おっとどっこい生きている もしかして! トイレへ行ってみたら、やっぱりお月様だった。 もうー。なんで女ってこんな不便な時があるんだろう。 時期がそろそろだから、前もって買ってきたナプキンがあって助かった。 私はまだ軽い方だけど、うっとうしくて仕方がない。 もう、生理痛のお薬を飲んで、ぐっすり寝てしまおう。 翌朝、いつも通りに起きた自分を褒めてあげたい。 『桐生将人と秋野みどり 硬派同士の恋!』 学校に行ってみると、そんな見出しの新聞が、掲示板に貼られてあった。 ふぅん、私が考えていたよりは、マシなコピーでないの。 「桐生さんが、『秋野』と呼んだのに対し、秋野さんは『将人』と名前で呼び捨てにしている。この辺は、秋野さんの方が、桐生さんに親しさを感じているように思われ……」 ふん。何も知らないくせに。それにしても、下手な文章ね。添削して送りつけてやろうか。嘘だけど。 「あ、秋野さん!」 新聞部だ。カメラのフラッシュが焚かれる。 「秋野さん! 交際発覚から一夜、何か進展はありましたか?!」 あるわけないじゃない。私、お月様なのよ。そうでなくたって、一夜でそうそう、アンタらの期待しているようなことが、あるもんか! 「今日は桐生先輩とご登校ではなかったようですが」 当たり前じゃない。将人には朝練があるのよ。 「今日のテストの山は当たりそうですか?」 ――と、これは冗談だけど。 私、今、とっても苛々してるんだから! 新聞部を無視して、教室に避難する。 「秋野さん、何か、一言、一言!」 まるでテレビのワイドショーだ。 「アンタ達、いい加減にしてよね!」 「秋野にだって、プライバシーってもんがあるよ」 クラスメートが、バリケードになってくれた。こういうときには、感謝だなぁ。 まさか、クラスのみんなが、私の味方してくれるなんて、思わなかった。 「おい、リョウ、秋野のコメント取ってこい!」 ――リョウ? 鷺坂稜。あの子も新聞部員だったんだ。どうせ幽霊部員だろうけど。 リョウが気だるげに頭を擡げた。 「リョウ、何をしてるんだ! 取材しろ! 取材!」 怒号が飛ぶ中で、私はリョウの目の前に立った。 「アンタはうるさく訊いてこないのね」 「あ、ああー……」 リョウは金髪になった長い髪に手を入れ、くしゃくしゃっとやりながら、あくびをした。興味なさそうに。 そして――また机に突っ伏した。 規則正しい寝息が聞こえた。 (寝てるし……) 「おい、リョウ! 聞こえないのか! 寝てるんじゃねぇー!!」 そんな声にもお構いなしで、リョウは眠りこけている。 こいつ、いまいち掴みどころないのよねぇ。必要最低限しか、会話したことないし。 ――そんなことより、奈々花だ。彼女はまだ来ていない。 私が待っていると、やっと現れた。由香里と加奈と一緒に。奈々花は、何となく青ざめている。 「奈々花!」 私が声をかけると、奈々花は俯いた。 HR開始のチャイムが鳴った。担任の先生が入ってくる。美和の期待した通り、男の先生だが、もう枯れている。 仕方ない。今は諦めるか。 そう思い、私は自分の席についた。 しかし、これといったチャンスもないまま、あっという間に四時限目が終わろうとしていた。 まだかな……お腹の調子が悪いんだけど……。 それで、授業時間終了のチャイムは、私にとって、恩寵の恵みのように思えた。 私は、すぐさまトイレに駆け込んだ。 ああ、スッとした。 私のクラスはトイレのそばだから、新聞部にも会わなかったし。こういうときは便利よねぇ。ちょっと臭いときもあるけど。 「みどり」 「今日子」 「あのね、今、由香里と加奈が、奈々花を連れて出て行ったんだけど」 「由香里達と?」 私は、奈々花ととうとう話をつける機会が訪れたと思った。 「私も声かけたんだけど、あの子、目を合わせようとしないし……みどり、――みどり!」 