おっとどっこい生きている
23
 夜中に目が覚めた。……何となく下腹が痛い……。
 もしかして!
 トイレへ行ってみたら、やっぱりお月様だった。
 もうー。なんで女ってこんな不便な時があるんだろう。
 時期がそろそろだから、前もって買ってきたナプキンがあって助かった。
 私はまだ軽い方だけど、うっとうしくて仕方がない。
 もう、生理痛のお薬を飲んで、ぐっすり寝てしまおう。

 翌朝、いつも通りに起きた自分を褒めてあげたい。

『桐生将人と秋野みどり 硬派同士の恋!』
 学校に行ってみると、そんな見出しの新聞が、掲示板に貼られてあった。
 ふぅん、私が考えていたよりは、マシなコピーでないの。
「桐生さんが、『秋野』と呼んだのに対し、秋野さんは『将人』と名前で呼び捨てにしている。この辺は、秋野さんの方が、桐生さんに親しさを感じているように思われ……」
 ふん。何も知らないくせに。それにしても、下手な文章ね。添削して送りつけてやろうか。嘘だけど。
「あ、秋野さん!」
 新聞部だ。カメラのフラッシュが焚かれる。
「秋野さん! 交際発覚から一夜、何か進展はありましたか?!」
 あるわけないじゃない。私、お月様なのよ。そうでなくたって、一夜でそうそう、アンタらの期待しているようなことが、あるもんか!
「今日は桐生先輩とご登校ではなかったようですが」
 当たり前じゃない。将人には朝練があるのよ。
「今日のテストの山は当たりそうですか?」
 ――と、これは冗談だけど。
 私、今、とっても苛々してるんだから!
 新聞部を無視して、教室に避難する。
「秋野さん、何か、一言、一言!」
 まるでテレビのワイドショーだ。
「アンタ達、いい加減にしてよね!」
「秋野にだって、プライバシーってもんがあるよ」
 クラスメートが、バリケードになってくれた。こういうときには、感謝だなぁ。
 まさか、クラスのみんなが、私の味方してくれるなんて、思わなかった。
「おい、リョウ、秋野のコメント取ってこい!」
 ――リョウ?
 鷺坂稜。あの子も新聞部員だったんだ。どうせ幽霊部員だろうけど。
 リョウが気だるげに頭を擡げた。
「リョウ、何をしてるんだ! 取材しろ! 取材!」
 怒号が飛ぶ中で、私はリョウの目の前に立った。
「アンタはうるさく訊いてこないのね」
「あ、ああー……」
 リョウは金髪になった長い髪に手を入れ、くしゃくしゃっとやりながら、あくびをした。興味なさそうに。
 そして――また机に突っ伏した。
 規則正しい寝息が聞こえた。
(寝てるし……)
「おい、リョウ! 聞こえないのか! 寝てるんじゃねぇー!!」
 そんな声にもお構いなしで、リョウは眠りこけている。
 こいつ、いまいち掴みどころないのよねぇ。必要最低限しか、会話したことないし。
 ――そんなことより、奈々花だ。彼女はまだ来ていない。
 私が待っていると、やっと現れた。由香里と加奈と一緒に。奈々花は、何となく青ざめている。
「奈々花!」
 私が声をかけると、奈々花は俯いた。
 HR開始のチャイムが鳴った。担任の先生が入ってくる。美和の期待した通り、男の先生だが、もう枯れている。
 仕方ない。今は諦めるか。
 そう思い、私は自分の席についた。

 しかし、これといったチャンスもないまま、あっという間に四時限目が終わろうとしていた。
 まだかな……お腹の調子が悪いんだけど……。
 それで、授業時間終了のチャイムは、私にとって、恩寵の恵みのように思えた。
 私は、すぐさまトイレに駆け込んだ。

 ああ、スッとした。
 私のクラスはトイレのそばだから、新聞部にも会わなかったし。こういうときは便利よねぇ。ちょっと臭いときもあるけど。
「みどり」
「今日子」
「あのね、今、由香里と加奈が、奈々花を連れて出て行ったんだけど」
「由香里達と?」
 私は、奈々花ととうとう話をつける機会が訪れたと思った。
「私も声かけたんだけど、あの子、目を合わせようとしないし……みどり、――みどり!」
 今日子の台詞が終わらないうちに、私は駈け出していた。

