おっとどっこい生きている
33
 どうにかこうにか一段落すると、私達はつねさんのお握りに突撃した。
 醤油ご飯とかやくの匂いが食欲を刺激する。一口頬張ると、味付けご飯と具の味のハーモニーが、口いっぱいに広がる。
 美味しい……。
 料理に関しては、つねさんの方に、一日の長がある。

「明日は、ファミレスでやりましょう」
と、私が提案すると、辺りは、水を打ったように静かになった。
「みどり……それ本気?」
 頼子が、エイリアンでもを見るような目つきで、こちらを見た。
「どうして?」
「だって、みどりって、ファミレスで勉強しよう、なんて言いそうもないんだもの」
「じゃ、他にどんなところがあるの?」
「はーいはいはい。頼ちゃん家は?」
 美和が手を上げて発言した。
「みどりちゃん家ほどではなくても、十分広いし」
「あのね、美和。私の家には、現役教師がいるのよ。それも、同じ学校の」
「だから、言ってるんじゃない」
「父は、テスト問題も作っているのよ。出る問いを最初から知ってたんじゃないかって、言われたらどうするの」
「うっ……。で、でも、それだったら、頼ちゃんだけだって条件は一緒じゃない」
「そんな疑いをかけられるのは、私一人だけでいいわ」
「頼ちゃん……」
 親の七光は、時に邪魔になることがある。頼子の潔さに、私は惹かれた。
「図書館は?」
と今度は今日子が口を出す。
「六時までしか開いてないわよ」
「そうじゃなくて、駅前に、新しい図書館ができたでしょ? ちょっと離れてるけど」
「オーケイ。わかったわ」
 私達は、今日子の案を呑むことにした。
「君達、もう来ないの? 寂しいな」
 雄也、アンタは一人で寂しがってろ。なぁにが、『君達』よ。
「今日はおもしろかったわ。また来てね」
 えみりまで。
「僕にも役に立てそうなことがあったら、いつでも来ていいからね」
 哲郎! ここは自分の家じゃないでしょ!
「ほんとに、来てもいいんですか?」
「ああ」
 哲郎は笑顔で言った。
 奈々花は、嬉しそうに頬を上気させている。ほんとに哲郎に惚れたのかしら……。ま、私には関係ないけど。

 夜も更けて、私達はぞろぞろと玄関の方に向かう。
 つねさんには、改めて、「ありがとうございました」とお礼を言った。
「お邪魔しました」
「さようならー」
「じゃ、私、みんなをその辺まで送って行くから」
 私も、頼子達と共に外へ出て行った。
「あー、つねさんのお握り、美味しかったー」
「まぁ、出会い頭に、『お初にお目にかかります』なんて言われて、少し焦ったけど」
 あはは、と今日子が笑った。
「雄也さんて、つねさんの息子なの?」
「そうだけど?」
「似てないようで似ているし、似ているようで似ていないなぁ」
 美和は、微妙な感想を洩らした。
「ねぇ、みどり、アンタ、この頃、だいぶさばけてきたんじゃない?」
 頼子の目には、そう映ってたのか。
「そうかなぁ」
「あ、確かに。ファミレスで勉強なんて、昔だったらおくびにも出さなかったんじゃない?」
 そう言えば、そうだ。
 これも、えみり達の影響かしら。
「彼氏もできたしねぇ……美和、実はみどりちゃんには彼氏ができないんじゃないかと、心配してたの」
 美和……それはちょっと大きなお世話よ。
「今、ラブラブなんでしょ? どうなの?」
「教えない」
「あー、やっぱりそうなんだ」
 きゃー、と言いながら、美和は騒ぐ。こんのミーハー娘。奈々花がこんな話聞いたら、どんな顔をするかしら……。
 だが、奈々花は、案外平気そうだった。それどころか、余裕の笑みまで浮かべている。
「みどりちゃん。桐生先輩と仲良くね」
 それには、嫉妬も悲しみも感じない、失恋を乗り越えた女性の姿があった。
 むむ……何となく、負けた……気がする。でも、全然悔しくない。
 良かったね。奈々花。
 やはり、新しい恋が、奈々花を支えているのかしら。哲郎とでも、構わない。私は祝福する。