今日子の台詞が終わらないうちに、私は駈け出していた。 奈々花は、由香里達と、わざとらしい笑い声をあげていた。 「奈々花!」 私に気づくと、奈々花は横顔を見せて下を向いた。かすかだが震えている。 「奈々花、話があるんだけど」 「へーえ。話って?」 「アンタらには関係ないわよ」 そう言って、私は由香里を睨んだ。 「奈々花、行こ?」 奈々花は下を向いたままだった。 「山岸さんは、行きたくないってさー」 由香里が言った。 「アンタ、少し黙っててよ!」 私が由香里に文句言ったとき、奈々花が走り去った。 「あーあー、逃げちゃった」 由香里が他人事のように言う。実際、彼女には他人事なんだろうが。 私は奈々花を追って、その場を後にした。 私は足が遅い。それに、お月様なのだ。さっきトイレ行っておいて良かった――て、それどころじゃない。 奈々花には追い付かなかったけど、彼女の行きそうなところは、だいたい検討がついている――屋上だ! 私達は、そこでお弁当を食べたこともある。 そこへ向かう途中だった。 「秋野さん!」 うわっ! 新聞部の奴ら! 「今、山岸さんとすれ違ったんですけど、様子がおかしい。喧嘩でもしたんですか?!」 「山岸さんも桐生さんのことを好きだったとか!」 「そんなことに答えてる暇、ないわ」 「今、山岸さんを追ってらっしゃったんですね。我々も手伝いましょう!」 「いらないわよ!」 「そう言わずに。我々には知る権利があるんですから」 「じゃあ、私だって、黙っている権利があるはずよ!」 そう言って私は新聞部の二人の間をすり抜けた。彼らは追い縋る。 「秋野さん、何も言わないってことは、その通りだと認めたことですね!」 「あーなーたーたーちー」 地を這うような声が聞こえた。滅多に聞くことのできない、頼子の怒りの声だ。 「げっ! 松下!」 私もさっきまで気付かなかった。頼子は気配を消すのが上手い。 「教頭先生がね、話があるって行ってたわよぉ〜」 「た、助けてくれ!」 「逃がさないわ!」 頼子は二人の肩を持つ――と言うと、庇っているように聞こえるが、事実は正反対だ。私の方が、ちょっと、彼らに同情してしまう。 哀れな新聞部員の悲鳴を尻目に、私は屋上へ続く階段を上った。 屋上では、風が吹いていた。強い風が――。 髪が纏わりついてきて、邪魔だ。 果たして――奈々花はそこにいた。 「寄らないで!」 奈々花が、叫んだ。 「この屋上から飛び降りてやるんだから!」 「ほんとに飛び降りる気? こっち来て話し合いましょ」 「いや!」 「ああそう! そうやって、逃げるわけ! 何もせず、ただ逃げるわけ!」 「みどりちゃんにはわからないわよ!」 ああ、お定まりの台詞だ。 「話さなきゃ、わからないことだって一杯あるでしょ! こっち来なさいよ! それともアンタ、私が怖いの?!」 「怖い……怖いわ!」 「失礼ね! 私のどこが怖いの!」 「みどりちゃんに桐生先輩を取られるのが、怖いの!」 「桐生先輩は、誰のものでもないわよ!」 「嘘!」 「嘘じゃないわ! 私達、手を握ったこともないのよ!」 「でも、デートはしたじゃない!」 「当たり前よ! 好きなんだから!」 私の声のトーンも、必然的に高くなる。 「じゃあ……やっぱり付き合ってるの?!」 「付き合ってる……まぁ、友達としてだったけどね。今は違うわ」 奈々花の顔に、幾分ほっとした表情が浮かんだ。 「私、将人のこと、男として、恋人として好きよ! 奈々花にだって、将人のことに関しては譲らないわ」 奈々花の顔が、また強張った。 「どうして……どうしてみどりちゃんなの? どうして桐生先輩は、みどりちゃんを選んだの?」 どうして―― その疑問が脳裏に浮かんだとき、不意に、隼人くんの顔を思い出した。 「いろいろあったけど、隼人くんも、私達を結びつけてくれたのよ」 「隼人くん?」 「将人の弟よ。知らない?」 