 奈々花は、由香里達と、わざとらしい笑い声をあげていた。
「奈々花!」
 私に気づくと、奈々花は横顔を見せて下を向いた。かすかだが震えている。
「奈々花、話があるんだけど」
「へーえ。話って?」
「アンタらには関係ないわよ」
 そう言って、私は由香里を睨んだ。
「奈々花、行こ?」
 奈々花は下を向いたままだった。
「山岸さんは、行きたくないってさー」
 由香里が言った。
「アンタ、少し黙っててよ!」
 私が由香里に文句言ったとき、奈々花が走り去った。
「あーあー、逃げちゃった」
 由香里が他人事のように言う。実際、彼女には他人事なんだろうが。
 私は奈々花を追って、その場を後にした。

 私は足が遅い。それに、お月様なのだ。さっきトイレ行っておいて良かった――て、それどころじゃない。
 奈々花には追い付かなかったけど、彼女の行きそうなところは、だいたい検討がついている――屋上だ!
 私達は、そこでお弁当を食べたこともある。
 そこへ向かう途中だった。
「秋野さん!」
 うわっ! 新聞部の奴ら!
「今、山岸さんとすれ違ったんですけど、様子がおかしい。喧嘩でもしたんですか?!」
「山岸さんも桐生さんのことを好きだったとか!」
「そんなことに答えてる暇、ないわ」
「今、山岸さんを追ってらっしゃったんですね。我々も手伝いましょう!」
「いらないわよ!」
「そう言わずに。我々には知る権利があるんですから」
「じゃあ、私だって、黙っている権利があるはずよ!」
 そう言って私は新聞部の二人の間をすり抜けた。彼らは追い縋る。
「秋野さん、何も言わないってことは、その通りだと認めたことですね!」
「あーなーたーたーちー」
 地を這うような声が聞こえた。滅多に聞くことのできない、頼子の怒りの声だ。
「げっ! 松下!」
 私もさっきまで気付かなかった。頼子は気配を消すのが上手い。
「教頭先生がね、話があるって行ってたわよぉ〜」
「た、助けてくれ!」
「逃がさないわ!」
 頼子は二人の肩を持つ――と言うと、庇っているように聞こえるが、事実は正反対だ。私の方が、ちょっと、彼らに同情してしまう。
 哀れな新聞部員の悲鳴を尻目に、私は屋上へ続く階段を上った。

