おっとどっこい生きている
35
「あー、驚いた。秋野って、モテるんだなー」
 リョウは、帰る道すがら、意外だなー、意外だなー、と不思議そうに首を傾げている。失礼な奴だ。
 せっかく、一緒に帰るんだからと、自転車を降りて、歩幅に合わせてやってんのに。
 それに……。
「私って、そんなにモテないわよ。将人以外には」
「じゃ、わだぬきは?」
「あれは特例」
「じゃ、哲郎サンは?」
「哲郎さん? なんでそこに哲郎さんの名前が出てくるわけ?」
「あちゃ」
 リョウは、ガクッとコケたリアクションをした。
「あのな、哲郎サン、オマエのこと好きだぜ」
「私も好きよ」
「オンナとして好きってコト。オマエ、そういうトコ、ニブいからなぁ」
「えー、なんで哲郎さんが」
「だって、オマエがいると、うれしそうだモン。オマエがいなくなったテスト勉強期間中は、明らかに退屈そうだったぜ」
 この間のテスト勉強は、リョウだけ、秋野家でやったことがある。女ばかりだと、気が散る、と言っていた。
 私達がいても、寝てばかりいたリョウだ。居眠りに、気が散るとか散らないとか、関係ないと思うんだけどなぁ……とそのときは思ったのだが。
 けれど、兄貴の話では、案外真面目にやっていたようである。
 私達が勝手に勉強をおろそかにした、と言われているみたいで、ちょっと心外ではあった。
 とりあえず、リョウも、テストをパスした。
「哲郎さんは、私のこと、妹代わりとしか思ってないわよ」
「へー、哲郎サン、妹いるの?」
「さぁ……聞いたことはないけどね」
 哲郎の家は、結構複雑そうなので、私は突っ込んだことは訊かない。必要のある場合にしか。
「でもさ、あれは、アンタに惚れてる目だぜ」
「惚れてる? どこに?」
「さぁ……それはわかんないけど」
「アンタの考え過ぎよ」
 そう。考え過ぎ。
 確かに、哲郎は、変になったこともあったし、告白もされたけど、それとこれとは関係ない。
「これから、奈々花とドンパチやらかしはしないかと心配だぜ」
「いいの。そんなことに足りない頭使わなくても。それに、奈々花は、いい女になるわよ」
「アンタよりもか」
「当然」
「――秋野っていいヤツだな」
 リョウが、それこそ、意外なことを言ったので、私は、自転車を止めて、彼の方を見遣った。
「な……何だよ」
「何でも。ただ、嬉しかっただけ」
「お、オレの好みは、えみりサンだからな。ヤンママでなかったら、口説き落とすところだぜ」
「雄也さんに殺されるから、やめときなさい」
「へーい。オレだって、寿命は惜しい」
 私は、家に着くまで、そんな馬鹿話をしていた。
「とにかく、今度は、私は奈々花の恋を応援するわ」
と私が言ったら、
「哲郎サンも気の毒になぁ……本命には全然相手にされてないし。というか、なんで山岸じゃねぇんだろ。あっちの方が数倍可愛いのに」
 リョウのその発言を、私は聞き流した。
「ただいまー」
 リョウと私は、玄関のドアを開けた。
 兄貴が出迎えてくれた。
「おー、お帰り。みどり、リョウにも話しあるんだけど」
「なに? 駿サン」
「今度の月曜、哲郎の誕生日なんだけど」
「そうだったの?」
 私が訊き返した。
「みどりには、前に言わなかったっけ?」
「さぁ……」
「気の毒な哲郎……」
 リョウのその台詞には、ぶぷっと吹き出し笑いが混じっていたので、私は、腹に肘鉄を食らわせてやった。
「いってぇー! なんだよ! 凶暴女!」
「アンタが馬鹿なこと言うからでしょ! それに、そんなに力は入れてなかったわよ!」
「そぉかぁ? おーい! 哲郎サン! 哲郎サン! この女だけはやめといた方がイイですよー!!」
