おっとどっこい生きている
27
「みどり、生理用の薬、減っているんだけど」
「え?」
 私は生理が軽いのが自慢だ。しかし、今回は重かったので、えみりの薬を勝手に服用してしまった。
「あ、ごめんなさい。少し飲んじゃった。わるかった?」
「ううん。いいのよ。今度からは言ってくれるといいんだけど」
「わかった。ありがとう」
「じゃあね。体、気をつけてね」
 えみりは、いつぞや私のことを優しいと言っていたが、私は、えみりも優しいと思う。
 まぁ、あの容姿からは想像もできないんだけどね……。
 他人は己の鏡って、本当なんだなぁ。あ、私が言ったのは中身のこと。外見はぜっんぜん違うからね。

 雄也は、コンビ二のバイトだ、と言って、夜遅くに出かけることがある。
 本人曰く、『えみりと純也のためだったら何でもできる』そうだ。
 稼いだお金は、純也の将来のために使うそうだ。
 本当は下宿代を払ってほしいんだけど、そう言われると、強く出られないんだよね。
 でも、子供思いのところは、微笑ましいし、尊敬もできる。

 お隣の木田さんから、ベビー用品一式をもらった。
 ベビーベッド、ベビーバス、天井から吊り下げるオルゴール、ガラガラ、おしゃぶり……などなど。もちろん純也の分だ。
 えみりや雄也と一緒に、私もお礼を言っておいた。

 お昼頃、電話が鳴った。兄貴が受話器を取った。
「秋野ですが、どなたですか? 桐生? え? みどり? 今いませんけど」
 そうして、ガチャンと受話器を置いた。
「ちょっと! 兄貴! 私宛ての電話、勝手に切らないでよ!」
「そうだよ! 秋野くん!」
 その場にいた哲郎も加勢してくれた。
「いいのかよ。哲郎。おまえだって……」
「それとこれとは話が別!」
 哲郎が怒声を飛ばした。
「――……わかった」
 兄貴は悄然として、背を見せた。
「待ちなさい! みどりくんに謝りなさい!」
「そうよ。兄貴。何か一言はあっていいはずよ」
 兄貴は向き直って、正座した。そして、頭を下げた。
「みどり、悪かった。この通りだ」
 兄貴が土下座している。ちょっとお目にかかれない光景だ。
「も、もういいわよ」
 まさか、土下座までされるとは思わなかったから。
「僕、確かに謝れとは言ったけど……」
 哲郎もバツがわるそうにぽりぽりと頬を指先で掻く。
「これから、桐生にも謝罪しておくから。みどり、桐生の番号、わかるか?」
「ああ、うん」
 私は電話番号のダイヤルを回した。
「あ、桐生さん? さっきは電話切ってすみません。みどりならいました。俺、ちょっと、君に嘘ついてしまって……そう、妹可愛さに。え? ああ、君が気にすることじゃないよ。悪いのは俺なんだし……じゃ、みどりに代わるわ」
 将人は、私の声が聞きたくて電話してきたのだそうだ。それが、ちょっと大ごとになってしまっただけ。
 電話では、将人は私のことを『みどり』と呼んだ。
 話題は田村先生のことになった。前はそう嫌いじゃなかったけど、今はあまり好意を持てない。そう言ったとき、将人は訊いた。
「なんで? いい先生だよ?」
「だって……ちょっと気になること言ってたから」
「みどりのことで?」
「違うけど」
「じゃあ、なんで?」
 それは、将人には言いにくいことだった。
「何か、傷つけるようなこと言ったの? 田村先生。だったら、俺、抗議してくる」
「ううん。そこまで大袈裟なことじゃないよ。私はいいんだけど、将人が……」
「俺が……何?!」
 しまった!
「……言ってくれ。みどり。俺は隠し事は嫌いだ」
「……将人のこと、このままだと、あいつはダメだなって」
「ああ、なんだ、そんなことか。それなら平気だよ。みどり。俺も感じてたんだ。ここに壁があるな、と」
「そうなんだ」
 私はかなりほっとした。
「まぁ、いつか乗り越えられる日は来るさ。俺だって努力してるしね」
 将人は前向きだ。こんな彼は、かなり好きだ。
「話は変わるけど、みどりの兄貴って、シスコン?」
「と、大学の友達は言っているみたいだけどね」
「妹思いの兄貴だな。俺だって、みどりみたいな妹がいたら、放っておけないよ」
「それって、頼りにならないってこと?」
「そうじゃないけどさ……みどりの兄さんは、みどりが可愛いんだよ。だから、どうしていいかわからないんだ」
「わからないなー、私のように生意気なヤツのどこが可愛いんだろ」
「いろいろさ」
「――……将人もさ、私のこと可愛いって思ってくれてるの?」
「そりゃ、当たり前だろ。そうでなかったら、つき、付き合ってはいないよ」
 将人は少しどもった。
「そう。付き合ってるんだよね、私達」
 照れて頬が熱くなった。周りを見回したが、兄貴も哲郎も、もういなかった。リョウにも聞かれたくなかったが、幸いあいつもいない。

「明日、この家に友達よんでいいかしら」
 えみりがとんでもないことを言った。
「俺は構わないけど……女友達?」
 兄貴がのんびりと答える。
「いい女?」
 ちょっと、リョウ! どんな質問してるのよ!
「そりゃ、私の友達だから、いい女ばっかりよ」
「やったぁ!」
「ちょっと、えみりくん、稜くん! 教会はどうするんだ!」
「来週行くわよ」
 えみりは煙ったそうな表情をした。
「それではいけない。教会生活は大切にしなきゃ。日曜礼拝は守るものだよ」
「何よ、教会教会って!」
 えみりが叫んだ。
「そんなに教会が大事なら、教会で寝泊まりすればいいじゃない!」
「僕もそれは考えたことあるけど、今はここが僕の家だからね!」
「出て行けばいいじゃない!」
「ここが好きなんだよ!!」
 論点がずれてるような気がする。
「大体、君だって、教会や聖書のこと、気に入ってたみたいじゃないか!」
「こんなに束縛されるのなら、もうこりごりよ!」
「岩野牧師は束縛なんかしない! でも、教会に行かないと、神様の祝福が与えられないんだよ!」
 ガミガミガミ。ああ、煩わしいッ!
 純也が泣き出した。
「私、二人の喧嘩は見たくないわ! 純也連れて散歩に行ってくる」
 外に出てから、純也に話しかけた。
「イヤでちゅねー、大人はうるさくって」

 帰ってみると、今回だけ、ということで、哲郎も手を打ったらしい。
 リョウも、教会に行くことになったみたいだ。
「哲郎サン、スッポンみたいにしつこいんだもん。うんとしか言えないよ」
「君のギターは、是非必要なんだよ」
 熱を込めて、哲郎が言った。
「アマチュアでもかい?」
 リョウも、満更ではなさそうだった。
「もちろん。――みどりくんも行くよね」
「うん、まぁ」
 教会教会言う哲郎には辟易したけど、それだけ教会を愛してるんだ。
 私には、そんなに煩くしなかったけど。というか、哲郎って、こんなに口やかましかったっけ?
 哲郎の誘いをいつもかわしているという兄貴を、ちょっとだけ見直した。どんな技があるのだろう。私が前に行ったように、交換条件でも出したのかしら。
 
おっとどっこい生きている 28
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