「ねぇ、朝川さんもテスト勉強に誘わない?」
 そう言ったのは、誰だったか。
「そうだねぇ……」
「朝川さんて、英語はトップクラスだって」
 美和が何故か張り切って言う。
「みどり見て、とち狂わなきゃいいけど」
 頼子が懸念する。私もあの子はちょっと苦手だ。
 でも、英語トップは確かに魅力だ。
「ついでに言うと、古典も詳しいそうよ」
「古典ねぇ……」
 奈々花は、一輪挿しの花を弄んでいた。
 結局、朝川さんも仲間に入れることになった。
「皆さんや、秋野部長と勉強することができて、感激です!」
と言っていたが、なかなかどうして。勉強は割とスパルタだった。
「ほら、このスペル間違ってます。ここはaじゃなくて、eです!」
「この英文の和訳は、少し難しいですが、あなたならきっとできます」
「この単語は、『live』ではなく、『like』です」
「ここの前置詞は『for』です」
「『would』ではなく、『should』です」
「この文法は……」
 厳しいが、わかりやすい。正解したら、ちゃんと褒める。
 案外教師に向いているのではないかしらん。
 彼女をメンバーに加えて良かったと、私は心の底から思った。

 テスト勉強期間中も、哲郎は教会に誘いたがった。
「礼拝は毎週あるけど、今度のテストで赤点取ったら、どうしてくれんのよ!」
「大丈夫! 神様が一番良い道に導いてくださる」
「赤点取っても?」
「それが、君にとって最良のことならね」
「信じらんない! 留年してもいいの?」
「僕だって四浪だけど、神様が働いた結果、そうなったと思っているよ」
「私を浪人仲間に引っ張り込まないでくれない?」
「どうして? 浪人もそんなに辛くないよ。神様に出会えれば」
 哲郎は、また一段と頑固になったようだ。
「信仰を強制してはいけない、て聖書に書いてない?」
 私は、一本とったつもりで、そう言うと、哲郎を残して、そこから立ち退いた。

「んー、なぁ、秋野、これって、−1が正しいの?」
「ああ、そうそう」
 私達は追い込みに入っていた。リョウと私は、向かい合って座っている。
「さてと、数学終わり! 次は日本史だな」
「アンタ、日本史好きね」
「当然。大河ドラマもよく観るからな」
「人間、どこかしら取り柄があるものなのね」
「どういう意味だよ」
「別にぃ」

 勉強の成果があってか、私達は全員、赤点を取らずに済んだ。
「よかったー、みんな!」
 文芸部の面々(美和は放送部だけど)は、抱き合って喜んだ。もちろん、朝川さんも。
「朝川さんが、あんなに厳しいなんて、思いもよらなかったわ」
「本当。英語で赤点取らなかったのは、友ちゃんのおかげよ。ありがとう」
 美和が、朝川友子のことを、友ちゃんと呼んだ。
「そんな……皆さんのお役に立てて、嬉しいです」
 照れながらも満足そうに微笑した。
 ――朝川友子は、正式に、私達の仲間になった。

 話は変わるが、私は、本ばかり読んで、創作活動の方は、さっぱりだった。書きかけの小説はあるが。
 頼子は、既に二編も作品を書き上げていた(テスト勉強の合間にも執筆していたらしい)
 タイトルは、『行き先は、昭和元年』と、『ビバルディ館の謎』である。
 前者は文句なくおもしろかったが、後者はなかなか頭に入ってこなかった。
 後者はミステリなので、ミステリを書けない私としては、それだけですごいな、と思ってしまう。
「読んだわよ」
 頼子に言うと、
「どうだった?」
と感想を求められた。
「『行き先は昭和元年』は楽しめたわ。『ビバルディ館の謎』は、犯人が主人公の恋人より、弟の方が、話がすっと通じるんじゃない?」
 頼子はしばらく考えていたが、やがて、納得したように頷いた。
「みどりの言う通りだわ。書き直してみる」
「私、ミステリ書けないから、頼子が羨ましいよ」
「ううん。みどりだったら、絶対書けるって。見る目もあるし、想像力豊かだし」
「おだてないでよ」
 本当に私はミステリが書けない。伏線をいちいち張ったりするのが、面倒だからだ。
 それでも、ミステリ的な作品は書いたことがある。雑誌社に応募して……落ちた。
 だから、ミステリ、と言うと、柄にもなく身構えてしまうのだ。
 でも、逃げてばかりいないで、書いてみようかな、と思ったのは、この頼子の一言がきっかけだった。
 そして――私は、一本の掌編を書いた。『ある天使の秘密』という題で。
 頼子は、これは児童文学ね、と評した。私は誇らしかった。私の尊敬する河合隼雄先生が、児童文学を高く買っていたからである。
 
おっとどっこい生きている 34
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