おっとどっこい生きている 図書室に行く前に、私は剣道部に立ち寄った。 「なんだい、秋野」 将人が、ちょっとはにかんだような、私の大好きな笑顔で答えた。 「今日は部活なの?」 「ああ。川島道場にも行きたいところだけど、そうそう部活を休むわけには行かないからね」 「俺達のことだったら、任せてくれればいいのになぁ」 武田金八が、のんびりと言った。 「ありがとう、武田。少なくとも週末には道場行くことにしてるから」 そうかぁ……じゃあ、頻繁にデートはできないわね。 あ、そうか。私が川島道場に会いに行けばいいんだ。 幸い、出入り自由の許可ももらっていることだし。 ちょっと嬉しくなって、思わず笑みがこぼれた。 「何だよ。にやにやして。楽しいことでも考えているのか?」 武田が言った。 「まぁ、そんなとこ。――おっと。本題に入るのを忘れてた。ねぇ、将人。麻生が何であんな記事書くようになったか、知ってる?」 「――まぁ、想像はつくね」 「麻生が一年だった頃、カンニングしたと噂されたのは?」 「まぁ、何となく、耳には入ってきたね……詳しいことはわからないけど。だから、俺はあいつのこと、悪く言う気にはならない」 そうかぁ……将人も知ってたんだ。 噂で傷ついた麻生が、今度は将人を中傷した。 けれども、将人はそれを責めない。大人だな、と思った。 うん。やっぱり私の彼氏だわ。私の目に狂いはなかった。 この人を選んで良かった。 「じゃ、部活、がんばってね」 「ああ。秋野も」 「ありがとう」 図書室には、もう既に部員達が集まっていた。 ――って、あれ? 「頼子は?」 「いないわよ。剣道部に行ってるんじゃないかしら」 「ふぅん。じゃ、行き違いになったのかな」 全く、仕様もないヤツだ。まだ金八にイカレてんのかしら。 ま、他人のことは言えないんだけどね。 「秋野部長、こんにちは」 友子が笑顔で言ってくれた。 彼女は昨日、「桐生先輩のスピーチに感動しました」と泣きながらに言ってくれたっけ。 文芸部はみんな新聞部に憤慨していた。そして、私と将人に同情的だった。 「新聞部を思いっきり叩いた小説、書こうかな」 そんなことまで言っていた子もいる。 「ねぇ、秋野部長。昨日言った新聞部の小説のことなんですけど……」 「悪いけど、あいつらのことはそっとしておいて」 「えーっ?! でも、あの人達、桐生先輩のこと……」 「いいから」 全く。わだぬきからあんな話聞かされちゃ、怒りの持って行き場もないじゃない。 挙句に、あいつら庇うようなことを言ってしまった。 私は――私は一体どうしたと言うのよ! 「みどりちゃん……」 奈々花が声をかけてくれた。 「どうしたの? 何か……怖い顔して」 「――何でもないの」 怖い顔……そうかもしれない。 私は、怒っているのだ。 麻生に対してでもその元親友に対してでもない。 人間の悪意そのものに、怒りを覚えている。 「ごめんなさい。遅くなっちゃって」 頼子が入ってきた。どことなく嬉しそうなのは、気のせいかしら。 「頼子ちゃん、みどりちゃんが変なの」 「みどりが変なのは、ずーっと前からよ」 あ、頼子、ひどい。 「ひどいわ。頼子さんたら」 友子、私の気持ち、代弁してくれてありがとう。 「そ、そうかな……」 奈々花、そこで納得しかけるんじゃない! 「まぁ、今回は、桐生先輩のことがあったからね」 「そうじゃないの。新聞部を擁護するようなことを言ったのよ」 今日子の台詞に、頼子が目を細める。 「それは――確かに、ちょっと変だわね」 頼子は私に近付いて、頬を軽く叩いた。 「みどり。新聞部に対抗するには、ペンの力を持ってしてしかないんじゃないの? それとも、桐生先輩への記事が、満更謂れのないことでないとでも?」 「違うわ。確かにあれはただの中傷だけど――もう、そのことは放っておいて」 私は、許せないのよ。人を非難したり、傷つけたりする人間の悪意を。 「――わかった。そのことについては、もう言わない。それより……ねぇ、何か作品書いてきたんじゃない?」 「ああ、うん」 私は、鞄の中から、数枚の原稿用紙を取り出した。 「黄金のラズベリー?」 パラパラとめくっていた頼子の顔が真剣になった。 「ねぇ、みどり」 「ん?」 「これ誰かに読ませたりした?」 「まだよ。これから着稿するところだもの」 「これ……面白いわよ」 呆然と、と言った感じで賛辞をくれた。頼子のこう言う、作品に対する目は信用できる。 「まだ登場人物とあらすじだけしか決まってないけど」 私は、満更でもなかった。 「今日子。これ、コピーして」 「わかったわ」 気に入ったのはわかるけど、そこまでしなくても。 「あ、あのね、頼子、まだ作品も完成してないのに――ほんの数行しか書いてないのよ。本編は」 「いいから、みどりは黙ってて。これは面白いものになると言うカンが働いたのよ」 今日子がコピーを持ってきた。 頼子が満足げに頷いた。 「じゃ、私、帰るからね」 「も……もう?」 「そ。後はよろしく」 頼子はいきなり来て、いきなり去って行った。 風と共に去りぬ。 なんて言ってる場合じゃない! 「何かしら、あれ……」 「さぁ……」 奈々花と今日子は、ぽかんとしていた。 「秋野部長。読ませてもらえますか?」 友子だ。断る理由は何もない。 「いいわよ」 「あ、私達にも見せてもらえる?」 今日子が訊いた。 「どうぞ」 三人は、一生懸命原稿用紙を覗いている。 はっきり言って、悪い気はしない。 「どう?」 私が訊くと、 「確かに面白そうだけど――完成品を見ないことにはわからないわ」 「どうして、頼子はあんなに褒めたのかしらねぇ……」 奈々花と今日子が言う。 友子だけが、 「秋野部長、すっごく面白いです! 特に、ジョセフが気に入りました!」 と言ってくれた。 おっとどっこい生きている 49 BACK/HOME |