おっとどっこい生きている
38
 哲郎の誕生日――。
 台所に、海鮮サラダ、ほうれん草のスープ、グラタン、カニクリームコロッケ、フライドポテト、チーズを餃子の皮で巻いたもの(主に大人達のつまみ)などが用意してあるのは、決して私一人の手柄ではない。
 奈々花や今日子達が、私の家に寄って手伝いをやってくれたのだ。
 頼子はチャーハンをこしらえてくれた。
 美和も、下ごしらえを助けてくれた。
 友子は、お店顔負けのケーキを作ってくれた。
 テーブルの中央に鎮座ましましているローストチキンは、私達にお腹が空いているのを再確認させるような匂いを辺りに漂わせている。何度か料理したことがあるから、失敗はしなかった。
 でも、哲郎の誕生パーティーに参加する人数は、十人以上いるんだよね。ちゃんと満足いくように行き渡るかしら……。
 因みに、兄貴達は見ているだけだ。渡辺夫妻は、別室で純也をかまっているのだと思う。
「よー、秋野。一口食わせろよ」
 リョウが言った。
「だーめ、働かざる者食うべからずよ。皿取り出してちょうだい」
「……やれやれ、人使いの荒いヤツだ」
「楽な仕事よ。それぐらいやりなさい」
「駿サン……よくこんな妹で我慢できますね」
「いやいや。これでも可愛いところがあるんだよ」
「ふぅん……このキツイ女がねぇ」
「みどりはツンデレなんだよ」
「? ツンデレって何?」
「そうそう! 秋野はツンデレなんだよ。恋人とかには甘いに違いないぜ」
「ああ。俺達にはツンツンしてるがな」
 だから! ツンデレって何よ!
 頼子はくすくす笑ってるし。腹が立つったらありゃしない。
 結局、兄貴とリョウは、『秋野みどりはツンデレ』ということで話が合ったらしい。
「おー、そういや、桐生サンは呼んでないの?」
「ああ、俺が遠慮してもらうようにみどりに頼んだんだ。今日は哲郎の誕生日だし」
「一人増えようが関係ないんだけどね。兄貴ったら心配症だから」
「いや。今日の主役は哲郎だからだよ」
 兄貴が真剣な顔で言った。
「そっすねぇ。オレも、せっかくのパーティーで血を見たくないし」
「おまえにも火の粉がふりかかるかもしれないぞ」
「あーあ。やなこった。オレは関係ねぇのによ」
「物騒な話ね」
「アンタにも関係ある話よ。秋野」
「将人のことだったら心配いらないわよ」
「でもアイツ、剣道強いぜ。おっかなくって」
「だから? 将人は暴力なんかふるわないわよ」
「いや。案外強暴だったりして……いきなり竹刀出されたら勝ち目ないって。素手でもねぇけど」
「おい、リョウ。皿早く出そうぜ」
「ふぁ〜い」
 なんだか、やけに兄貴には素直よね。リョウって。
 そのことを口にしたら、リョウはニコッと笑った。
「だって、駿サンにはオレも一目置いてんだもん」
 ふぅん。兄貴にねぇ。
「私達は、後片付けするわね」
 今日子だ。いつも優しくて、よく気が付く。
「私も」
「まぁ、仕様がないわね」
 奈々花と頼子も言う。
「はいはーい! 私も」
 美和も手を挙げる。
 女の子って、よく働くから好きよ(変な意味でなく)。
 無駄口ばかり叩いている兄貴達とは大違い。
 友子は、ケーキに飾りつけをしていた。
「こっち終わったら手伝いますね」
 んー、友子も結構いい子だ。
 みんななでなでしたいほど愛しいが、訝しく思われるかもしれないので、やめておいた。

「お誕生日おめでとう! 哲郎さん!」
 私達はジュースで、哲郎達はビールで乾杯した。
「いやぁ。照れるなぁ。去年は結局、参考書と一緒に誕生日過ごしたからなぁ」
 哲郎が頭を掻きながら言った。
「その前も、その前の前の年も、だろ」
 兄貴が茶々を入れた。
 皆の気配りで、奈々花を哲郎の隣に座らせた。奈々花は哲郎をちらちらと見ていたが、哲郎はいつも通り平然と食前のお祈りをしている。
 そーねー、まーねー。哲郎は朴念仁だからねぇ。奈々花を気遣え、という方が無理なのかもねぇ。
 しかも生意気にも好きな人がいるみたいだし。それは皆の言う通り、私のことかもしれないけれど、私には将人がいるものねぇ。ま、友達、というか、兄妹みたいな関係以上にはなれないのよ。
 奈々花、私と哲郎の間には何にもないんだから、アンタ、がんばんなさいよ!
