おっとどっこい生きている 「つねさん!」 「お久しぶりですわね。みどりさん」 つねさんは、夏物の着物をきちんと着込んでいた。立ち上って、腰を屈めて礼をする。 「いえ、いいです。そのままで」 私は焦って言った。 つねさんはまたソファに座った。柔らかめのソファだが、体が沈まないように座っている。 「えみりさん、お茶が上手に入っていますね」 「そりゃあまぁ、お茶にだけは自信あるから」 つねさんに、えみりが笑って応対する。 雄也って、こう言う母親に育てられたんだよね……何か意外な気がする。彼のお父さんはどんな人だったんだろう。いや、それより、えみりの家族はどうなんだろう。今まで一回も会ったことないけど。 哲郎も訳ありの家のようだし、うちの親は……まぁ、散々書いてきた通りだし。 純也は雄也に抱かれて、すうすうと眠っている。純也は相当幸せな方に違いない。 「みどりさん、水臭いではありませんか。この間、誕生日を迎えたこと、えみりさんから聞きましてよ。一言でもお知らせくださると良かったのに」 「ああ……あれはね」 私も自分の誕生日を忘れていた、なんていうことは言いたくなかった。 「まぁ、その、いろいろありまして」 私は冷や汗を掻きながら、誤魔化した。 「私、お土産におはぎを作ってきましたのよ。もしよかったら、召し上がりませんこと?」 「いいんですか?」 「もちろん。お茶ともよく合いますし。えみりさん、皆さんにもお茶を淹れてきてくださいません?」 「わかったわ」 この嫁と姑の関係は、今は良好なようだ。 私達家族は――同居人も家族と言ってよければ――、おはぎを夢中で食べた。 粒餡の匂いが食欲をそそる。甘さは、熱いお茶を飲んで中和する。 もちろん、つねさんに対する感謝の意も忘れない。 おはぎはいいお味だった。最後には餡子で手がべとべとになってしまったけど。 「お誕生日、おめでとうございます。みどりさん」 つねさんの祝いの言葉に私は照れながら、ありがたく、 「どうも、みんなで楽しめる贈り物をいただきました。感謝いたします」 と、返答をした。 翌日――。私達いつものメンバーは教会に来た。奈々花達や隼人も。兄貴は家で留守番。 教会は、いつもの通り、掃除が行き届いていて、床もつるつるだ。川島道場の清潔さに通じるものがある。それに、形容し難いが、いい匂いがする。 麻生もいた。 逃げなかったのね、そこだけは褒めてやろう。 麻生のことは、特に話題には出なかった。奈々花達は多分彼をよく知らない。リョウは、シカトを決め込んでいるし。 「哲郎、会わせたい人がいるの」 「誰だい?」 「ちょっと来て」 私は、哲郎を引っ張って行った。 「こちら、新聞部のえーと……」 「麻生清彦」 麻生はぶすっとしながら答えた。 「僕は佐藤哲郎。四浪なんだ。この教会に世話になってる。よろしく」 麻生は一瞬目を丸くしたが、その顔に蔑みの色が浮かんだ。 「ふぅん。よっぽど勉強ができなかったんだな」 「麻生先輩!」 「うん。そうなんだよ」 哲郎が笑顔で肯定した。 哲郎って、えらいんだなぁ……奈々花が惚れた訳も、ちょっとわかったような気がする。 それにしても、麻生って、清彦って名前だったのね。意外な名前だ。『濁彦』の方が合っている。尤も、そんな名前はないか。 「哲郎さんはね――彼もいろいろあったんだ。話合うかと思って」 私が言うと、 「はいはい、ご苦労様」 嘲笑交じりの声が返ってきた。 私はむっとした。 が、ここで麻生のペースにのってしまったら負けだ。 「あのね、麻生先輩。聞いたわよ。アンタの過去」 「――四月バカからか?」 「当たり」 「ったくしょうもねぇ」 「まだトラウマになっているんでしょう?」 「あん時のことは、もう忘れた、忘れたよ」 「だったら――デマや中傷を新聞に書きつけることないじゃない。裏サイトでガセ流したりとか」 「へぇ……君、そんなことしてたの」 哲郎が会話に入った。 「一度受けた心の傷は、簡単には治らないものだよ。僕だって、神様信じてるけど、時々悔しい思いに駆られることはあるもの」 「――アンタ、クリスチャンか?」 「そうだよ」 哲郎の目は、優しさを湛えていた。 「秋野もクリスチャンか?」 「違うわ。まだ洗礼受けてないもの」 「洗礼受けないと、クリスチャンにはなれないと思うのか」 「そうだねぇ……クリスチャンと認められるのは、洗礼を受けた後だね」 哲郎が説明する。 「――俺は、そう言うキリスト教徒の排他的なところが嫌なんだよな」 午前の礼拝で、私は初めて新しい聖書を開いた。哲郎のプレゼントである。薄くて滑らかだが、なかなか破れにくそうな上質な紙を使っている。高かったんだろうな。 礼拝が終わると、私達は麻生を牧師のところに連れて行った。 「岩野牧師。麻生くんのことを祈って欲しいんだ」 「――やめてくれ!」 麻生が、初めて狼狽の色を浮かべた。 岩野牧師は、「おや?」と言う顔をした。 「君は確か――」 そう言って、牧師は、まじまじと麻生の顔を見る。 「清彦くんじゃないか? 麻生牧師のところの」 「ちっ」 麻生は舌打ちした。 「だから本当は来たくなかったんだよ」 「えーっ?! 麻生ってクリスチャンだったの?」 傍で聞いていたリョウが、驚きの声を上げた。 私も何も言えなかった。 「麻生牧師には、私も随分お世話になったものだよ」 牧師は、たちまち相好を崩した。 「清彦くんとは最近会っていなかったんだが……君が連れてきてくれたのかい?」 「いえ。みどりくんです」――と哲郎。 「そうかい。お父さんの麻生牧師に、よろしく言っておいてくれたまえ」 「麻生牧師も教会やってるの? もしそうだったら、連れて行ってほしいんだけど、いい?」 私が訊くと、大した教会じゃねぇよ――と、麻生は吐き捨てるように言った。 おっとどっこい生きている 54 BACK/HOME |