おっとどっこい生きている
4
 階段から降りた兄貴が、この和室に来た。
「眠いなぁ。よし、これを読んだら寝るぞ――って、みどり、帰ってたのか」
「帰ってたのかじゃないわよ。どういうこと? ――お兄ちゃん」
 なんぼなんでも、人前で兄貴とは呼べない。
「どういうことって……ああ、哲郎のことか。その様子だと哲郎から話は聞いたな。どのぐらい話した?」
「僕がここにお世話になることまで」
「じゃ、詳しい事情はまだだな。みどり。哲郎は下宿の大家さんが娘夫婦と一緒に暮らすことになったんで、そこを引き払って出て行ったんだ。しばらく置いてやってくれよ。なぁに。家族四人でも立派過ぎる家なんだ。こいつが暮らすスペースぐらい、充分あるだろ」
「何言ってんのよ」
 私は兄貴を引っ張って、顔を寄せて言った。
「兄貴さぁ、私を何だと思っているの? 年頃の娘だよ。その一つ屋根の下に男を置こうだなんて」
「なに、哲郎は大丈夫さ」
「なんでよ」
「あいつはクリスチャンだからだ」
「……大丈夫の根拠はそれだけ?」
「だけ」
 兄貴が大真面目にうなずく。私は呆れた。なんとも心許ない根拠じゃないか。
「あいつはそんなことするような奴じゃないよ。おまえにその気があるならともかく。それともおまえ、あいつに男を感じるか?」
「ないわね」
「だろ?」
 兄貴は私の肩を叩いた。
「あいつ、どっこも行くとこないんだよ。近頃の人間は冷たいよな。あいつ、あんまり金持ってないんだ。みどり。我々だけはその冷たい人間にならないようにしようぜ」
「冷たくて結構。なによ。兄貴なんて面倒なことは私に押しつけるくせに」
 それから、私は佐藤哲郎に向き直った。
「あのね、哲郎さん」
「何?」
 哲郎は疑うことを知らないような、澄んだ目をこっちに向ける。すげなくあしらうのをためらわせるような目の色だ。
「あのね――」
 悪いけど、出て行っていただけませんか?――そう言おうとしたときだ。
 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。
 兄貴を見たが動こうとしない。哲郎が立ち上がろうとするのを見て、慌てて私は玄関へ急いだ。

おっとどっこい生きている 5
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