おっとどっこい生きている えみりの元気な声が聞こえてきたとき、私は、虫の知らせというのだろうか――少し、いや、かなり嫌な予感がした。 彼女の後からついてきたのは、長い髪をおっ立てている少年だった。それは―― 「リョウ!」 私は思わず叫び声をあげてしまった。 「秋野!」 相手も少なからず驚いたようだった。 「あれ? 知り合い?」 えみりがのんびりと口を挟んだ。 「同じクラスよ」 「あれま。偶然」 「ここが秋野の家だなんて、全然知らなかった」 えみりに構わず、リョウが言った。 「あんたってバカね。表札にも『秋野』って書いてあるじゃない」 「オレ、表札なんか見ねぇもん」 私の家は、有名なところだ。みちしるべ代わりにもなることすらあるくらいだ。知らなかった、なんて……ちょっと、心外だった。 そんなことより。 「なんでえみりとリョウが一緒にいるの?」 「んー、駅のホームで出会った」 えみりによると、リョウは、駅のホームでギターを奏でていたそうである。でも、誰も足を止めない。たまに、ギターケースに小銭を投げ入れている人がいるくらいで。 えみりは、しばらく様子を見ていたが、やがて、彼のところに来て言った。 「ここでストリートミュージシャンやってるの?」 えみりの言葉に、リョウは、こくんと頷いた。 「何時まで?」 「何時? いつまででも。調子良ければ、深夜までやってる」 「高校生?」 「うん」 「お父さんやお母さん、心配しない?」 「しない。あいつらばらばらだもん。姉貴も兄貴も、出て行ったし、オレだけ自由にふるまうことができないなんてことはないじゃん?」 「じゃあさ。うち来ない? ご飯、食べてないでしょ?」 ――ということで、ここに来たそうである。えみりとリョウの会話は、もちろん、私の想像だ。 「ちょっと、勝手に決めないでよ」 「どうして? ご飯ふるまうくらい、いいじゃない」 「そりゃ、いいけどさ」 「ついでに、一晩ここに泊めてあげて。いつもは駅で寝ているようだから」 「ちょっと、ちょっと」 駅で寝ているだって? リョウが? それじゃ、まるでホームレス――いや、ホームレスそのものじゃない! 同じクラスなのに、何も知らなかったわね。 「じゃ、なんか作るわね。何がいい?」 「ラーメン」 「わかった。ラーメンね」 「即席でないやつ」 「うん。ちょうどあるから」 「カップめん以外の食べ物食うの、久しぶりだから」 「アンタ、どんな食生活してるの。若いからって、無茶してると、後で響くわよ」 私は、二人分のラーメンを作った。ひとつは、哲郎への夜食である。 哲郎にラーメンを届けると、私は、またダイニングに戻った。 兄貴、雄也、えみり、そして私の前で、リョウは旨そうにラーメンを啜った。 「あー、生き返った。ごちそうさま」 「もっと食べなきゃだめよ。そんなに痩せてさ」 「でも、金がねぇからなぁ、オレ」 「バイトでもすればいいじゃない」 「オレに合う仕事ってなかなかなくてさ。続かなくてさ。すぐやめちまうんだ、ダメなヤツかねぇ、オレ」 「――まぁ、ご飯はちゃんと食べることね」 「提案があるんだけどさ」 えみりが話題に入ってきた。 「この子、ここに置いておいたらどうかな?」 「え?」 「ね、いいでしょ? みどり」 そんな……犬猫を飼うんじゃないんだから。 私が躊躇していると、兄貴が言った。 「いいんじゃないかな」 「兄貴……」 私は兄貴をひきずって、リョウのいないところへ連れて行った。 「これ以上、居候を増やすつもり?」 「居候?」 「純也くんはともかくとして、哲郎も雄也もえみりも、みんなただで暮らしているじゃない」 「友達から金は取れないよ」 「リョウからだって取れないわよ。あいつ、金ないって言ってたじゃない」 「でも、音楽で一発当てれば、何がしかお礼をくれるかもしれないじゃないか」 「よくそんな楽天的に考えられるわね!」 「うちは、お金には困ってないんだからさ、ない者を助けるのは当然じゃないか。よく言うだろ。『金は天下の回り物』って」 「そうだけどさ……」 「まぁ、おまえに手を出したら別だけどな」 兄貴が真面目な顔をした。 「わかった」 今更、一人くらい増えたって、どうってことない。私は腹を据えた。 私達は、またダイニングに戻った。 「リョウくんだっけ? 本名は?」 「――鷺坂稜」 兄貴の問いに、リョウはぶっきらぼうに答えた。 「君さえ良ければ、ここにいていいよ」 「――いいの? オレ、金ねぇよ」 「それでもいいよ。ただし」 兄貴の目が、きらりと光った――ような気がした。 「みどりに妙な手出しをしたら許さないけどな」 「オレ、秋野はタイプじゃない。口うるさいし、貧乳だし」 「ひ……貧乳ですって?!」 このぉ! 人のコンプレックスを! 「それに、男いるしな」 「何?!」 兄貴が私を見た。 「――相手はどんな男だ?」 「ああ、心配しなくて大丈夫。桐生は、オレと違ってまともなヤツだから」 「桐生――そういえば、聞いたことがあるな」 「オレは、えみりさんの方がタイプだから」 「何だってぇ?!」 面白くないのか、今まで大人しくビール缶を傾けていた雄也が叫んだ。 「オマエみたいな若僧、えみりは相手にしないぞー!!」 「やだ、若僧なんて、オッサンみたい」 えみりはけらけらと笑った。 「それに、俺とえみりの間には、子供がいるんだからな」 「――へぇ。アンタ、今いくつ?」 リョウがタメ口をきいた。 「21」 「大学四年生?」 「そう」 「この家には、大学に入り損ねて四浪している奴もいるけどな」 兄貴が、割って入った。 「えっ?! ウソ、四浪?! そこまでして大学入りたいヤツなんているの?」 「もう半分意地なんだろうけどね」 と、兄貴が説明した。 「ふぅん。ここって、意外とおもしろそうだな。食いもんの心配もしなくていいし。秋野って、料理上手いな。もっとグラマーだったら、桐生なんかに渡さないのに」 「アンタ、さっき、私のことタイプじゃないって言ったでしょ。私だって、アンタなんかお断りよ」 「あーあ、もっと素直な性格だったらなぁ」 「グラマーで素直な性格の女が好きなの?」 「ああ」 「高望みね。自分を知りなさい」 「だから、音楽で食べていけるようになりたい」 「それはちょっとムリなんじゃないかなぁ。リョウのサウンドって、アマチュアに毛が生えた程度なんだもの」 えみりはきついことを言う。たとえその通りだとしても。 「ひどいなぁ、えみりさん」 リョウは、言葉のわりに、特に気を悪くしたようでもなさそうだ。 「ギターやるんだよな。今度聴かせろよ」 さっきのことも忘れたように、雄也は気安い口を叩く。 「今、聴かせてもいいけど」 リョウはリビングの壁に立てかけてあったギターケースからギターを取り出して、弾き出した。――確かに、えみりの批評は当たっていた。 「うん。素人にしては、上手いもんじゃないかな」 ひとり兄貴だけが、笑顔で褒めた。 それにしても、今日は、結構リョウと喋ったな。今まで、ちょっと謎な奴だったけど、ちょっと身近に感じられた。 けれど――これからリョウとひとつ屋根の下に暮らすことになるなんて……あいつは私には何もしないだろうけど、なんだか先行きが思いやられるような感じがする。 おっとどっこい生きている 26 BACK/HOME |