おっとどっこい生きている
3
 その日は部活があった。私は自転車に乗って、一キロ先の白岡高校に行く。近くの小学校の桜がもう満開になっている。自転車を止め、少し見惚れる。なんとなく、心がうきうきした。
 五分ぐらいで高校に着いた。私の部は文芸部だ。部室に向かおうとして、桐生将人とすれ違った。私は思わず俯いた。
 短く刈り揃えた髪に、男らしい、意志の強さの表れているような目鼻立ち。精悍な、義経の役をやらせたら、天下一品だろうな、と思わせる雰囲気。義経って、ほんとは醜男だという風評もあるけど、皆の夢見るイメージを合せると、ああなるんじゃないかな。今度三年になる剣道部の主将。防具こそつけていないが、袴姿だった。
 顔、赤くなってなかったかな――どきどきして、思わず駆け出した。
 今時珍しい男だ。一緒に並んで歩くなら、あんな男がいい。つき合うとかではじゃなくて。そういうことを考えると、どうしていいかわからなくなりそうだった。
 でも、今日一日は、幸せに過ごせそうな気がした。
 そう。何事もなければ、多分幸せな気分は続くはずだった。だけど――。
 帰ってきたとき、私は、見慣れない青年の姿を目にした。
 彼は、壁を背にして、本を熱心に読んでいた。『クオ・ヴァディス』だ。
「こんにちは」
 私が声をかけると、青年はにっこり微笑んだ。油気のない長めの髪で、顔はやたらと長い。口元がちょっとさるに似ていた。顎の下は無精髭。でも、黒っぽい目は、きらきらと輝いている。
「初めまして。佐藤哲郎と言います」
「初めまして。私は秋野みどりです」
「秋野みどり? 秋に緑なんて、常緑樹みたいですね」
「はい。そうかもしれませんね」
「君、秋野くんの妹さん?」
「はい。あの、兄のお友達ですか?」
「そうだよ。秋野くんとは、高校時代からの友達なんだけどね――実は僕、今年で四浪なんだ」
「ええっ?!」
 私は驚いて、まじまじと見つめた。四浪の男は初めて見た。
 私の凝視をどう受け取ったのか、男の目が和らぐ。
「秋野くんに、こんなかわいい妹がいるとは知らなかったな」
 佐藤哲郎と名乗る男には、何の下心もないように見えた。だから私も、社交辞令と受け取って、あまり警戒はしなかった。
「遊びに来たんですか?」
「いや、僕は、ここにお世話になりに来たんだ」
 間があいた。
「…………え?」
「秋野くんから聞いてなかったかな? 僕、今日からここで暮らすんだよ」
「聞いてませんッ!」
「そうかぁ、困ったなぁ」
 佐藤哲郎は、頭をぼりぼり掻いた。
「秋野くんが、ここで暮らしていいって言うから、僕ここに来たのにな」
 兄貴ったら、何て勝手なことを!
 私は心の中で、密かに憤慨した。

おっとどっこい生きている 4
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