おっとどっこい生きている
51
「おい、みどり。隼人くんのこと、送ってやれ」
 兄貴が命じた。
「え? でも、将人が……」
「みどり……変なところで鈍感なんだから」
 あっ、そうか。
 兄貴は兄貴なりに気を遣ってくれたわけね。
「僕も行くよ」
 と、哲郎。
「ばか。おまえは奈々花ちゃんとだ」
「――わかった」
 兄貴、どうもありがとう。
「いいか。桐生を絶対手放すなよ」
「なんで?」
 兄貴の言葉に、私が問い返す。
 兄貴が耳打ちした。
「俺は、馬面の甥や姪なんか欲しくない。桐生が相手だったら、美形が生まれるだろ? そしたら、親戚として鼻が高い」
 ……前言撤回。
「私のことより、兄貴はどうなのよ」
「ん? しばらくプレイボーイに徹するさ」
 なに見栄張ってんのよ。そんな相手もいないくせに。
「とにかく。俺はおまえの恋を応援してるからな」
 不純な動機で応援されてもねぇ……。
 まぁ、利害は一致してるけれどね。
「お邪魔しました。さようなら」
「さようならー」
 隼人もぶんぶんと元気良く手を振った。

「あー、楽しかったぁ」
 隼人は、パーティーの余韻を味わっているかのようだ。
「俺も、来てよかったよ」
 将人が言う。
「ねぇねぇ、友子お姉ちゃんて、優しいよね。美人だし。というか、みどりお姉ちゃんの友達って、みんな可愛いよ」
「なに言うか、このマセガキ」
 将人が、隼人の頭を軽く小突いた。
「いったーい」
「痛くはないだろ。加減してやってんだから」
「ううっ、今みてろ。剣道でつよくなってやっつけてやる」
「やれるもんならな。お兄ちゃんも今、つよぉい先生の元で教わってるからな――そう言えばマーシャちゃんはどうなったんだ」
「そこなんだよねぇ」
 隼人は眉を寄せて、難しい顔をした。
「ぼく、マーシャも好きだけど、友子お姉ちゃんのことも好きになっちゃったんだ。どうしよう」
 うーん、うーんと唸りながら、本気で考えているようだ。
「ま、存分に考えな。おまえが本気の恋をするのは、まだまだ先の話だろうから」
 将人は悩む弟の頭に手を置いた。
「また叩いたー」
「叩いてねぇだろ、全く」
 その会話は、傍で見てても微笑ましかった。
「ぼくオトナだよ。りっぱに恋しているもん。それなのに、お兄ちゃんたら子供扱いして」
「本当の恋とは、一人の人を幸せにしてあげることだよ」
「ふぅん。お兄ちゃんは、みどりお姉ちゃんと、ほんとの恋してる?」
 私達は面食らって、お互いの顔を見合わせた。
「ああ。してるよ」
 そう答えた将人の表情は、限りなく優しい。
「でもね、それまでにはいろいろな困難があったんだ。これからもあるかもしれない。でも、俺は本気でみどりを守り抜くよ」
 ああ、嬉しい。
 こんないい男にそこまで惚れられるなんて、女冥利に尽きるわね。私、もう死んでもいい!
 隼人が、私達二人の顔を交互に見合わせた。
「――ぼく、先に帰ってるね」
「なんだ、坊や。眠くなったのか?」
 将人が茶化す。
「ううん。ぼく、オトナだもん。一人で帰れるよ。じゃあね。みどりお姉ちゃん」
 バイバイ、と腕を振る。
「子供のくせに気を回しやがって」
「可愛いじゃない。確かにおませだけど」
「大人達の行動見て、育ってるからな。俺という、年の離れた兄弟もいることだし」
 でも、これからどうすればいいだろう。家に帰るのも勿体ないし、未遂に終わったキスの続きも恥ずかしい。
 何となく、蛇の生殺しに合ったみたいだ。
 どこかへ繰り出そうか。行く先の宛てもないけど。
 将人の方に目を遣ると、彼は、空を眺めていた。私も彼の視線を辿った。
 だんだん濃い藍に吸い込まれそうな気持ちになってくる……。
 ――将人が呟いた。
「手、つなぐ?」
 それは小さな声だったがここは今、静かだったので私の耳に届いた。
「うん」
 これぐらいはいいわよね、神様……。
 あ、嫌だ。なんで神様が出てくるのよ。
 芋づる式に哲郎のことも考えてしまうじゃない。
 そういや、奈々花は哲郎と上手く行ったかな。
 ――まぁ、いいや。あの二人のことは忘れよう。
 手を繋ぐのは初めてだったな。抱き締められたことはあっても。
 私は将人の手を握り返した。温かいのに汗ばんでなくて、心地良い。
 月が、私達を照らしていた。

「ただいま」
「おう、お帰り」
 兄貴が言った。
「哲郎さんは?」
「まだ帰ってきてない」
「ふぅん……」
「へぇー、こりゃひょっとしてひょっとするかもよ」
「今頃ラブホの中だったりして」
 雄也とえみりは、お互いにきゃーっとはしゃいだ悲鳴を上げ合う。
「哲郎さんと奈々花を、アンタ達と一緒にしないで」
「冗談冗談。で、アンタ達はどこまで行ったの? キスぐらいしたでしょ?」
「えっと、それは……」
 私が戸惑っていると、
「まさか、手を繋いだだけってことはないわよね」
「あっははは。それこそまさかだろ」
 えみり達に図星を指された。
 そのまさかなんだけどね……。
 
おっとどっこい生きている 52
BACK/HOME