おっとどっこい生きている (将人……) 私はちょっと後ろめたさを感じた。先日の哲郎の誕生日には、彼はよばなかったから。 私には珍しく、(悪いことしたな……)という自省が湧き起こった。いくら兄貴の意向だからとはいえ。 いや、正直に言おう。将人を哲郎の誕生会なんかに招いたら、ずっと前に見た、あの冷たい瞳がまた哲郎の顔に蘇るんじゃないかと、それがちょっと怖かったのだ。 「どうしたの? 将人」 「ああ。秋野、ちょっといいかな?」 「――何?」 「秋野ってさ、教会に行ってるんだって? 家族と一緒に」 んー、まぁ、正確には家族ではないんだけどね。 私は、小首を傾げて「それが?」と言うジェスチャーをした。 「日曜学校ってのもあるんだろ?」 「うん。朝にね」 「それにうちの弟も連れて行って欲しいんだ」 「隼人くんを?」 「あいつも『みどりお姉ちゃんに会いたい』っていつも言ってるしさ」 へぇ〜。そこまで好かれると、ますます可愛く思えちゃうわね。 「将人も来るの?」 「いや、忙しいし」 「わかったわ。じゃ、哲郎さんに話してみる」 「頼むよ」 将人は来ないのか――安堵と残念な気持ちを、心の中で噛みしめた。 ――そして今、私は哲郎の部屋にいる。 「そう言うわけで、今度の日曜日、まさ……桐生先輩の弟の隼人くんを教会に連れて行きたいんだけど」 「もちろん、大歓迎さ!」 哲郎は目を輝かせながら、心底嬉しそうな顔で言った。 私はほっとした。 「みどりくんと会ってから、いろいろな人が教会に来るようになったなぁ。みどりくんは伝道の器だよ」 或いはハーメルンの笛吹きかもね――私は思ったが、口には出さないでおいた。 「じゃ、私が隼人くんを連れてくるから、教会でおちあいましょ」 「ああ」 約束の日曜日、隼人くんを迎えに、桐生家に行った。 将人は出かけた後だったらしい。隼人くんが小さい体でドアを支えていた。 「おはよう。みどりお姉ちゃん」 「おはよう、隼人くん。今日はせっかくだから、イエス様のお勉強しに行こうね」 私にはまだ、こんな風に年上風吹かせて、こんなこと言える資格はないんだけどさ。 そんなこと知らない隼人くんは、思いっきり、「うんっ!」と頷いた。 哲郎と奈々花が、一緒に教会に来た。やるじゃん! 「奈々花……こんなに朝早くから?」 「うん。この間は哲郎さんが、私に合わせてくれたみたいだから」 そうか。だから、哲郎はあの日はいつもより遅めに出発したのか。 あのときは、哲郎さんも、茶碗洗いなど手伝ってくれたっけ。 「ねぇねぇ、見て見て」 物思いに耽っていた私は、はっと我に返った。 この間より大きめのバッグから、奈々花は一冊の分厚い本を取り出した。 「じゃんっ! マイ聖書」 「アンタ……それ、買ったの?」 「そうよ。高かったけど、思い切って自腹切っちゃった。旧約聖書は難しいけど、新約はおなじみのお話も多いから」 「旧約と新約の区別がつくだけ、すごいじゃない」 「哲郎さんが教えてくれたのよ。「『旧約』と『新約』って何?」って」 「旧約は名前の通り、アブラハムの子孫に示された古い約束、新約は、イエス様の教え。初めのうちは戸惑うよね」 哲郎が、優しい目をして言った。奈々花は、はにかみながら口元を綻ばせた。 「ねぇ、みどりお姉ちゃん」 隼人が、私の手を引っ張った。 「ぼくも聖書勉強したい」 それは、本当の興味からか、それとも、私達の気をひきたいから言ったことなのかわからないけれど。 「間もなく、日曜学校が始まるからね」 続々と子供達が入ってきた。 一緒になって賛美歌を歌い、岩野牧師のお話に耳を傾ける。みんな真剣だった。子供だけに可能な熱心さでもって。隼人も例外ではなかった。私より真剣だったかもしれない。 日曜学校が終わると、子供達は飴をもらいながら帰って行った。 「隼人くん、礼拝に出る?」 