おっとどっこい生きている 醤油ご飯とかやくの匂いが食欲を刺激する。一口頬張ると、味付けご飯と具の味のハーモニーが、口いっぱいに広がる。 美味しい……。 料理に関しては、つねさんの方に、一日の長がある。 「明日は、ファミレスでやりましょう」 と、私が提案すると、辺りは、水を打ったように静かになった。 「みどり……それ本気?」 頼子が、エイリアンでもを見るような目つきで、こちらを見た。 「どうして?」 「だって、みどりって、ファミレスで勉強しよう、なんて言いそうもないんだもの」 「じゃ、他にどんなところがあるの?」 「はーいはいはい。頼ちゃん家は?」 美和が手を上げて発言した。 「みどりちゃん家ほどではなくても、十分広いし」 「あのね、美和。私の家には、現役教師がいるのよ。それも、同じ学校の」 「だから、言ってるんじゃない」 「父は、テスト問題も作っているのよ。出る問いを最初から知ってたんじゃないかって、言われたらどうするの」 「うっ……。で、でも、それだったら、頼ちゃんだけだって条件は一緒じゃない」 「そんな疑いをかけられるのは、私一人だけでいいわ」 「頼ちゃん……」 親の七光は、時に邪魔になることがある。頼子の潔さに、私は惹かれた。 「図書館は?」 と今度は今日子が口を出す。 「六時までしか開いてないわよ」 「そうじゃなくて、駅前に、新しい図書館ができたでしょ? ちょっと離れてるけど」 「オーケイ。わかったわ」 私達は、今日子の案を呑むことにした。 「君達、もう来ないの? 寂しいな」 雄也、アンタは一人で寂しがってろ。なぁにが、『君達』よ。 「今日はおもしろかったわ。また来てね」 えみりまで。 「僕にも役に立てそうなことがあったら、いつでも来ていいからね」 哲郎! ここは自分の家じゃないでしょ! 「ほんとに、来てもいいんですか?」 「ああ」 哲郎は笑顔で言った。 奈々花は、嬉しそうに頬を上気させている。ほんとに哲郎に惚れたのかしら……。ま、私には関係ないけど。 夜も更けて、私達はぞろぞろと玄関の方に向かう。 つねさんには、改めて、「ありがとうございました」とお礼を言った。 「お邪魔しました」 「さようならー」 「じゃ、私、みんなをその辺まで送って行くから」 私も、頼子達と共に外へ出て行った。 「あー、つねさんのお握り、美味しかったー」 「まぁ、出会い頭に、『お初にお目にかかります』なんて言われて、少し焦ったけど」 あはは、と今日子が笑った。 「雄也さんて、つねさんの息子なの?」 「そうだけど?」 「似てないようで似ているし、似ているようで似ていないなぁ」 美和は、微妙な感想を洩らした。 「ねぇ、みどり、アンタ、この頃、だいぶさばけてきたんじゃない?」 頼子の目には、そう映ってたのか。 「そうかなぁ」 「あ、確かに。ファミレスで勉強なんて、昔だったらおくびにも出さなかったんじゃない?」 そう言えば、そうだ。 これも、えみり達の影響かしら。 「彼氏もできたしねぇ……美和、実はみどりちゃんには彼氏ができないんじゃないかと、心配してたの」 美和……それはちょっと大きなお世話よ。 「今、ラブラブなんでしょ? どうなの?」 「教えない」 「あー、やっぱりそうなんだ」 きゃー、と言いながら、美和は騒ぐ。こんのミーハー娘。奈々花がこんな話聞いたら、どんな顔をするかしら……。 だが、奈々花は、案外平気そうだった。それどころか、余裕の笑みまで浮かべている。 「みどりちゃん。桐生先輩と仲良くね」 それには、嫉妬も悲しみも感じない、失恋を乗り越えた女性の姿があった。 むむ……何となく、負けた……気がする。でも、全然悔しくない。 良かったね。奈々花。 やはり、新しい恋が、奈々花を支えているのかしら。哲郎とでも、構わない。私は祝福する。 「ねぇ、朝川さんもテスト勉強に誘わない?」 そう言ったのは、誰だったか。 「そうだねぇ……」 「朝川さんて、英語はトップクラスだって」 美和が何故か張り切って言う。 「みどり見て、とち狂わなきゃいいけど」 頼子が懸念する。私もあの子はちょっと苦手だ。 でも、英語トップは確かに魅力だ。 