おっとどっこい生きている 「いいね! 君も伝道の器になってきたよ」 喜ぶ哲郎に対し、 「俺は反対だね」 と、兄貴はむっつりと言った。 「みどり。そんなことして変なことに巻き込まれるなよ」 「もう充分巻き込まれているわよ」 「秋野くん、みどりくんの決意に水差すようなことはやめたまえ」 「と言うことは、哲郎さんは賛成なのね」 「もちろんだよ!」 私達は、手を握り合った。 哲郎さえ味方につければ、こっちのもんだ。 「さてと」 私は座布団から立ち上がる。 「じゃ、純也くんを見に行くから」 「待てよ。まだ話は終わってないぞ。みどり。おーい」 私は兄貴を無視して、戸を閉めた。 あくる日、私は、新聞部に行った。 麻生が取り仕切っている新聞部の方にである。 「麻生先輩――」 「なんだよ、急に先輩なんてつけて。なんか企んでるのか? 秋野」 「当たり」 隠したって仕方がない。 冬美はいない。部室には麻生一人。パソコンのケーブルが所狭しと並んでいる。それでも整然として見えるのは、ある秩序に基づいているからだろう。 しかし、私は思わずくらくらしてきた。 無機質な部屋は、根本的に合わないのよ。 「話があって来たんだろ? なんだ?」 「あなたに教会に行ってもらいたいの」 私は、ズバリと切り込んだ。 あっはははは、と相手は笑い出した。 「何を言い出すかと思えば」 「綿貫部長から、先輩の過去は聞きました。いじめられっ子だったんですってねぇ」 「ちっ。あの四月バカが」 「以前、いじめられっ子だった人が教会によって、神に出会ったこと、知ってるから。麻生先輩も、マスコミごっこなんてやめたら?」 「マスコミごっこに夢中だったのは、四月バカの方だ。俺は付き合ってやってただけだ」 「いいけどね。どっちでも。とにかく、来てくれない」 「誰が――」 と麻生は言いかけたが、不意に表情が変わった。 意地の悪そうな、と言ってもいい。 「その教会のこと、どう書いてもいいんだな」 「じゃあ、私もアンタのこと、どう書いてもいいのね」 「文芸部に何ができる」 「私だって、ルポルタージュぐらいものすることができるわよ。綿貫部長からあなたの弱味を教えてもらったっていいし」 「――脅すつもりか? この俺を」 「或る意味では、そうね」 私達は、じっと睨み合った。 負けるもんかと、目が痛くなるほどに。 ――やがて、麻生が口を開いた。 「いつ、どの教会に来いと言うんだ」 私は、相手の質問に答えてやった。 「秋野さん、黄金のラズベリーの続きできた?」 文芸部の顧問の村沢先生が訊いた。 ――場面は変わって、部活の始まった図書室である。みんなも、もう来ていた。 「はい。今日は十枚書きました」 「がんばってね。私も期待してるから。松下さんも」 「ありがとうございます」 「みどりー。続き見せて」 頼子が来た。私が渡した原稿を、頼子はしげしげと眺めている。 「これもまたコピーしていい?」 おめがねにかなったらしい。 私は頷いた。 水曜日の夜には、神学校がある。 哲郎も行きたがったが、受験勉強があるからと、私と兄貴で止めた。 「哲郎。今年こそはがんばって東大に受かるんだろ? 教会どころじゃないぞ」 兄貴が言った。 「僕にとっては、教会こそが憩いの場なのになぁ……」 「いつだったか、受験に受かって見返してやる、と言ったのはおまえだろ?」 「そんなこともあったっけか。忘れてしまったな」 「まぁ、忘れているんならいい。しかし、とにかくもう一度挑戦だけはしてみろ。わかったな。その後は、神学校へ行こうと、自由だから」 「――わかった。僕の為に、そこまで言ってくれて、ありがとう」 「みどり。後で哲郎に神学校でどんなこと学んだか、説明してやってくれ」 「うん。だから、哲郎さんは勉強に集中してね」 哲郎さんは少し哀しげな顔をしたが、「奈々花くんと今日子くんによろしく」と言って、部屋に戻って行った。 今、私達は教会にいる。 私、奈々花、今日子、友子――そして、岩野牧師。 奈々花が、友子も誘ったのである。 友子は快くOKの返事をした――らしい。私はその場にいなかったからなぁ。 短い祈りをし、賛美歌を歌い、聖書を暗記する歌を歌った。 「創出レビ民申命記……」 聖書を知らない人だとぴんと来ないこの歌は、鉄道唱歌の替え歌である。 今日は山上の説訓の話を、岩野牧師がテキストを引きながら教えてくれた。マタイ伝の「心の貧しい者は幸いである……」で始まる有名なあれである。ルカ伝にも載っているらしい。 私達四人は、かりかりとメモを取っている。 「先生、心の貧しい人とは、どういう人のことを言うのでしょう」 友子が質問をする。 「心が貧しい人とは、謙遜で、自分の足りないところをわかっている人のことを言うのです」 岩野牧師が説明する。 ここのところは、少々難しい。 私は、そこの個所を、貧弱な心、つまり、信仰とかそんなもののないような人のことだと思っていたのだ。 そんな人のことまで助けるなんて、イエス様はなんて太っ腹なのだろう、と少し感心しかけていたのであるが。 親鸞の『善人なおもて往生す。いわんや悪人をや』と言うのにも通じるなぁ……などとも考えていた。 そうか……謙遜な人、と言う解釈も成り立つわけか。 聖書って、奥が深い。 まぁ、それを言うなら、世の中いくらだって、奥の深い本はあるのだが。 岩野牧師の話に繰り返し出てくる、原罪についても、十字架についても、私には学ばなければならないことだらけだ。 だが、イエス様の実在については何となく信じることができる。まだ洗礼も受けてないけど。 暇なとき読んでいた教会の聖書で、パウロの気持ちは理解できるような気がした。 多分、哲郎もそうだったんじゃないかな。 そして、麻生―― ここで感化させることができなかったら、我々の負けだ。 この教会と牧師達に賭けよう、と私は思った。 (神様、力を与えてください) 祈りを知らない私でもこれだけは唱えることができるようになった。 おっとどっこい生きている 50 BACK/HOME |