「なんだい? リョウくん」
 おっとりとした声が、階段から聞こえた。
「あっ、みどりは諦めた方がイイっすよ」
「何の話だい?」
「みどりは、恋愛対象から外した方がいいってさ」
 兄貴が説明してくれた。
「――そうだよね。みどりくんには、桐生くんという彼がいるんだもんね」
「いや、そうじゃなくて、こいつ、すげー凶暴……痛ッ!」
 まだ言うか! こいつ! 私はまた一発攻撃した。
「哲郎、おまえ、誕生日もうすぐだろ?」
「――ああ、すっかり忘れていた」
 私が哲郎の誕生日を知らなかったのが気の毒なら、自分の誕生日を忘れていた哲郎は何なのよ。ちっとも同情に値しないじゃない。
「というわけで、その日には、いっぱいご馳走作ってくれよ。みどり」
「駿サン、もしかして、それが目当て?」
「当たり!」
 全く、兄貴ったら、食い意地張ってるんだから。リョウと同レベルじゃない。
 あ、そうだ!
「ねぇ。その日、奈々花呼んでいい?」
「奈々花ちゃん? うん、いいけど」
 兄貴は、奈々花のことを、小学生の頃から知っている。
「えー、奈々花ちゃん来るの?」
 えみりと雄也がこっちにやってきた。
「美和ちゃんや頼子ちゃんも来るの?」
「いや、それはまだ……」
「是非呼びなよ」
「雄也」
 えみりが夫をじろりと睨む。
「あ、ああ……少しの潤いくらい求めたっていいじゃないか」
「ふぅん。でも、私と純也のことも忘れないでね」
 雄也は、すっかり尻に敷かれている。
「秋野と桐生サンも、将来ああなりそうだな」
 失礼ね。私は夫を立てるし、将人は、雄也みたいなちゃらんぽらんじゃないわよ。
 まぁ、雄也だって、真剣に家族を愛していることはいると思うが。
「誕生日なら、教会でも、ハッピーバースデイぐらい歌ってくれるんじゃないかな。日曜日だけど」
 哲郎の台詞に、私は大事なことを思い出した。
「ねぇ、奈々花が、教会に行きたいって言ってたわよ」
「ほんとかい?!」
「ほんとほんと」
 実は、哲郎が目当てなんだけどね、あの子は……。
「僕、神様にお祈りしてたんだよ。教会に、一人でも多くの人が来ますようにってね。願いは叶えられたんだ。万歳! ハレルヤ!」
 もしかすると、キューピッドにお礼を言った方がいいかもしれないと思ったけど、キリスト教とは関係なさそうなので、黙っていた。

 お父さんとお母さんに、哲郎が誕生日を迎えることを報告した。
「哲郎さんて、あれか? クリスチャンの」
「うん、そう」
「幾つになるんだ?」
「22だってさ」
 私は、今まで、哲郎のことを22だと勘違いしていた。私も抜けてるなぁ。
「おめでとうって伝えておくれ」
「――うん、わかった」

 哲郎が一つ年を取る少し前、私達は村沢先生念願の、宮沢賢治記念館行きを実行した(美和も行きたがったが、部が違うので、無理だった)。
 私は、村沢先生の説明など、何も聞いてはいない。
 頼子は、宮沢賢治の作品を批判していたくせに、生原稿を注意深く見ていた。
 奈々花達は、「注文の多い料理店に出てきた看板があるわぁ」と大喜びだった。その看板のお店、『山猫軒』では、私達は怪物にとっつかまることもなく、美味しい料理をいただくことができた。
 友子は、屋外に出たとき、伸びをしながら、
「とてもいい天気。ねぇ、皆さん」
と、私達に同意を求める。
 確かに、梅雨だというのに、ピーカンに晴れ渡っている。眩しい光と青い空が、私にとっては、一番、印象に残った。
 
おっとどっこい生きている 36
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