おっとどっこい生きている 隼人が梅雨の花を指差す。 「アジサイ?」 マーシャが生真面目な様子で小首を傾げる。そうすると、彼女は、野生の動物めいて見える。大きな丸い目が可愛い。 「日本の土は酸性だから、青いアジサイが咲くんだけど、ヨーロッパの土はアルカリ性だから、赤いアジサイが咲くんだよ」 「おもしろーい」 二人がはしゃいでいるのを、私達は見守っていた。 奈々花は、哲郎の隣で佇んでいる。 近頃、電話でちょくちょく連絡を取り合っていたらしい。奈々花の方からかけてくることが多いようだが、哲郎も満更でもないみたい。 うまくいくといいね。 今日子が、 「子供っていいわねぇ」 と呟くのが聴こえた。 子供が羨ましいわけではなく、今日子は子供が好きなのだ。 そして――何故か友子もいる。 この間、学校の廊下を歩いていたら、呼びとめられて、 「秋野部長。教会行ってらっしゃるんでしょう? 私も是非一度行ってみたいです。行ってみても構いませんか」 と、こう言ったわけ。 私達――私と隼人が迎えに行った。わかりにくいところにあるからだ。 屋根の上に一応十字架もあるのだが、知らないとそのまま通り過ぎてしまう。 閑話休題。 「畑でも見に行かんかね」 岩野牧師が特徴的な声で言った。 教会の庭の広まったところに、ちょっとした畑がある。 そこには、いろいろな野菜が育てられている。 ミニトマト、茄子、いんげん、大根……オクラがさっぱり目を出さないと、嘆いている。 「ほら、これ、持っていってごらん」 そう言うと、牧師は、小かぶをビニールに入れて、私にくださった。 さぁて、どう料理したらいいかな。やっぱり味噌汁の具かな。 そんなことを思いながら、ありがとうございます、と頭を下げた。 「この作物が収穫期に入ったら、またあげるからね」 岩野牧師は約束してくれた。 よーし。これで、食卓の色どりが増えるなぁ。 「みどり」 フィリップが肩を叩いた。 「フィリップさん」 「哲郎、この前より、ずっとずっと元気。あなたのおかげ?」 フィリップは独特のアクセントで訊く。 「多分、神様と、周囲の人達のおかげだと思います」 私は無難な答えをしておいた。 「おお、神様。もちろんのことです。私達は、神様がいなかったら、生きていけません」 頼子だったら、ふっと一笑に付してしまうのだろうな。 私は思った。私もちょっと前だったら、そうしただろうな。 でも今は―― 何かはわからないが、私達の背後で動いているものを感じることができる。それが、神の摂理というやつなのだろうか。 それに、哲郎の熱心さ――哲郎は、昔いじめられていたり、ノイローゼになったりしたことがあるというのが嘘みたいに、元気で明るい。 まぁ、瞳の冷たさにたじろいだこともあったけど、それは一時的なものだ。 それも神が、引き上げてくれたということだろうか。 しかし、そんな彼も、こんなことを洩らしていた。 「みどりくん。僕はね、水曜日の神学校にも、木曜日の祈祷会にも出ていない。本当は行きたいんだ。浪人生活なんかやめて。でも、やめられない自分がいるんだ。――僕は、身も心も神に捧げたい。それができないのは、僕の弱さだ。僕は、偽物のクリスチャンだろうか」 私は、「そんなことはない。浪人なんだから、勉強が本分でしょ?」と諭したのだが―― 哲郎は翳のある微笑を浮かべただけだった。 つい回想に耽ってしまった。 「みどりが来てから、可愛い女の子がたくさんこの教会に来てくれて嬉しいです」 フィリップが言った。この人、ただの女好きではないかしら? 「ほら、純也くん。お花でちゅよ~」 えみりが純也を抱き上げながら話しかけている。 雄也が、慈しむような目で、妻と息子を見ている。 こうやっていると、いいお父さんなんだな。 「あん? 何見てんだよ、みどり」 雄也は、うってかわって怖い顔で睨む。 ――前言撤回。 リョウの姿が見えないが、おそらく会堂でギターでも弾いているのだろう。 或いは、一緒にティータイムを楽しんでいるか。 「みどりは、どなたか恋人はいますか?」 「ええ、まぁ……」 この間、奈々花や牧師が将人のことを話題にしたとき、フィリップはいなかったのだ。 「みどりお姉ちゃんは、ぼくのお兄ちゃんと結婚するんだ」 いつの間にか傍に来ていた隼人が言った。 「あっ、あっ、だめ、だめ、だめだめだ」 隼人が口に手を当てたまま、意味不明瞭なことを言って、両手で口元を押さえた。 「ぼく、おしゃべりなんだ。それでお兄ちゃんにいつも叱られるんだよ。よけいなこと言うなって」 隼人はぶんぶんと首を振った。 お、おもしろい……。 私はつい吹き出しそうになるのをこらえた。 それに、将人に注意されて、困った顔をしている隼人が想像できて微笑ましい。 「お兄ちゃんね、怒るとちょっと怖いんだ。ほんとにちょっとだけだけど」 『ほんとにちょっと』のところに力が入った。マーシャの手前、兄に頭が上がらないとは、思われたくないのだろう。 「お兄ちゃん、こんな顔するの」 隼人が眉を寄せてみせた。眉間に縦じわが入る。立派な眉毛が一直線に繋がった。 将人が端正な顔なら、隼人は愛嬌のある顔、かな。 でも、兄弟だから、共通項はたくさんある。 隼人もいい男に育つであろう。 何故なら、将人もいい男だから――これって惚気かしら。 隼人も早速、マーシャというガールフレンドを見つけたことだし。恋が実るかどうかは、それこそ、神様だけが知っていることだが。 「隼人。私、教会に戻りたい」 この二人の間では、マーシャがイニシアチブを取っているらしい。体が大きなこともあって。 「うんっ!」 隼人は、マーシャについて駈け出して行った。 「あーあ、隼人くん達、行っちゃったね」 「そうですね――隼人はいい子です。あの子のお兄さんの名前は、何て言うんですか?」 「え? 将人よ。桐生将人」 「かっこいい名前ですね」 フィリップの台詞に、私は思わず赤くなった。 彼氏の名前を褒められるのは、何となく恥ずかしい。 「仲良くしてますか? ケンカはしてませんか?」 そういえば、気まずいときもあったわね。喧嘩はしたことなかったけど。 「はい!」 先日の試合で、将人が一本も返す間もなく負けてしまったことは、人には言いたくなかった。 彼は、剣道と同じくらい私のことも好きなはず……どうせ自惚れよ。 「今度、将人も連れてきてください」 「時間があったらね」 将人が教会に来たら、どんなことが起こるであろう。いつか誘ってみようかな、と考えた。 「将人の為にも、お祈りしましょう」 フィリップが言うので、私もキリスト教式に手を組み合わせた。私も、ちょっと祈るだけなら、抵抗がなくなってきている。 神様。 どうか将人の努力が報われますように。 おっとどっこい生きている 44 BACK/HOME |