 イエス・キリストになんて負けるな!
 否、二人で信仰の道を歩むっていうんなら、それでもいいんだけどね。
 料理はあらかた平らげてしまった。
 グラタンはやっぱりマカロニが入ってなきゃね。
 カニクリームコロッケは、ちょっとグラタンとかぶっているような気がするけど、まぁいいや。
 海鮮サラダは、ドレッシングの風味が勝っていたような気がする。
 ローストチキンは茶色のかけ汁(ジュー)と肉汁がトリ肉に絡まり合って、いい味を出していた。つけ合わせの野菜も美味しい。
 リョウなんか、勿体なさそうに、脂のついた指をなめてたもんね。注意してやったけど、聞かなかった。
 えみりは、赤ちゃんを膝の上に乗せている。当然、純也はまだ何も食べられない。浮かれた雰囲気を察知してか嬉しそうな顔をしている。
「オレ、七月生まれだから、そのときはよろしくねぇー」
「何言ってるのよ、雄也さん。図々しい」
「あ、私も七月なの。七月七日生まれだから、奈々花。安直でしょ」
「いーや! 奈々花ちゃんは可愛い! みどりと違って」
「ふんだ。私はどうせ可愛くないわよ」
「アタシと駿ちゃんは八月生まれよ。みどりは?」
 えみりが話題に割って入ってきた。
「……六月」
「えー、もしかしてもうすぐ? 誕生プレゼント、何がいい?」
「静かな生活」
「まったまたー。アタシ達、いつも静かよ」
「どうだか」
「じゃあさぁ、キミ、頼子ちゃんて言ったっけ? キミは?」
 雄也ったらほんとに調子のいい。
「私は十一月よ」
「さそり座だね」
「そうね」
「今日子ちゃんは?」
「私は九月」
「はーい! 美和は十二月でっす!」
 美和がそう言うと、笑い声が起こった。
「オレも十二月なんだよね」
 リョウが欠伸まじりに言った。
「純也は三月。四月の子は誰かいないの?」
「わ、私……四月、です」
 友子が控えめに答えた。
「じゃあ、友子ちゃんのお祝いもしよう……あててて」
 今のは、雄也がえみりに膝をつねられて出した声だ。
「アナタ! すぐ女の子に甘い顔見せるんだから!」
「いいじゃないかよ。男の性(さが)ってもんだぜ」
「そう。みどりのお友達が帰ったら、たーっぷり話し合いをしましょうねぇー……」
「い、いや、えみりが一番、イイ女、です」
「あらほんと」
 えみりはたちまち相好を崩した。単純なんだから……。けど雄也ったら完全にえみりの尻に敷かれているのね。
「母さんは、二月生まれなんだよな。一月生まれが父さんで」
「そう。父は元旦生まれなのよね」
「別に駿達の親の誕生日なんて、どうだっていいよ」
 雄也がブーイングを発した。
 誕生日の話題は雄也から出たくせに。ったく。
 ケーキが運ばれてきた。
 ハッピーバースデーを歌って、哲郎が火を吹き消すところは、教会でのパーティーと同じだ。名前を入れるとき、『テツロー』とか、『哲郎さーん』とか、バラバラになるところも……。
「では、哲郎さんと友子さんには一切れ多くあげましょうね。今日は哲郎さんの誕生会だし、これは友子さんが焼いたケーキだから」
 今日子が笑顔で提案した。
「賛成ー」
「いいよね、それで」
「嬉しいです! ありがとうございます!」
 友子の頬が紅潮している。
 ケーキのスポンジと生クリームを食べると、ふわっとした甘さが口の中に広がる。
 苺が入ると、酸味が加わる。
 ほんとは生クリームだけの方が好きなんだけど。
「おいしーい」
