おっとどっこい生きている
53
 私が川島道場から帰って来ると、つねさんがリビングでお茶を飲んでいた。皆もいる。
「つねさん!」
「お久しぶりですわね。みどりさん」
 つねさんは、夏物の着物をきちんと着込んでいた。立ち上って、腰を屈めて礼をする。
「いえ、いいです。そのままで」
 私は焦って言った。
 つねさんはまたソファに座った。柔らかめのソファだが、体が沈まないように座っている。
「えみりさん、お茶が上手に入っていますね」
「そりゃあまぁ、お茶にだけは自信あるから」
 つねさんに、えみりが笑って応対する。
 雄也って、こう言う母親に育てられたんだよね……何か意外な気がする。彼のお父さんはどんな人だったんだろう。いや、それより、えみりの家族はどうなんだろう。今まで一回も会ったことないけど。
 哲郎も訳ありの家のようだし、うちの親は……まぁ、散々書いてきた通りだし。
 純也は雄也に抱かれて、すうすうと眠っている。純也は相当幸せな方に違いない。
「みどりさん、水臭いではありませんか。この間、誕生日を迎えたこと、えみりさんから聞きましてよ。一言でもお知らせくださると良かったのに」
「ああ……あれはね」
 私も自分の誕生日を忘れていた、なんていうことは言いたくなかった。
「まぁ、その、いろいろありまして」
 私は冷や汗を掻きながら、誤魔化した。
「私、お土産におはぎを作ってきましたのよ。もしよかったら、召し上がりませんこと?」
「いいんですか?」
「もちろん。お茶ともよく合いますし。えみりさん、皆さんにもお茶を淹れてきてくださいません?」
「わかったわ」
 この嫁と姑の関係は、今は良好なようだ。
 私達家族は――同居人も家族と言ってよければ――、おはぎを夢中で食べた。
 粒餡の匂いが食欲をそそる。甘さは、熱いお茶を飲んで中和する。
 もちろん、つねさんに対する感謝の意も忘れない。
 おはぎはいいお味だった。最後には餡子で手がべとべとになってしまったけど。
「お誕生日、おめでとうございます。みどりさん」
 つねさんの祝いの言葉に私は照れながら、ありがたく、
「どうも、みんなで楽しめる贈り物をいただきました。感謝いたします」
 と、返答をした。

 翌日――。私達いつものメンバーは教会に来た。奈々花達や隼人も。兄貴は家で留守番。
 教会は、いつもの通り、掃除が行き届いていて、床もつるつるだ。川島道場の清潔さに通じるものがある。それに、形容し難いが、いい匂いがする。
 麻生もいた。
 逃げなかったのね、そこだけは褒めてやろう。
 麻生のことは、特に話題には出なかった。奈々花達は多分彼をよく知らない。リョウは、シカトを決め込んでいるし。
「哲郎、会わせたい人がいるの」
「誰だい?」
「ちょっと来て」
 私は、哲郎を引っ張って行った。
「こちら、新聞部のえーと……」
「麻生清彦」
 麻生はぶすっとしながら答えた。
「僕は佐藤哲郎。四浪なんだ。この教会に世話になってる。よろしく」
 麻生は一瞬目を丸くしたが、その顔に蔑みの色が浮かんだ。
「ふぅん。よっぽど勉強ができなかったんだな」
「麻生先輩!」
「うん。そうなんだよ」
 哲郎が笑顔で肯定した。
 哲郎って、えらいんだなぁ……奈々花が惚れた訳も、ちょっとわかったような気がする。
 それにしても、麻生って、清彦って名前だったのね。意外な名前だ。『濁彦』の方が合っている。尤も、そんな名前はないか。
「哲郎さんはね――彼もいろいろあったんだ。話合うかと思って」
 私が言うと、
「はいはい、ご苦労様」
 嘲笑交じりの声が返ってきた。
 私はむっとした。
 が、ここで麻生のペースにのってしまったら負けだ。
「あのね、麻生先輩。聞いたわよ。アンタの過去」
「――四月バカからか?」
「当たり」
「ったくしょうもねぇ」
「まだトラウマになっているんでしょう?」
「あん時のことは、もう忘れた、忘れたよ」
「だったら――デマや中傷を新聞に書きつけることないじゃない。裏サイトでガセ流したりとか」
「へぇ……君、そんなことしてたの」
 哲郎が会話に入った。
「一度受けた心の傷は、簡単には治らないものだよ。僕だって、神様信じてるけど、時々悔しい思いに駆られることはあるもの」
「――アンタ、クリスチャンか?」
「そうだよ」
 哲郎の目は、優しさを湛えていた。
「秋野もクリスチャンか?」
「違うわ。まだ洗礼受けてないもの」
「洗礼受けないと、クリスチャンにはなれないと思うのか」
「そうだねぇ……クリスチャンと認められるのは、洗礼を受けた後だね」
 哲郎が説明する。
「――俺は、そう言うキリスト教徒の排他的なところが嫌なんだよな」
 午前の礼拝で、私は初めて新しい聖書を開いた。哲郎のプレゼントである。薄くて滑らかだが、なかなか破れにくそうな上質な紙を使っている。高かったんだろうな。
 礼拝が終わると、私達は麻生を牧師のところに連れて行った。
「岩野牧師。麻生くんのことを祈って欲しいんだ」
「――やめてくれ!」
 麻生が、初めて狼狽の色を浮かべた。
 岩野牧師は、「おや?」と言う顔をした。
「君は確か――」
 そう言って、牧師は、まじまじと麻生の顔を見る。
「清彦くんじゃないか? 麻生牧師のところの」
「ちっ」
 麻生は舌打ちした。
「だから本当は来たくなかったんだよ」
「えーっ?! 麻生ってクリスチャンだったの?」
 傍で聞いていたリョウが、驚きの声を上げた。
 私も何も言えなかった。
「麻生牧師には、私も随分お世話になったものだよ」
 牧師は、たちまち相好を崩した。
「清彦くんとは最近会っていなかったんだが……君が連れてきてくれたのかい?」
「いえ。みどりくんです」――と哲郎。
「そうかい。お父さんの麻生牧師に、よろしく言っておいてくれたまえ」
「麻生牧師も教会やってるの? もしそうだったら、連れて行ってほしいんだけど、いい?」
 私が訊くと、大した教会じゃねぇよ――と、麻生は吐き捨てるように言った。
 
おっとどっこい生きている 54
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