといつまでも女々しく気にしているなんて、男じゃないよ!」
 私は哲郎の背中をどんと叩いてやった。
「そのことについてなら、大丈夫だよ」
 哲郎は笑った。だがどこか力ないように見えた。
「奈々花くんはいい子だよ。なんで僕もあの子に恋することができないんだろう……」
 それは――哲郎の誠実さから来た言い方だった。
 哲郎は奈々花に惚れられない自分に困っているのだ。二股をかけると言うことが、性格上できないのだろう。そんなところが美点なんだけれどね。
 彼は奈々花を恋愛対象とみることができないのだろう。こればかりはどうしようもない。
 でも、いつか――そう、いつかでいいから、奈々花の方に振り向いて欲しい、と言うのは我がままだろうか。
 奈々花がこっちに視線をやったが、私が顔を向けると、黙って俯いた。聞かれていたのかしら。今の話。
「まだ? 結構遠いわね」
 えみりが言う。不平でなく、素直な感想だ。
「そうだな。俺ん家山の中だし」
「家の中が教会なの?」
「――まぁな」
「それじゃ、岩野牧師のところとおんなじね」
「規模は小さいけどな」
 麻生がえみりと話を交わしている。少なくとも、ちょっとした会話が成り立っている。
「みどり、アンタって案外気が多いわね」
 私の方に矛先が向いたので驚いた。
「――どう言う意味よ」
「桐生クンと言う彼がいるくせに、麻生クンにも声をかけるなんてね」
「違うわよ、これはね――!」
「秋野もわるかないけど、冬美の方が断然好みだね、俺は」
 麻生は人の悪い笑みを浮かべている。
 リョウが「くゎ……」と伸びをしてあくびをした。
「こいつ、全然色気ねぇしさ。桐生がなんでこんな女選んだのかわかんねぇ」
「私も、冬美がアンタのどこに惹かれたんだかわからないわ」
「何だと?!」
「何よ!」
「まぁま、落ち着いてちょうだい」
 えみりがとりなそうとした。
「何だよ? 化粧濃いババァ。その年でまだ男落とせると思ってんのかよ」
「うふふ。このくそガキ……ちょおっと一発殴ってもいいかしら」
 ああ、麻生もえみりも、今まで友好的とは言わないまでも普通に会話してたのに。
「俺も混ぜろ。恋女房の悪口言われて、黙っていられる夫はいないかんな。みどり、ちょっと純也抱いてろ」
「待ってよ!」
「――オレもグーではっ倒す」
「アンタはいいでしょ、リョウ」
「オレだってえみりサン気に入ってんだぜ。――邪魔すんなよ。秋野」
 私は泣いている純也を抱えたまま、どうしようかと考えあぐねていた。一触即発かと思われたその時。
「ねぇ、ここに看板みたいなのがあるんだけど」
 今日子の声だ。
 柱に打ちつけられた木の板に『神光教会』と書かれている。だいぶ雨ざらしになっていたようだ。
「ふぅん、神光教会と言うのが、アンタん家の教会なわけ?」
 私が訊くと、
「――まぁ、そうだ」
 と答えが返ってきた。
 えみり達は毒気を抜かれたらしい。その後は大人しくなった。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん」
 友子と手を繋いでいた隼人が麻生に話しかける。
「なんだ?」
「お兄ちゃんも、お祈りしているの?」
「祈りっつうか、まぁ、そうだな。おまえさんぐらいの年の頃は、何の疑問も抱かずに祈ってたな」
「今はどうなの?」
「今はあまり……」
「じゃあ、お兄ちゃんの分までぼくが祈ってあげるね」
 子供は素直だ。隼人が格別いい子と言うのもあるかもしれないが。隼人が祈りを唱え始めると、「おい、よせよ。こんなところで」と麻生が慌て出した。
 しかし、その麻生の表情も和らいで見えるのは気のせいだろうか。
「さ、着いたぞ。狭いし、なーんもない教会だ」
 確かに、古びてはいる。それに小さい。
 草いきれがむんむんする。今日は暑い。水でも欲しいぐらいだ。
 こんなところでひっそりと礼拝を守っているとは。
 なんだか昔の隠れキリシタンを思い起こさせた。
「ただいま」
 麻生は、無愛想な顔をしている。面白くないのはわかるが、もうちょっと何とかなんないのかなぁ……。
「あら、あらあら。お客さんがたくさんお見えになったのね。あなた、あなた。清彦がお友達連れて来たわよ」
「こんな奴ら、友達でも何でもねぇよ」
「私だって、アンタのこと友達と認めてないわよ」
 麻生の悪態に、えみりがつっかかる。
「私達は、ただついてきただけですから……」
「そうそう。麻生さんは、学校の先輩でしてね」
「そうだったの。さ、あがっていらして」
 人の良さそうなおばさんだな。麻生って、何でグレたのかしら。やっぱり、昔の親友のことで。
「おう。お帰り」
 体格の良い男の人が、奥から出てきた。
「ほう。こんなにたくさん人が訪れるのも珍しいね。ごらんの通り、大したものもないところだ。まぁ、あがっていってくれたまえ」
「帰るときは勝手に帰りな。――おい、お袋。煙草代」
「……吸い過ぎないでね。清彦」
「うるせぇ! 指図すんな!」
 麻生は出て行ってしまった。
 それにしても――高校生に煙草代?
「どうも、お恥ずかしいところをお見せしてしまって」
 違う。なんか違う。
「水でもどうぞ。近くの湧水を汲んできたものですが」
 冷たい水は喉を潤すだけでなく、五臓六腑に染みわたり、不快な暑気も吹き飛ばす。私は、こんなところに住んでいる麻生を少し羨ましく思った。
 
おっとどっこい生きている 55
BACK/HOME