おっとどっこい生きている
25
「みどりー、お客さん連れて来たわよー」
 えみりの元気な声が聞こえてきたとき、私は、虫の知らせというのだろうか――少し、いや、かなり嫌な予感がした。
 彼女の後からついてきたのは、長い髪をおっ立てている少年だった。それは――
「リョウ!」
 私は思わず叫び声をあげてしまった。
「秋野!」
 相手も少なからず驚いたようだった。
「あれ? 知り合い?」
 えみりがのんびりと口を挟んだ。
「同じクラスよ」
「あれま。偶然」
「ここが秋野の家だなんて、全然知らなかった」
 えみりに構わず、リョウが言った。
「あんたってバカね。表札にも『秋野』って書いてあるじゃない」
「オレ、表札なんか見ねぇもん」
 私の家は、有名なところだ。みちしるべ代わりにもなることすらあるくらいだ。知らなかった、なんて……ちょっと、心外だった。
 そんなことより。
「なんでえみりとリョウが一緒にいるの?」
「んー、駅のホームで出会った」
 えみりによると、リョウは、駅のホームでギターを奏でていたそうである。でも、誰も足を止めない。たまに、ギターケースに小銭を投げ入れている人がいるくらいで。
 えみりは、しばらく様子を見ていたが、やがて、彼のところに来て言った。
「ここでストリートミュージシャンやってるの?」
 えみりの言葉に、リョウは、こくんと頷いた。
「何時まで?」
「何時? いつまででも。調子良ければ、深夜までやってる」
「高校生?」
「うん」
「お父さんやお母さん、心配しない?」
「しない。あいつらばらばらだもん。姉貴も兄貴も、出て行ったし、オレだけ自由にふるまうことができないなんてことはないじゃん?」
「じゃあさ。うち来ない? ご飯、食べてないでしょ?」
 ――ということで、ここに来たそうである。えみりとリョウの会話は、もちろん、私の想像だ。
「ちょっと、勝手に決めないでよ」
「どうして? ご飯ふるまうくらい、いいじゃない」
「そりゃ、いいけどさ」
「ついでに、一晩ここに泊めてあげて。いつもは駅で寝ているようだから」
「ちょっと、ちょっと」
 駅で寝ているだって? リョウが? それじゃ、まるでホームレス――いや、ホームレスそのものじゃない!
 同じクラスなのに、何も知らなかったわね。
「じゃ、なんか作るわね。何がいい?」
「ラーメン」
「わかった。ラーメンね」
「即席でないやつ」
「うん。ちょうどあるから」
「カップめん以外の食べ物食うの、久しぶりだから」
「アンタ、どんな食生活してるの。若いからって、無茶してると、後で響くわよ」
 私は、二人分のラーメンを作った。ひとつは、哲郎への夜食である。
 哲郎にラーメンを届けると、私は、またダイニングに戻った。
 兄貴、雄也、えみり、そして私の前で、リョウは旨そうにラーメンを啜った。
「あー、生き返った。ごちそうさま」
「もっと食べなきゃだめよ。そんなに痩せてさ」
「でも、金がねぇからなぁ、オレ」
「バイトでもすればいいじゃない」
「オレに合う仕事ってなかなかなくてさ。続かなくてさ。すぐやめちまうんだ、ダメなヤツかねぇ、オレ」
「――まぁ、ご飯はちゃんと食べることね」
「提案があるんだけどさ」
 えみりが話題に入ってきた。
「この子、ここに置いておいたらどうかな?」
「え?」
「ね、いいでしょ? みどり」
 そんな……犬猫を飼うんじゃないんだから。
 私が躊躇していると、兄貴が言った。
「いいんじゃないかな」
「兄貴……」
 私は兄貴をひきずって、リョウのいないところへ連れて行った。
「これ以上、居候を増やすつもり?」
「居候?」
「純也くんはともかくとして、哲郎も雄也もえみりも、みんなただで暮らしているじゃない」
「友達から金は取れないよ」
