おっとどっこい生きている
26
「素晴らしい! 素晴らしいよ! 君!」
 リョウの演奏を聴いて、哲郎は、傍からは少しオーバーなんじゃないか、と思うぐらい、喜んだ。
「さっきも、『上手いなぁ、誰が弾いてんのかなぁ』と思ってたけど、君だったんだね! これは伝道に使うべきだよ。あ、僕、クリスチャンなんだけど、君も是非うちの教会に来てくれたまえ!」
「は、はぁ……」
 哲郎の迫力に、リョウは目を白黒していた。
 人を貧乳と言った罰だ。ざまぁ見ろ。

 あっという間に夜は更け、朝になった。
 私はねぎを刻む。味噌汁と炊き立てのご飯のいい匂いが漂う。これらを作るのは、私だけが知っている魔法。
 弁当も作る。兄貴の分、雄也の分、えみりの分、哲郎の分――そして、ついでにリョウの分。
「おはよう、みどり。ああ、いい匂い」
「おはよう。えみり。リョウ起こしてきて」
「あの子ならもう出て行ったわよ。学校じゃないかな」
 なんですって?! 朝食も食べずに学校なんて!
 私は急いでランチジャーと弁当箱に食べ物を詰めると、がちゃこんがちゃこんと少しガタが来ている自転車で学校に向かった。

 クラスに着くと、リョウは、自分の席で寝ていた。多分、一番乗りなんじゃないかしら。
「リョウ……!」
 リョウは、もそもそと机から、顔を上げた。
「なんだ、秋野か。どしたの? 怖い顔して」
「アンタ、朝ご飯食べなかったでしょ」
「あー。なんだそんなこと」
「そんなことじゃないでしょ。朝ご飯は大事なのよ」
 私は、ランチジャーと、巾着袋に入れた弁当箱を机の上に乗せた。
「ほら。朝食と昼食の二食分、持って来てあげたわよ」
「……ありがと」
「ランチジャーの方が朝食だから。味噌汁も入ってるわよ」
「何? なんでこんなに親切にしてくれるわけ?」
「アンタみたいなヤツみてると、ちょっと放っておけないのよ」
「オレに気があるとか?」
「バカ!」
「桐生にも同じようなことしてるの?」
「将人は、アンタよりちゃんとしてるから、こんな風に世話焼かなくていいのよ!」
 私は苛々しながら自分の席につくと、一時間目の予習を始めた。
 ――七時か。いつもよりすごく早く来ちゃったな。
 七時半からは、風紀委員会の集まりがある。それまで勉強してよう。

 ミヒャエル・エンデの『モモ』という本を読んでいたら、つい夢中になってしまった。時間どろぼうから、時間を取り返す冒険に出る女の子の話である。
 気がついたら、六時になっていた。もちろん、午後のだ。
 頼子も、奈々花も、今日子も帰ってしまっただろう。
 私は、図書室を出ると、体育館に寄った。
 理由は将人に会うため。できれば、一緒に帰れたらいいんだけど。
「お、秋野じゃん」
 そう言ったのは、副主将の武田金八だ。
 なんでも親が金八先生のファンで、金八と言ったら、武田鉄矢。父親がちょうど『武田』という名字だったから、この名がつけられた、のだそうだ。どうせなら『真治』ってつけて欲しかったのに――と本人は嘆いていたそうである。これは、美和から聞いた話なのである。
 けれど、この筋肉質で、鼻があぐらかいているこの男が、『武田真治』って柄じゃないわよねぇ……。
「桐生、秋野が来たぞ」
 武田がにやにやしながら、将人を呼んだ。
 将人は面頬を外す。汗がきらきら光って見えるのは気のせいか。
「よぉ、秋野」
「彼氏の活躍でも見に来たか?」
 顧問の田村先生がぬっと現れた。私は、この先生の、「このままだと、あいつはダメだな」発言以来、そう好きではなくなっていた。
「送って行ってやれよ。桐生」
「ダメだ。桐生は練習試合が近づいているんだからな。女より試合だ」
 武田の台詞に、田村が反対した。
「送ってった後で、またここに戻ってくればいいじゃん」
「ダメだ」
 武田に田村は怖い顔をしてみせた。
「昨日は特例として見逃してやったがな」
 特例――頼子か奈々花あたりが、田村に頼みごとでもしたのだろうか。私達のために。
「私、一人で帰れるわ。自転車もあるし」
「そうか。気をつけろよ。一緒に行けなくてわるいな」
 将人がそう声をかけてくれた。優しい言葉に私の心は暖かくなった。

 校門に、一人の男子生徒の姿があった。それは――
「リョウ!」
「よぉ」
「何やってんのよ。こんなところで」
「これ、返そうと思ってさ」
 それは、私が今朝渡した、ランチジャーと弁当箱だった。
「一応水洗いしといたから」
 ふぅん。律儀なとこあるんだ。
「ありがとう」
 私は、自転車を傍らに置いて、受け取ったそれらの品々をかごに入れた。
「オレの方こそ。食堂で飯食う金もなかったから。けどトクした。食堂のより、旨かったもん」
 白岡高校には、一応食堂がある。
 食堂のメニューより、味でも栄養面でも、私の料理の方が勝っていると、私は自負している。だから、当然だとは思ったが、こうやって口にされると、やはり嬉しい。
「アンタの兄貴とえみりさんに伝えておいてくれ。イッシュクイッパンの恩は忘れない、とさ」
「一宿一飯の恩。意外と難しい言葉知ってんのね」
「バカにすんなぁ。これでも現役高校生だぞぉ」
「ごめんごめん」
 でも、一宿一飯の恩って――私はヒヤリとした。
「アンタ、またホームレスみたいな生活に戻るの?」
「ま、しようがねぇだろうなぁ」
「ダメよ! 私ん家にいなさい!」
「でもさ、桐生にバレたら、どうすんの? アイツ、うるさそうだしなぁ。オレを家に置くこと、秋野には、何のトクにもなんないじゃん」
 怒りが頭をもたげてきた。
「そうよ。アンタなんか置いたって、一銭の得にもなんないわよ。将人にだって誤解されると困るし。でもね、クラスメートに宿無し生活させるのを、黙って見過ごすわけにはいかないでしょ!」
「ふぅん。秋野って……オトコギあるんだ」
「ふん、どうせ男勝りよ」
「じゃなくて、ギキョウシンっていうの? そういうのあるんだなぁと思って」
「兄貴もアンタがうちで暮らすこと、認めたんだから、ねぐら見つかるまで、いたらどう?」
「――うん」
 リョウは、素直に頷いた。
「まぁ、教会には行かなければならないかもしれないけどね」
「哲郎サン? わるい人じゃなさそうだけど、オレちょっと苦手だな」
「まぁ、あの強引さがこっちに向かなければ、見ている分には楽しいけどね」
「あ、昨日、アンタ密かにおもしろがってた?」
「当たり」
 私は舌を出した。
「――で、さっきの話だけどな。せっかくだから、いてやるよ」
「高飛車ね。居候のくせに」
「つーか、いさせてください」
「よし!」
 私は両手を腰に添えて、頷いた。
 
おっとどっこい生きている 27
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