おっとどっこい生きている
5
「はーい」
 私はガチャッと玄関のドアを開けた。
「よぉ……って、なんだ、駿じゃないのか」
 私が目にしたのは、なんだかチャラチャラした男と、ケバい、キャバクラ嬢みたいな女。そして、この二人に似つかわしくないものが、女の腕の中にあった。それは――
「まぁ! 赤ちゃん!」
 これが、私の弱点と言っていいぐらい。赤ちゃんに対しては、メロメロになるって、兄貴が言ってたっけな。まぁ、事実だけど。
 私の友達(携帯持っていない子とは別人)で、赤ちゃんに泣かれるのがイヤだ、と言う子がいたけど、赤ちゃんは、泣くのが仕事よねぇ。
 抱いて、あやして、話しかけて、少しは歌でも歌ってあげれば、それでいいのにねぇ。無駄にデリケートなんだから。
 あ、そういえば、兄貴も――
「ゆっ、雄也! えみりっ! その物体は……!」
 いつの間にか、私の後ろに回っていた兄貴が、異星人でも見るように指差しながら震えていた。
 物体とは何よ。ちゃんと名前がついているはずよ。
「その子、何という名前なの?」
「ああ、この子? 純也よ」
「どういう字を書くんですか?」
「ええと……ちょっと待ってね。雄也。あの紙、見せてくれる?」
「ああ」
 差し出されたメモには、お世辞にも上手いとはいえない字で、『純也』と書かれていた。
「オレ、息子に一文字、同じ漢字をつけたんだ。ちなみに、雄也の『ゆう』は、雄々しいの『雄』ね」
 雄也が言った。
 ふぅん。あまり雄々しいとも思えないけど。
「アタシはえみり。平仮名そのまんま」
「君は?」
と、馴れ馴れしく雄也が聞いてきたので、
「秋野みどり」
と、ちょっとぶっきらぼうに答えた。
「もう。雄也ったら、ちょっとカワイイと、すぐナンパなんだから」
「ナンパじゃねーよ。お世話になるかもしれないのに、名前聞かなくてどうすんだよ」
 だったら、あなた達も名字聞かせてください。
 なんか、険悪なムードになってきたので、私は、また赤ちゃんの話に戻ろうとした。
「この子、生後何か月ですか?」
「まだ一週間しか経ってないのよ」
「へぇ〜。ちょっと抱かせてくれませんか?」
「いいわよ」
 小さいお手手。小さい足。ベビー服にくるまって、赤ちゃんは眠っていた。
「ゆすらない方がいいわね」
 まだ首も座っていない。当たり前だが。
 私は、母親になったことないから、扱い方なん自己流だけど、それでも、愛情はあるつもり。
 でも、兄貴は――
「雄也……赤ん坊が来るなんて、一言も言ってなかったろ」
「言えば、オマエが反対すると思ってさ」
「なんだ、おまえら。子供は実家に置いてくるなんて、ウソつきやがって」
「おまえも早くあかんぼに慣れろ。こんなカワイイ子とは同居してるくせに」
「関係あるか! それに、これは妹だ! 赤ん坊が来ると知っていたなら、一緒に暮らそうなんて、言わなかったぞ!」
「もうダメ。観念しな。えみりがやっと、あのうるさいババァから解放されたって、喜んでいるんだから」
「ババァ?」
 私の顔がぴくっと引き攣るのがわかった。どんな理由があるにせよ、お年寄りをババァ呼ばわりなんて許せない。
 えみりが、それに気づいたらしく、言った。
「だって、あのババァ……じゃなかった、姑、アタシの作った料理に、やれ、味噌汁がしょっぱいの、味が濃いの、なんて、うるさいのよ。純也が生まれたでしょ。そしたら、『えみりさん、ちゃんと子育てできるの』ですって。失礼しちゃうわよねぇ。私にだって、子育てぐらいできるわよ。ねぇ、雄也?」
「ああ。そうだとも。これからは、あの口うるさいババァがいないから、天国だぜぇ」
「ババァって、何よ……」
 私は、怒りに震えて、叫んだ。
「仮にも、あなた達、人の親でしょ! あなたがババァと呼んでいるお母さんだって、あなたを一生懸命育てたのよ! あなた達だって、将来この子が、ジジィとかババァとか呼んだら、嫌でしょ!」
 私は、びしっと、雄也を人差し指で指した。