私が訊くと、 「もちろん!」 という、元気な答えが返ってきた。 「あはは。小さいながらも、なかなか感心な子だね」 近くにいた岩野牧師が、独特の笑いをしながら言った。 「はじめまして。ぼく、桐生隼人といいます」 隼人は深々とお辞儀した。こんなところにも、躾の良さが表れているのね。 「私は岩野孝明です。どうぞよろしく」 ふぅん。岩野牧師って、孝明って言う名だったのか。 岩野牧師は、隼人に向かって屈んでみせ、頭を撫でた。 隼人は、牧師に子供扱いされたことがかえって嬉しいらしく、満足そうに笑った。牧師には、人の心を惹きつける何かがあるのだ。それは年齢だけのものではない。 「今日は、わかりやすいところを説教するからね」 「ぼく、説教はやだなぁ。いつもお父さん達にされてるから」 あ、と小さな声を上げて、隼人は口元を押さえた。どうやら、年上の人には友達と話すように話してはいけない、と教えられているらしい。 「ん? どうしたの?」 「ぼく、けいご使わなかった」 「いいんだよ。ぼく」 牧師は、また隼人の頭を撫でた。 「みどりさんが連れてきたんだね」 「はい。友人に頼まれて」 「友人て?」 「学校の……」 「みどりちゃんの彼氏よね」 奈々花が割って入った。 「わかった。オーケイオーケイ」 牧師が再び笑った。 「みどりさんの友達は、教会には来ないの?」 「部活がありますから」 「ほう。運動部?」 「はい。剣道部です」 「ずいぶん熱心だね。日曜日もやるなんて」 私から見たら、牧師達も充分熱心だと思うけどなぁ。 そのとき、渡辺夫妻達が入ってきた。 礼拝が始まった。 隼人は、楽しそうに歌を歌い、神妙な顔つきで、岩野牧師の話を聞いていた。だが、聖書にはあまり目を通さない。無理もない。初めての礼拝で寝てしまった私よりは立派だ。 岩野牧師の説教はわかりやすい。隼人にも理解できるように喋っている。 「これ、たたかいのお話なの?」 小声で訊いてきた隼人に、そうよ、と言っておいた。 旧約聖書って言うのは、「つまり敵はみんなぶっ殺せ」と言う話でしょ? と、聞いたことがある。またずいぶん物騒で極端な話だが、ちょっと諾いかねないほど、戦争ばかりやっている。 礼拝が終わったら、ご飯を食べる。隼人も食べたいと言うので、みんなで一緒に。自分で作る必要のないご飯は、なんと美味しいことか! いや、頼まれれば作るけどさ……。 リョウのギターが活躍した英語礼拝も終了すると、お茶の時間だ。 この教会のティーバッグで淹れたお茶は、舌が肥えているはずの私でも、特に不満はない。不思議だな。なんでだろ。教会のあったかい雰囲気が、お茶の味にも影響するのかな。 隼人はマーシャとはしゃぎながら鬼ごっこをしていた。キャッキャッと歓声を上げながら。 描写が不十分なのは、仕方がない。私は、あまり文才があるというタイプではないのだから。 しかし、おかげでお茶をのんびりと楽しむことができた。 リョウは傍らでギターを爪弾いていた。純也は和室で眠っている為、渡辺夫妻はフィリップと愉快そうに会話をしていた。意外な特技だけど、この二人、英語は上手なのよね。でも、考えてみると特に意外でもないのかも知れない。洋楽で耳を鍛えている夫婦なのだから。 帰るとき、隼人は名残惜しそうにマーシャと別れの挨拶を告げていた。 「隼人くん、マーシャ好き?」 手を繋ぎながら、桐生家へ向かう途中、私は訊いみた。 「うん。大好き!」 隼人はにこにこしながら返事をした。 「また教会にきたい!」と勢いよく宣言する。 (おやおや。哲郎が聞いたら大喜びするわね) その哲郎は、奈々花達と一緒に、地域集会に出かける途中だ。多分、そうだろう。 頑張れ。奈々花――哲郎。 それから、隼人の小さな恋も応援してあげたい。 おっとどっこい生きている 41 BACK/HOME |