おっとどっこい生きている 五分ぐらいで高校に着いた。私の部は文芸部だ。部室に向かおうとして、桐生将人とすれ違った。私は思わず俯いた。 短く刈り揃えた髪に、男らしい、意志の強さの表れているような目鼻立ち。精悍な、義経の役をやらせたら、天下一品だろうな、と思わせる雰囲気。義経って、ほんとは醜男だという風評もあるけど、皆の夢見るイメージを合せると、ああなるんじゃないかな。今度三年になる剣道部の主将。防具こそつけていないが、袴姿だった。 顔、赤くなってなかったかな――どきどきして、思わず駆け出した。 今時珍しい男だ。一緒に並んで歩くなら、あんな男がいい。つき合うとかではじゃなくて。そういうことを考えると、どうしていいかわからなくなりそうだった。 でも、今日一日は、幸せに過ごせそうな気がした。 そう。何事もなければ、多分幸せな気分は続くはずだった。だけど――。 帰ってきたとき、私は、見慣れない青年の姿を目にした。 彼は、壁を背にして、本を熱心に読んでいた。『クオ・ヴァディス』だ。 「こんにちは」 私が声をかけると、青年はにっこり微笑んだ。油気のない長めの髪で、顔はやたらと長い。口元がちょっとさるに似ていた。顎の下は無精髭。でも、黒っぽい目は、きらきらと輝いている。 「初めまして。佐藤哲郎と言います」 「初めまして。私は秋野みどりです」 「秋野みどり? 秋に緑なんて、常緑樹みたいですね」 「はい。そうかもしれませんね」 「君、秋野くんの妹さん?」 「はい。あの、兄のお友達ですか?」 「そうだよ。秋野くんとは、高校時代からの友達なんだけどね――実は僕、今年で四浪なんだ」 「ええっ?!」 私は驚いて、まじまじと見つめた。四浪の男は初めて見た。 私の凝視をどう受け取ったのか、男の目が和らぐ。 「秋野くんに、こんなかわいい妹がいるとは知らなかったな」 佐藤哲郎と名乗る男には、何の下心もないように見えた。だから私も、社交辞令と受け取って、あまり警戒はしなかった。 「遊びに来たんですか?」 「いや、僕は、ここにお世話になりに来たんだ」 間があいた。 「…………え?」 「秋野くんから聞いてなかったかな? 僕、今日からここで暮らすんだよ」 「聞いてませんッ!」 「そうかぁ、困ったなぁ」 佐藤哲郎は、頭をぼりぼり掻いた。 「秋野くんが、ここで暮らしていいって言うから、僕ここに来たのにな」 兄貴ったら、何て勝手なことを! 私は心の中で、密かに憤慨した。 おっとどっこい生きている 4 BACK/HOME |