「う……それは、まぁ……」
 雄也が、たじたじとなったようだった。
「でも、あのババ……じゃなかった、あの母親、オレのこと、馬鹿扱いばかりしてるんだぜ!」
「それは、あなたが馬鹿だからでしょ!」
 そこで私は、自分の言い過ぎに気付き、はっと口を押さえた。
(しまった――)
「ふん。ここでも、あのババァに匹敵する天敵がいたぜ」
「……悪かったわ。でもね、母親をババァ呼ばわりすることが許せなかったの」
 私だって、父や母に、そんなに敬意を払っている方じゃないし、そうえらそうなこと言えないもの。それに、相手は赤の他人ですものね。かっとすると、見境なくなるのは、私の悪い癖だわ。
「アタシ達、出来ちゃった婚だから、いろいろイヤミ言われるのよね。ふん。百年前じゃあるまいし」
 できちゃった婚の風潮は、私も、面白くないとは思っているけれど……。
 でも、純也くんの可愛さの前には、敵わない、というか、いまいち厳しくなりきれないんだよね。
「訊くの遅れてしまったけれど、あなた達、兄のお友達ですか?」
「そうよ。ここに住むことにしたの」
 えみりは言った。
「俺、反対! 反対!」
 今まで忘れ去られていた兄貴が口を出した。
「赤ん坊が来ると知ってたら、家に来いなんて、誘わなかったよ」
 あ、そういえば。
「お兄ちゃん。一緒に暮らそうって、この夫婦に言ったの?」
「言ったよ。でも、赤ん坊はお断りだ」
 そうなのだ。
 兄貴は、私と違った意味で、赤ちゃんが弱点なのだ。
 どうしてかと、以前、聞いてみると、
「抱いていて、うっかり落としちまったら、壊してしまいそうだ」
だって。私、思わず笑ってしまったわ。
「いいじゃない。置いてあげたら」
 この夫婦二人だけなら、追い出すつもりだったけど、こんな可愛い赤ちゃんがいるんではねぇ――赤ちゃんは強し。さすが、保護欲引き立てる為に、愛らしく産まれるだけのことはある。
「だ、だけど……」
「我々だけは、冷たい人間にならないようにしようぜ。お兄ちゃん」
「うーっ、だけど、赤ん坊の扱い方なんて知らないぞ! それに、俺が赤ん坊苦手なわけ、おまえも知ってるだろ」
「うん。無駄に繊細だと思った」
「無駄にって、あのなぁ……」
「えみりさん、赤ちゃん、和室に連れて行っていいですか?」
「どうぞ」
「良かった良かった」
 雄也が言った。
「これで、ベビーシッターの心配をしなくていいわね」
と、えみり。
 あ、そうそう。これから、年上の人に対しても、地の文では、呼び捨てにするからね。よろしく。
 兄貴は、突っ立ったまま茫然としていた。ま、いい薬よね。
 そのうち赤ちゃんに慣れるかもしれないし。
 だけど、兄貴がこんなに取り乱したのを見たのは久しぶりだな。友達の前だから見せられる顔だったのかもしれないけど。
 そんなに赤ちゃんが嫌なのかな。変なの。
 私は、機嫌良く、襖を開けた。哲郎がこちらを見た。読みさしの本は、畳の上で平べったくなっている。
「哲郎さん。この家で暮らしてもいいわよ」
「本当かい?!」
「ええ。一気に家族が増えるんですもの。今さらひとりやふたりで、ぎゃあぎゃあ騒がないわ」
「家族が増えるって……それ、君の子供?」
「冗談」
 けらけらと、私は笑った。
「ええと……雄也さん、とえみりさんの子供よ」
「ああ、渡辺くんのところの」
「へぇ、渡辺っていうの、あの人達。じゃ、この子は渡辺純也ね。いい名前じゃない。あの両親、見かけのわりには、まとものようね」
「よっ、哲郎」
「渡辺くん」
「ま、そんなわけで、よろしく頼むよ」
「みどり、俺は赤ん坊のことは関知しないからな」
 ずかずかと、兄貴が近付く。
「いいわよーだ」
 私は、いっと、兄貴に対して舌を出した。
 そのとき、赤ちゃんが泣き出した。

おっとどっこい生きている 6
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