「リョウからだって取れないわよ。あいつ、金ないって言ってたじゃない」
「でも、音楽で一発当てれば、何がしかお礼をくれるかもしれないじゃないか」
「よくそんな楽天的に考えられるわね!」
「うちは、お金には困ってないんだからさ、ない者を助けるのは当然じゃないか。よく言うだろ。『金は天下の回り物』って」
「そうだけどさ……」
「まぁ、おまえに手を出したら別だけどな」
 兄貴が真面目な顔をした。
「わかった」
 今更、一人くらい増えたって、どうってことない。私は腹を据えた。
 私達は、またダイニングに戻った。
「リョウくんだっけ? 本名は?」
「――鷺坂稜」
 兄貴の問いに、リョウはぶっきらぼうに答えた。
「君さえ良ければ、ここにいていいよ」
「――いいの? オレ、金ねぇよ」
「それでもいいよ。ただし」
 兄貴の目が、きらりと光った――ような気がした。
「みどりに妙な手出しをしたら許さないけどな」
「オレ、秋野はタイプじゃない。口うるさいし、貧乳だし」
「ひ……貧乳ですって?!」
 このぉ! 人のコンプレックスを!
「それに、男いるしな」
「何?!」
 兄貴が私を見た。
「――相手はどんな男だ?」
「ああ、心配しなくて大丈夫。桐生は、オレと違ってまともなヤツだから」
「桐生――そういえば、聞いたことがあるな」
「オレは、えみりさんの方がタイプだから」
「何だってぇ?!」
 面白くないのか、今まで大人しくビール缶を傾けていた雄也が叫んだ。
「オマエみたいな若僧、えみりは相手にしないぞー!!」
「やだ、若僧なんて、オッサンみたい」
 えみりはけらけらと笑った。
「それに、俺とえみりの間には、子供がいるんだからな」
「――へぇ。アンタ、今いくつ?」
 リョウがタメ口をきいた。
「21」
「大学四年生?」
「そう」
「この家には、大学に入り損ねて四浪している奴もいるけどな」
 兄貴が、割って入った。
「えっ?! ウソ、四浪?! そこまでして大学入りたいヤツなんているの?」
「もう半分意地なんだろうけどね」
と、兄貴が説明した。
「ふぅん。ここって、意外とおもしろそうだな。食いもんの心配もしなくていいし。秋野って、料理上手いな。もっとグラマーだったら、桐生なんかに渡さないのに」
「アンタ、さっき、私のことタイプじゃないって言ったでしょ。私だって、アンタなんかお断りよ」
「あーあ、もっと素直な性格だったらなぁ」
「グラマーで素直な性格の女が好きなの?」
「ああ」
「高望みね。自分を知りなさい」
「だから、音楽で食べていけるようになりたい」
「それはちょっとムリなんじゃないかなぁ。リョウのサウンドって、アマチュアに毛が生えた程度なんだもの」
 えみりはきついことを言う。たとえその通りだとしても。
「ひどいなぁ、えみりさん」
 リョウは、言葉のわりに、特に気を悪くしたようでもなさそうだ。
「ギターやるんだよな。今度聴かせろよ」
 さっきのことも忘れたように、雄也は気安い口を叩く。
「今、聴かせてもいいけど」
 リョウはリビングの壁に立てかけてあったギターケースからギターを取り出して、弾き出した。――確かに、えみりの批評は当たっていた。
「うん。素人にしては、上手いもんじゃないかな」
 ひとり兄貴だけが、笑顔で褒めた。
 それにしても、今日は、結構リョウと喋ったな。今まで、ちょっと謎な奴だったけど、ちょっと身近に感じられた。
 けれど――これからリョウとひとつ屋根の下に暮らすことになるなんて……あいつは私には何もしないだろうけど、なんだか先行きが思いやられるような感じがする。

おっとどっこい生きている 26
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