「友ちゃん、ケーキ作るの上手ー」
「ありがとう」
 友子は嬉しそうに応じた。
「私、お菓子作るの好きだから……」
 俯きながらも、どこか得意そうだった。
「純也は可哀想だな。こんな美味しいのが食べられないなんて」
「あらアナタ。一年もすれば食べられるようになるわよ」
 夫の言葉に、えみりが笑った。
「ふー、食った食った」
 雄也がお腹を撫でている。
「そういえば。私、プレゼント持ってきました」
 今日子が言った。
「私も用意してきました」
「私も」
 友子と頼子も、包装紙にくるまった品物を渡す。
「大変! 美和、手ぶらだった!」
「心配すんなよ、佐伯。オレもそうだから」
 美和の台詞に、リョウがへらへらと笑った。
「アタシ達のもね、ここにはないの。部屋にあるから、後で寄越すわね。雄也と二人で選んだのよ」
「わぁ……皆……ありがとう……」
 哲郎は、感極まったようである。
「ま、その、なんだ。俺もちょっとしたもん買って来たぜ。この間はみどりが世話になったからな」
 コホン、と咳ばらいしながら、兄貴も中ぐらいの大きさのプレゼントを渡す。
「みどりは?」
「私達は、一緒に聖書カバー贈ったもんね」
 奈々花が自慢げに言った。
「でもね、実はもうひとつ買ってきた物あるんだよね。これって抜け駆けかな。――はい」
 奈々花は、小ぶりの四角い箱を差し出した。
「感謝だなぁ」
 今回のパーティーの主人公が、涙をこらえている風に見えたのは、私だけだろうか。

「俺、電話してくるよ」
 後始末も終わって、友人達も帰った頃、兄貴が言った。
 私は、
「どこに?」
と訊いた。
「父さんと母さんに哲郎の誕生パーティーのことを報告しに」
「ほっとけば向こうから連絡来るわよ。どうせ」
「でも、今日は俺の方から電話するって、昨日のうちに約束しちまったんだよね。パーティーがどのぐらいで終わるかわからなかったから」
「あ、そ」
 兄貴は詳しく様子を話したらしく、私が電話に出ると、受話器の向こうから「楽しそうで良かったわね」とお母さんの声がした。
「確かに楽しかったけど、準備なんか、大変だったんだから。友達に手伝ってもらったけど、兄貴なんて皿出しぐらいしかしなかったのよ」
「ああ。駿はねぇ」
「料理ができないのはわかるけど、他にもやることいっぱいあるじゃない」
「そうね――お母さんも参加したかったわ」
「帰ってくればいいのに」
「お父さんを残して帰れないわ」
「だから……お父さんも一緒に」
「そうね。今はちょっと無理だけど。電話が精一杯」
「そっか……お父さんに代わって」
「わかったわ。お父さーん」
 お父さんが、「もしもし」と言ってきた。
「哲郎くんの誕生日だってね。おめでとう」
「そういうことは、本人に言ってやれば?」
「じゃあ、代わってくれるかね?」
「どうぞ」
 私は哲郎を呼んで、受話器を渡した。
「佐藤哲郎です。初めまして。駿くんのお父さんですか? ――」
 それから、電話は長々と続いたようだ。気が合ったみたい。
 電話が終わると、哲郎は言った。
「いいお父さんだね」
 家族を良く言われて、嬉しくないわけはない。
「ちょっとずれてるけどね」
「流石に駿くんとみどりくんのお父さんだね。――おやすみ」
 ん? 今のはどういう意味だろう……褒められたんだよね。うん。そう思おう。
 
おっとどっこい生きている 39
BACK/HOME