「ついでに言うと、古典も詳しいそうよ」 「古典ねぇ……」 奈々花は、一輪挿しの花を弄んでいた。 結局、朝川さんも仲間に入れることになった。 「皆さんや、秋野部長と勉強することができて、感激です!」 と言っていたが、なかなかどうして。勉強は割とスパルタだった。 「ほら、このスペル間違ってます。ここはaじゃなくて、eです!」 「この英文の和訳は、少し難しいですが、あなたならきっとできます」 「この単語は、『live』ではなく、『like』です」 「ここの前置詞は『for』です」 「『would』ではなく、『should』です」 「この文法は……」 厳しいが、わかりやすい。正解したら、ちゃんと褒める。 案外教師に向いているのではないかしらん。 彼女をメンバーに加えて良かったと、私は心の底から思った。 テスト勉強期間中も、哲郎は教会に誘いたがった。 「礼拝は毎週あるけど、今度のテストで赤点取ったら、どうしてくれんのよ!」 「大丈夫! 神様が一番良い道に導いてくださる」 「赤点取っても?」 「それが、君にとって最良のことならね」 「信じらんない! 留年してもいいの?」 「僕だって四浪だけど、神様が働いた結果、そうなったと思っているよ」 「私を浪人仲間に引っ張り込まないでくれない?」 「どうして? 浪人もそんなに辛くないよ。神様に出会えれば」 哲郎は、また一段と頑固になったようだ。 「信仰を強制してはいけない、て聖書に書いてない?」 私は、一本とったつもりで、そう言うと、哲郎を残して、そこから立ち退いた。 「んー、なぁ、秋野、これって、−1が正しいの?」 「ああ、そうそう」 私達は追い込みに入っていた。リョウと私は、向かい合って座っている。 「さてと、数学終わり! 次は日本史だな」 「アンタ、日本史好きね」 「当然。大河ドラマもよく観るからな」 「人間、どこかしら取り柄があるものなのね」 「どういう意味だよ」 「別にぃ」 勉強の成果があってか、私達は全員、赤点を取らずに済んだ。 「よかったー、みんな!」 文芸部の面々(美和は放送部だけど)は、抱き合って喜んだ。もちろん、朝川さんも。 「朝川さんが、あんなに厳しいなんて、思いもよらなかったわ」 「本当。英語で赤点取らなかったのは、友ちゃんのおかげよ。ありがとう」 美和が、朝川友子のことを、友ちゃんと呼んだ。 「そんな……皆さんのお役に立てて、嬉しいです」 照れながらも満足そうに微笑した。 ――朝川友子は、正式に、私達の仲間になった。 話は変わるが、私は、本ばかり読んで、創作活動の方は、さっぱりだった。書きかけの小説はあるが。 頼子は、既に二編も作品を書き上げていた(テスト勉強の合間にも執筆していたらしい) タイトルは、『行き先は、昭和元年』と、『ビバルディ館の謎』である。 前者は文句なくおもしろかったが、後者はなかなか頭に入ってこなかった。 後者はミステリなので、ミステリを書けない私としては、それだけですごいな、と思ってしまう。 「読んだわよ」 頼子に言うと、 「どうだった?」 と感想を求められた。 「『行き先は昭和元年』は楽しめたわ。『ビバルディ館の謎』は、犯人が主人公の恋人より、弟の方が、話がすっと通じるんじゃない?」 頼子はしばらく考えていたが、やがて、納得したように頷いた。 「みどりの言う通りだわ。書き直してみる」 「私、ミステリ書けないから、頼子が羨ましいよ」 「ううん。みどりだったら、絶対書けるって。見る目もあるし、想像力豊かだし」 「おだてないでよ」 本当に私はミステリが書けない。伏線をいちいち張ったりするのが、面倒だからだ。 それでも、ミステリ的な作品は書いたことがある。雑誌社に応募して……落ちた。 だから、ミステリ、と言うと、柄にもなく身構えてしまうのだ。 でも、逃げてばかりいないで、書いてみようかな、と思ったのは、この頼子の一言がきっかけだった。 そして――私は、一本の掌編を書いた。『ある天使の秘密』という題で。 頼子は、これは児童文学ね、と評した。私は誇らしかった。私の尊敬する河合隼雄先生が、児童文学を高く買っていたからである。 おっとどっこい生きている 34 BACK/HOME |