おっとどっこい生きている 私はガチャッと玄関のドアを開けた。 「よぉ……って、なんだ、駿じゃないのか」 私が目にしたのは、なんだかチャラチャラした男と、ケバい、キャバクラ嬢みたいな女。そして、この二人に似つかわしくないものが、女の腕の中にあった。それは―― 「まぁ! 赤ちゃん!」 これが、私の弱点と言っていいぐらい。赤ちゃんに対しては、メロメロになるって、兄貴が言ってたっけな。まぁ、事実だけど。 私の友達(携帯持っていない子とは別人)で、赤ちゃんに泣かれるのがイヤだ、と言う子がいたけど、赤ちゃんは、泣くのが仕事よねぇ。 抱いて、あやして、話しかけて、少しは歌でも歌ってあげれば、それでいいのにねぇ。無駄にデリケートなんだから。 あ、そういえば、兄貴も―― 「ゆっ、雄也! えみりっ! その物体は……!」 いつの間にか、私の後ろに回っていた兄貴が、異星人でも見るように指差しながら震えていた。 物体とは何よ。ちゃんと名前がついているはずよ。 「その子、何という名前なの?」 「ああ、この子? 純也よ」 「どういう字を書くんですか?」 「ええと……ちょっと待ってね。雄也。あの紙、見せてくれる?」 「ああ」 差し出されたメモには、お世辞にも上手いとはいえない字で、『純也』と書かれていた。 「オレ、息子に一文字、同じ漢字をつけたんだ。ちなみに、雄也の『ゆう』は、雄々しいの『雄』ね」 雄也が言った。 ふぅん。あまり雄々しいとも思えないけど。 「アタシはえみり。平仮名そのまんま」 「君は?」 と、馴れ馴れしく雄也が聞いてきたので、 「秋野みどり」 と、ちょっとぶっきらぼうに答えた。 「もう。雄也ったら、ちょっとカワイイと、すぐナンパなんだから」 「ナンパじゃねーよ。お世話になるかもしれないのに、名前聞かなくてどうすんだよ」 だったら、あなた達も名字聞かせてください。 なんか、険悪なムードになってきたので、私は、また赤ちゃんの話に戻ろうとした。 「この子、生後何か月ですか?」 「まだ一週間しか経ってないのよ」 「へぇ~。ちょっと抱かせてくれませんか?」 「いいわよ」 小さいお手手。小さい足。ベビー服にくるまって、赤ちゃんは眠っていた。 「ゆすらない方がいいわね」 まだ首も座っていない。当たり前だが。 私は、母親になったことないから、扱い方なん自己流だけど、それでも、愛情はあるつもり。 でも、兄貴は―― 「雄也……赤ん坊が来るなんて、一言も言ってなかったろ」 「言えば、オマエが反対すると思ってさ」 「なんだ、おまえら。子供は実家に置いてくるなんて、ウソつきやがって」 「おまえも早くあかんぼに慣れろ。こんなカワイイ子とは同居してるくせに」 「関係あるか! それに、これは妹だ! 赤ん坊が来ると知っていたなら、一緒に暮らそうなんて、言わなかったぞ!」 「もうダメ。観念しな。えみりがやっと、あのうるさいババァから解放されたって、喜んでいるんだから」 「ババァ?」 私の顔がぴくっと引き攣るのがわかった。どんな理由があるにせよ、お年寄りをババァ呼ばわりなんて許せない。 えみりが、それに気づいたらしく、言った。 「だって、あのババァ……じゃなかった、姑、アタシの作った料理に、やれ、味噌汁がしょっぱいの、味が濃いの、なんて、うるさいのよ。純也が生まれたでしょ。そしたら、『えみりさん、ちゃんと子育てできるの』ですって。失礼しちゃうわよねぇ。私にだって、子育てぐらいできるわよ。ねぇ、雄也?」 「ああ。そうだとも。これからは、あの口うるさいババァがいないから、天国だぜぇ」 「ババァって、何よ……」 私は、怒りに震えて、叫んだ。 「仮にも、あなた達、人の親でしょ! あなたがババァと呼んでいるお母さんだって、あなたを一生懸命育てたのよ! あなた達だって、将来この子が、ジジィとかババァとか呼んだら、嫌でしょ!」 