おっとどっこい生きている
42
「おーい、水持ってきてくれー」
 雄也の声だ。
 今日はサークルの飲み会があるから、夜は遅いと言っていたが。えみりも一緒か。
 とりあえず、まだ鍵かけなくて良かった。
「はいはい。今、水を持って来てあげますからね」
「わるいわね。みどり。雄也ったら、酒そんなに強くないくせに、友達の前ではかっこつけちゃってさ」
 えみりが言う。
 うん。なんとなくその図が見える気がする。きっと見栄坊なのだろう。
 全く仕様がないんだから。
「はい、水」
 雄也は、うー、と呻きながらえみりの膝から体を起こした。
 そしてごくごくと喉を鳴らしながら、グラスの中身を空っぽにしていく。
「あー。生き返った。あんがと」
 雄也が私に礼を言うことは少ない。ま、お互い様だけどね。
 いつも悪態ばかりついてるからね。私も、雄也も。
「あたし、雄也運ぶわ。みどり、手伝って」
「はいはい」
 私とみどりは、両側から雄也を支えた。
「いやー、両手に花だね、こりゃ」
「冗談じゃないわよ」
「もっと素直だったら、おまえも可愛いんだけどな」
 ほら、早速余計な一言。
「アンタに可愛いと思われなくても結構」
「ちっ、本当に口悪い女。勿体ないぜぇ。喋んなきゃイイ線行ってんのによ」
「雄也ったら……アタシがいるでしょ」
「うん。えみりは世界一可愛い女だ」
 はいはい。わかったわかった。
「あ、雄也さん」
 リョウが階段から降りてきた。
「これ、借りてたCD」
「ああ。部屋に置いといてくれる?」
 なんだろ。――ロックみたいだな。私はあんまり知らないや。
 というか、この二人は結構仲が良い。似ているからかと思うのは、私だけだろうか。
「良かったろ、その曲」
「はい! もう最高っす!」
「みどり。おまえには貸さないから」
 雄也のヤツ、喧嘩売ってんのかしら。
 だとしたら無駄なことね。だって、興味ないもん。
「別に借りなくてもいいわよ」
 私は雄也に向かって舌を出す。
「雄也さん、両手に花っすね」
 リョウがこのぐでんぐでんに酔っぱらって赤くなっている男と同じことを言う。
 やっぱり似ている。この二人。
「羨ましいか? 坊や」
「んー、あんまり」
「何よ、失礼ね」
 えみりが言う。
「駿ちゃんも来れば良かったのにね」
「風邪気味なんだとさ」
 風邪か。だから、あんなに元気がなかったのかな。ちょっと違う気もしないでもないけど。
 いつもより、放つオーラ……というか空気が弱かった。
 風邪なら、後で卵酒作って持ってってあげよう。哲郎の夜食もついでに作ろうかしら。
 なんか、今日は妙に目が冴えて、早く眠れそうにないし。
 それでも、朝は五時きっかりに目が覚めるのは、私の特技だけどね。
 ああ。もう十一時過ぎているのね。
 おさんどんしている私には、勉強の時間はあまりとれないが、成績には響かないのは、ひとえに集中力の賜物ね。宿題は、消化しきれなかった部分は、朝やってるし。最悪、どうしても間に合わなかったときは学校で。
 さて。雄也を寝かせてっと。
「えみりさん、この人の着替え、お願いね」
「このまんまでもいいじゃん」
「だめだめ。汗とかかいて気持ち悪いかも知れないでしょ」
「じゃあ、みどりやってよ」
「えみりさん、奥さんじゃない。そのぐらいやりなさいよ」
「……しかたないなぁ」
 私が雄也の着替えをするのはご免だった。
 介護だと思えば、何とか我慢もできるかも知れないが、後で知ったときに、なんか気まずくなる可能性が高い。
 それとも、その出来事を嵩にきて、口説き始めるかしら。
 ま、えみりがいるから大丈夫だと思うけどね。
 さあ、卵酒とおじやを作ろう。

 私は兄貴の部屋に向かった。哲郎の為の夜食を置いて行った後である。
 卵酒を渡すと言う目的があったが、兄貴に訊きたいこともあったからだ。
 トントンとドアをノックすると、「誰だ?」と誰何された。
「みどりだけど」
 しばらく間が開いた。
「――入って」
 兄貴はパソコンに向かっていたようだったが、私が来たとき、画面が消えかかるところだった。
 兄貴ったら、何見てたんだろ。アダルトサイトかな。
 信じたくはないが、兄貴も男だということ。そして、私は兄貴に幻想を抱くことは、ものごころついたときからあまりなかった。
「兄貴、風邪ひいたんだっけ? 卵酒飲む?」
「――ああ、ありがと」
 兄貴は、熱い卵酒を冷まして、味わいながら飲む。
 一杯目、人、酒を飲み、二杯目、人、人を飲み、三杯目、酒、人を飲む。
 そんな言葉を、昔読んだような気がする。
 雄也は、今回は酒に飲まれたって感じ。
 それに比べれば、今日の兄貴は一応様になっていた。――怪しげなページを私に見られまいと消した以外は。
 でも、まだ寝ていないなんて、風邪ひいたくせにずいぶん不摂生よね。
「兄貴、早く寝た方がいいわよ?」
「そうだな。旨かったよ、卵酒」
 兄貴は、いつも通りだった。いや、いつも通りに見せかけているようだった。
「兄貴……なに見てたの?」
「何だと思う?」
 そう言って、兄貴はにやっと笑った。
 あ、これはアダルトサイトじゃないな。もっと、別物だ。
 例えば……恋人とチャットしてたとか?
 世の中にはネット恋愛というのもあるらしいから、不自然ではない。
 私にも内緒にしたい人なんだな。わかったわかった。
 それよりも。
「ねぇ、兄貴。訊きたいことあるんだけど」
「なんだ? 俺はみどりの言う通り、今寝ようとするところなんだ」
「哲郎さん、中学時代にいじめられてたって、ほんと?」
「あんまり人の事情に立ち入らない方がいいぞ」
「本人から聞いたんだもん」
「ああ。――実は、あの頃のことはあまりよく覚えてないんだ」
「哲郎さんは兄貴に感謝してたわよ。普通に接してくれたって」
「そうかぁ?」
 兄貴はがりがりと首筋を掻く。
「俺、あいつと親しくするようになったのは高校のときからだから――そういえば、高校で話しかけたのはあいつの方からだったな。『クラス同じだったよね』とかなんとか言って」
「それから、親友になったんだ」
「まぁ、そうだな。あいつ、神経質だったけど面白いヤツだから」
「哲郎さんて、神経質なの?」
「昔はな。今はだいぶマシになってきたけど」
 なるほど。
 それだけ聞ければ満足だった。
 私は空になった湯呑をお盆に載せて、台所へ行った。
 
おっとどっこい生きている 43
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