おっとどっこい生きている
48
「将人!」
 図書室に行く前に、私は剣道部に立ち寄った。
「なんだい、秋野」
 将人が、ちょっとはにかんだような、私の大好きな笑顔で答えた。
「今日は部活なの?」
「ああ。川島道場にも行きたいところだけど、そうそう部活を休むわけには行かないからね」
「俺達のことだったら、任せてくれればいいのになぁ」
 武田金八が、のんびりと言った。
「ありがとう、武田。少なくとも週末には道場行くことにしてるから」
 そうかぁ……じゃあ、頻繁にデートはできないわね。
 あ、そうか。私が川島道場に会いに行けばいいんだ。
 幸い、出入り自由の許可ももらっていることだし。
 ちょっと嬉しくなって、思わず笑みがこぼれた。
「何だよ。にやにやして。楽しいことでも考えているのか?」
 武田が言った。
「まぁ、そんなとこ。――おっと。本題に入るのを忘れてた。ねぇ、将人。麻生が何であんな記事書くようになったか、知ってる?」
「――まぁ、想像はつくね」
「麻生が一年だった頃、カンニングしたと噂されたのは?」
「まぁ、何となく、耳には入ってきたね……詳しいことはわからないけど。だから、俺はあいつのこと、悪く言う気にはならない」
 そうかぁ……将人も知ってたんだ。
 噂で傷ついた麻生が、今度は将人を中傷した。
 けれども、将人はそれを責めない。大人だな、と思った。
 うん。やっぱり私の彼氏だわ。私の目に狂いはなかった。
 この人を選んで良かった。
「じゃ、部活、がんばってね」
「ああ。秋野も」
「ありがとう」

 図書室には、もう既に部員達が集まっていた。
 ――って、あれ?
「頼子は?」
「いないわよ。剣道部に行ってるんじゃないかしら」
「ふぅん。じゃ、行き違いになったのかな」
 全く、仕様もないヤツだ。まだ金八にイカレてんのかしら。
 ま、他人のことは言えないんだけどね。
「秋野部長、こんにちは」
 友子が笑顔で言ってくれた。
 彼女は昨日、「桐生先輩のスピーチに感動しました」と泣きながらに言ってくれたっけ。
 文芸部はみんな新聞部に憤慨していた。そして、私と将人に同情的だった。
「新聞部を思いっきり叩いた小説、書こうかな」
 そんなことまで言っていた子もいる。
「ねぇ、秋野部長。昨日言った新聞部の小説のことなんですけど……」
「悪いけど、あいつらのことはそっとしておいて」
「えーっ?! でも、あの人達、桐生先輩のこと……」
「いいから」
 全く。わだぬきからあんな話聞かされちゃ、怒りの持って行き場もないじゃない。
 挙句に、あいつら庇うようなことを言ってしまった。
 私は――私は一体どうしたと言うのよ!
「みどりちゃん……」
 奈々花が声をかけてくれた。
「どうしたの? 何か……怖い顔して」
「――何でもないの」
 怖い顔……そうかもしれない。
 私は、怒っているのだ。
 麻生に対してでもその元親友に対してでもない。
 人間の悪意そのものに、怒りを覚えている。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって」
 頼子が入ってきた。どことなく嬉しそうなのは、気のせいかしら。
「頼子ちゃん、みどりちゃんが変なの」
「みどりが変なのは、ずーっと前からよ」
 あ、頼子、ひどい。
「ひどいわ。頼子さんたら」
 友子、私の気持ち、代弁してくれてありがとう。
「そ、そうかな……」
 奈々花、そこで納得しかけるんじゃない!
「まぁ、今回は、桐生先輩のことがあったからね」
「そうじゃないの。新聞部を擁護するようなことを言ったのよ」
 今日子の台詞に、頼子が目を細める。
「それは――確かに、ちょっと変だわね」
 頼子は私に近付いて、頬を軽く叩いた。
「みどり。新聞部に対抗するには、ペンの力を持ってしてしかないんじゃないの? それとも、桐生先輩への記事が、満更謂れのないことでないとでも?」
「違うわ。確かにあれはただの中傷だけど――もう、そのことは放っておいて」
 私は、許せないのよ。人を非難したり、傷つけたりする人間の悪意を。
「――わかった。そのことについては、もう言わない。それより……ねぇ、何か作品書いてきたんじゃない?」
「ああ、うん」
 私は、鞄の中から、数枚の原稿用紙を取り出した。
「黄金のラズベリー?」
 パラパラとめくっていた頼子の顔が真剣になった。
「ねぇ、みどり」
「ん?」
「これ誰かに読ませたりした?」
「まだよ。これから着稿するところだもの」
「これ……面白いわよ」
 呆然と、と言った感じで賛辞をくれた。頼子のこう言う、作品に対する目は信用できる。
「まだ登場人物とあらすじだけしか決まってないけど」
 私は、満更でもなかった。
「今日子。これ、コピーして」
「わかったわ」
 気に入ったのはわかるけど、そこまでしなくても。
「あ、あのね、頼子、まだ作品も完成してないのに――ほんの数行しか書いてないのよ。本編は」
「いいから、みどりは黙ってて。これは面白いものになると言うカンが働いたのよ」
 今日子がコピーを持ってきた。
 頼子が満足げに頷いた。
「じゃ、私、帰るからね」
「も……もう?」
「そ。後はよろしく」
 頼子はいきなり来て、いきなり去って行った。
 風と共に去りぬ。
 なんて言ってる場合じゃない!
「何かしら、あれ……」
「さぁ……」
 奈々花と今日子は、ぽかんとしていた。
「秋野部長。読ませてもらえますか?」
 友子だ。断る理由は何もない。
「いいわよ」
「あ、私達にも見せてもらえる?」
 今日子が訊いた。
「どうぞ」
 三人は、一生懸命原稿用紙を覗いている。
 はっきり言って、悪い気はしない。
「どう?」
 私が訊くと、
「確かに面白そうだけど――完成品を見ないことにはわからないわ」
「どうして、頼子はあんなに褒めたのかしらねぇ……」
 奈々花と今日子が言う。
 友子だけが、
「秋野部長、すっごく面白いです! 特に、ジョセフが気に入りました!」
と言ってくれた。
 
おっとどっこい生きている 49
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