おっとどっこい生きている 「眠いなぁ。よし、これを読んだら寝るぞ――って、みどり、帰ってたのか」 「帰ってたのかじゃないわよ。どういうこと? ――お兄ちゃん」 なんぼなんでも、人前で兄貴とは呼べない。 「どういうことって……ああ、哲郎のことか。その様子だと哲郎から話は聞いたな。どのぐらい話した?」 「僕がここにお世話になることまで」 「じゃ、詳しい事情はまだだな。みどり。哲郎は下宿の大家さんが娘夫婦と一緒に暮らすことになったんで、そこを引き払って出て行ったんだ。しばらく置いてやってくれよ。なぁに。家族四人でも立派過ぎる家なんだ。こいつが暮らすスペースぐらい、充分あるだろ」 「何言ってんのよ」 私は兄貴を引っ張って、顔を寄せて言った。 「兄貴さぁ、私を何だと思っているの? 年頃の娘だよ。その一つ屋根の下に男を置こうだなんて」 「なに、哲郎は大丈夫さ」 「なんでよ」 「あいつはクリスチャンだからだ」 「……大丈夫の根拠はそれだけ?」 「だけ」 兄貴が大真面目にうなずく。私は呆れた。なんとも心許ない根拠じゃないか。 「あいつはそんなことするような奴じゃないよ。おまえにその気があるならともかく。それともおまえ、あいつに男を感じるか?」 「ないわね」 「だろ?」 兄貴は私の肩を叩いた。 「あいつ、どっこも行くとこないんだよ。近頃の人間は冷たいよな。あいつ、あんまり金持ってないんだ。みどり。我々だけはその冷たい人間にならないようにしようぜ」 「冷たくて結構。なによ。兄貴なんて面倒なことは私に押しつけるくせに」 それから、私は佐藤哲郎に向き直った。 「あのね、哲郎さん」 「何?」 哲郎は疑うことを知らないような、澄んだ目をこっちに向ける。すげなくあしらうのをためらわせるような目の色だ。 「あのね――」 悪いけど、出て行っていただけませんか?――そう言おうとしたときだ。 ピンポーン。 インターホンが鳴った。 兄貴を見たが動こうとしない。哲郎が立ち上がろうとするのを見て、慌てて私は玄関へ急いだ。 おっとどっこい生きている 5 BACK/HOME |