 屋上では、風が吹いていた。強い風が――。
 髪が纏わりついてきて、邪魔だ。
 果たして――奈々花はそこにいた。
「寄らないで!」
 奈々花が、叫んだ。
「この屋上から飛び降りてやるんだから!」
「ほんとに飛び降りる気? こっち来て話し合いましょ」
「いや!」
「ああそう! そうやって、逃げるわけ! 何もせず、ただ逃げるわけ!」
「みどりちゃんにはわからないわよ!」
 ああ、お定まりの台詞だ。
「話さなきゃ、わからないことだって一杯あるでしょ! こっち来なさいよ! それともアンタ、私が怖いの?!」
「怖い……怖いわ!」
「失礼ね! 私のどこが怖いの!」
「みどりちゃんに桐生先輩を取られるのが、怖いの!」
「桐生先輩は、誰のものでもないわよ!」
「嘘!」
「嘘じゃないわ! 私達、手を握ったこともないのよ!」
「でも、デートはしたじゃない!」
「当たり前よ! 好きなんだから!」
 私の声のトーンも、必然的に高くなる。
「じゃあ……やっぱり付き合ってるの?!」
「付き合ってる……まぁ、友達としてだったけどね。今は違うわ」
 奈々花の顔に、幾分ほっとした表情が浮かんだ。
「私、将人のこと、男として、恋人として好きよ! 奈々花にだって、将人のことに関しては譲らないわ」
 奈々花の顔が、また強張った。
「どうして……どうしてみどりちゃんなの? どうして桐生先輩は、みどりちゃんを選んだの?」
 どうして――
 その疑問が脳裏に浮かんだとき、不意に、隼人くんの顔を思い出した。
「いろいろあったけど、隼人くんも、私達を結びつけてくれたのよ」
「隼人くん?」
「将人の弟よ。知らない?」
「し……知らない」
「奈々花は、どこまで将人のこと知ってるの?」
「知らない――全然知らない」
「じゃあ、どうして」
「わからない。剣道での戦い方がかっこよかったし、見た目もよかったから――」
「つまり憧れてたってわけね」
 奈々花は、黙ってこくんと頷いた。
「私にとっても、将人は憧れの君だったわ」
 私は言った。
「春休みに、将人が声をかけなかったら、永遠にそのままだったかもね。そういうところでは、私達、似た者同士よね」
「…………」
「それから、もし、隼人くんが風邪をひかなかったら」
「みどりちゃん、もしかして、隼人くんの看病に行ってきたの?」
「そうよ」
「桐生先輩が来いって言ったの?」
「ううん。実は私達、この間の外出の前にも、出かける約束をしてたのよ。けれど、将人が隼人くんの為に断ろうとしたのを、私が勝手に押しかけて行ったの」
 奈々花は、左手を顔に押しつけて、くっくっと言った。
「奈々花?」
「みどりちゃんのおせっかい焼きも、たまには役に立つのね」
「何よぉ」
「もういいわ。弟さんが味方じゃ、歯が立たないもの」
「味方かどうか……随分懐いてくれたらしいんだけど」
「もう、桐生先輩のことは諦める」
「そんなに簡単に諦めていいの?!」
「うん。桐生先輩のこと、何にも知らなかったし。初恋だったけど、初恋って一種のはしかよね」
 私は長年の経験でわかった。奈々花、無理してる。
「奈々花……まだ未練があるんでしょう」
「え?」
「本気でぶつかったことないから、まだ未練があるでしょうって、言ってんの!」
「え、え……?!」
「奈々花、今から将人に告白しな! もしかしたら、奈々花の方を好きになるかもわからないわ」
「で、でも、桐生先輩はみどりちゃんが……」
「そうやってぐちぐち言ってんの、奈々花らしくない! 私、元気な明るい奈々花の方が好きだわ」
 ライバルを応援するってのも、変な話だけど、奈々花は親友だから――
 大切な、親友だから。
「じゃあ、みどりちゃんもついて来て――」
「甘えるんじゃないわよ!」
 私はびしっと言ってやった。
「世の中には、自分一人で戦わなきゃならないことも、あるのよ!」
 奈々花は、泣きたいのを、ぐっと抑えているようだった。が、しばらくして、きっぱり言った。
「私、先輩に告白する」

 放課後、部室に来るなり、朝川友子が寄ってきた。
「秋野部長! 私、秋野部長の恋、応援してますから!」
「ど、どうも、ありがとう……」
「桐生先輩って、かっこいいですよね。秋野部長とお似合い」
「どうも……」
「お二人が告白し合う場面、見たかったです。さぞかし、ドラマみたいなシーンだったでしょうね。昨日は熱があって、学校に来れなくて、悔しい思いをしました!」
 悪気はないんだろうが、友子は私を戸惑わせる。この子も新聞を見たのだろう。或いは、人伝てに知ったか。

 奈々花も部室に入ってきた。さっぱりした顔をしていた。
 奈々花から、二人のやり取りを聞かせてもらった。まず誰よりも、私に聞いて欲しかったらしい。これは、私がまとめた二人の会話である。(本人達に許可はとってある)。

「私、桐生先輩のことが好きです」

「そうか……ごめん。俺には好きな人がいるんだ」
「みどりちゃんでしょ? 校内で噂になってましたから。みどりちゃんは、私の親友です」
「秋野の友人か。そういえば、見たことあるな。確か山岸――」
「山岸奈々花です」
「秋野の友達なら、俺の友達だよな。これからも宜しく」
「はい!」

 そして、私、秋野みどりは――
 山岸奈々花を尊敬する。
 私は、流されるままに告白しただけだったけど、奈々花は正々堂々と、自分の意志で告白した。
 そして、そんな私のことを親友だと言ってくれた。
 私は、奈々花のことを誇りに思う。
 振られても凛然とした女性、それが、山岸奈々花だった。

おっとどっこい生きている 24
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