「し……知らない」 「奈々花は、どこまで将人のこと知ってるの?」 「知らない――全然知らない」 「じゃあ、どうして」 「わからない。剣道での戦い方がかっこよかったし、見た目もよかったから――」 「つまり憧れてたってわけね」 奈々花は、黙ってこくんと頷いた。 「私にとっても、将人は憧れの君だったわ」 私は言った。 「春休みに、将人が声をかけなかったら、永遠にそのままだったかもね。そういうところでは、私達、似た者同士よね」 「…………」 「それから、もし、隼人くんが風邪をひかなかったら」 「みどりちゃん、もしかして、隼人くんの看病に行ってきたの?」 「そうよ」 「桐生先輩が来いって言ったの?」 「ううん。実は私達、この間の外出の前にも、出かける約束をしてたのよ。けれど、将人が隼人くんの為に断ろうとしたのを、私が勝手に押しかけて行ったの」 奈々花は、左手を顔に押しつけて、くっくっと言った。 「奈々花?」 「みどりちゃんのおせっかい焼きも、たまには役に立つのね」 「何よぉ」 「もういいわ。弟さんが味方じゃ、歯が立たないもの」 「味方かどうか……随分懐いてくれたらしいんだけど」 「もう、桐生先輩のことは諦める」 「そんなに簡単に諦めていいの?!」 「うん。桐生先輩のこと、何にも知らなかったし。初恋だったけど、初恋って一種のはしかよね」 私は長年の経験でわかった。奈々花、無理してる。 「奈々花……まだ未練があるんでしょう」 「え?」 「本気でぶつかったことないから、まだ未練があるでしょうって、言ってんの!」 「え、え……?!」 「奈々花、今から将人に告白しな! もしかしたら、奈々花の方を好きになるかもわからないわ」 「で、でも、桐生先輩はみどりちゃんが……」 「そうやってぐちぐち言ってんの、奈々花らしくない! 私、元気な明るい奈々花の方が好きだわ」 ライバルを応援するってのも、変な話だけど、奈々花は親友だから―― 大切な、親友だから。 「じゃあ、みどりちゃんもついて来て――」 「甘えるんじゃないわよ!」 私はびしっと言ってやった。 「世の中には、自分一人で戦わなきゃならないことも、あるのよ!」 奈々花は、泣きたいのを、ぐっと抑えているようだった。が、しばらくして、きっぱり言った。 「私、先輩に告白する」 放課後、部室に来るなり、朝川友子が寄ってきた。 「秋野部長! 私、秋野部長の恋、応援してますから!」 「ど、どうも、ありがとう……」 「桐生先輩って、かっこいいですよね。秋野部長とお似合い」 「どうも……」 「お二人が告白し合う場面、見たかったです。さぞかし、ドラマみたいなシーンだったでしょうね。昨日は熱があって、学校に来れなくて、悔しい思いをしました!」 悪気はないんだろうが、友子は私を戸惑わせる。この子も新聞を見たのだろう。或いは、人伝てに知ったか。 奈々花も部室に入ってきた。さっぱりした顔をしていた。 奈々花から、二人のやり取りを聞かせてもらった。まず誰よりも、私に聞いて欲しかったらしい。これは、私がまとめた二人の会話である。(本人達に許可はとってある)。 「私、桐生先輩のことが好きです」 「そうか……ごめん。俺には好きな人がいるんだ」 「みどりちゃんでしょ? 校内で噂になってましたから。みどりちゃんは、私の親友です」 「秋野の友人か。そういえば、見たことあるな。確か山岸――」 「山岸奈々花です」 「秋野の友達なら、俺の友達だよな。これからも宜しく」 「はい!」 そして、私、秋野みどりは―― 山岸奈々花を尊敬する。 私は、流されるままに告白しただけだったけど、奈々花は正々堂々と、自分の意志で告白した。 そして、そんな私のことを親友だと言ってくれた。 私は、奈々花のことを誇りに思う。 振られても凛然とした女性、それが、山岸奈々花だった。 おっとどっこい生きている 24 BACK/HOME |