私は、びしっと雄也に言ってやった。 「う……それは、まぁ……」 雄也が、たじたじとなったようだった。 「でも、あのババ……じゃなかった、あの母親、オレのこと、馬鹿扱いばかりしてるんだぜ!」 「それは、あなたが馬鹿だからでしょ!」 そこで私は、自分の言い過ぎに気付き、はっと口を押さえた。 (しまった――) 「ふん。ここでも、あのババァに匹敵する天敵がいたぜ」 「……悪かったわ。でもね、母親をババァ呼ばわりすることが許せなかったの」 私だって、父や母に、そんなに敬意を払っている方じゃないし、そうえらそうなこと言えないもの。それに、相手は赤の他人ですものね。かっとすると、見境なくなるのは、私の悪い癖だわ。 「アタシ達、出来ちゃった婚だから、いろいろイヤミ言われるのよね。ふん。百年前じゃあるまいし」 できちゃった婚の風潮は、私も、面白くないとは思っているけれど……。 でも、純也くんの可愛さの前には、敵わない、というか、いまいち厳しくなりきれないんだよね。 「訊くの遅れてしまったけれど、あなた達、兄のお友達ですか?」 「そうよ。ここに住むことにしたの」 えみりは言った。 「俺、反対! 反対!」 今まで忘れ去られていた兄貴が口を出した。 「赤ん坊が来ると知ってたら、家に来いなんて、誘わなかったよ」 あ、そういえば。 「お兄ちゃん。一緒に暮らそうって、この夫婦に言ったの?」 「言ったよ。でも、赤ん坊はお断りだ」 そうなのだ。 兄貴は、私と違った意味で、赤ちゃんが弱点なのだ。 どうしてかと、以前、聞いてみると、 「抱いていて、うっかり落としちまったら、壊してしまいそうだ」 だって。私、思わず笑ってしまったわ。 「いいじゃない。置いてあげたら」 この夫婦二人だけなら、追い出すつもりだったけど、こんな可愛い赤ちゃんがいるんではねぇ――赤ちゃんは強し。さすが、保護欲引き立てる為に、愛らしく産まれるだけのことはある。 「だ、だけど……」 「我々だけは、冷たい人間にならないようにしようぜ。お兄ちゃん」 「うーっ、だけど、赤ん坊の扱い方なんて知らないぞ! それに、俺が赤ん坊苦手なわけ、おまえも知ってるだろ」 「うん。無駄に繊細だと思った」 「無駄にって、あのなぁ……」 「えみりさん、赤ちゃん、和室に連れて行っていいですか?」 「どうぞ」 「良かった良かった」 雄也が言った。 「これで、ベビーシッターの心配をしなくていいわね」 と、えみり。 あ、そうそう。これから、年上の人に対しても、地の文では、呼び捨てにするからね。よろしく。 兄貴は、突っ立ったまま茫然としていた。ま、いい薬よね。 そのうち赤ちゃんに慣れるかもしれないし。 だけど、兄貴がこんなに取り乱したのを見たのは久しぶりだな。友達の前だから見せられる顔だったのかもしれないけど。 そんなに赤ちゃんが嫌なのかな。変なの。 私は、機嫌良く、襖を開けた。哲郎がこちらを見た。読みさしの本は、畳の上で平べったくなっている。 「哲郎さん。この家で暮らしてもいいわよ」 「本当かい?!」 「ええ。一気に家族が増えるんですもの。今さらひとりやふたりで、ぎゃあぎゃあ騒がないわ」 「家族が増えるって……それ、君の子供?」 「冗談」 けらけらと、私は笑った。 「ええと……雄也さん、とえみりさんの子供よ」 「ああ、渡辺くんのところの」 「へぇ、渡辺っていうの、あの人達。じゃ、この子は渡辺純也ね。いい名前じゃない。あの両親、見かけのわりには、まとものようね」 「よっ、哲郎」 「渡辺くん」 「ま、そんなわけで、よろしく頼むよ」 「みどり、俺は赤ん坊のことは関知しないからな」 ずかずかと、兄貴が近付く。 「いいわよーだ」 私は、いっと、兄貴に対して舌を出した。 そのとき、赤ちゃんが泣き出した。 おっとどっこい生きている 6 BACK/HOME |