おっとどっこい生きている
22
「おかえりなさーい、みどり」
 えみりが出迎えてくれた。
「ただいま」
「あれ? なんかいつもと違うわね。どうしたの? あっ、もしかして桐生クンに告白されたとか?」
 私は目を瞠った。なんでわかったんだろう。
「やっぱそうなの?」
 高校ではもう周知の事実だ。隠したってしようがない。私はこくんと頷いた。
「でも、それにしては元気ないわね。どったの?」
 私は、今ではもう奈々花のことを思い出していた。奈々花のことを考えると、手放しでは喜べない。
「ちょっとアタシ達の部屋に来る? 雄也はまだ帰って来てないし、純也は寝ていてるし」
 私は大人しくついていくことにした。
「えみりだったら、恋愛の相談のときだけは役に立ちそうだよね」
「『だけ』というのはよけいよ。まぁ、得意分野ではあるけど」
 えみり達の寝起きしている部屋で、私は、将人のことや奈々花のことをえみりに話した。
「へぇー。つまり、よくある三角関係ね」
 一言で片づけられたので、私はムッとした。
「そんな顔しないで。ウブだなぁって、感心してるんだから」
 どうせ恋愛に免疫ないわよ。
「ねぇ、みどり。アタシ、雄也にも話してないけど、中二で初体験してるのよ。予想外でしょ?」
「ん、まぁ……」
 本当は意外でも何でもないのだけれど、私は逆らわないでいた。
「で、えみりは、相手のことそんなに好きだったの?」
「ん、好奇心かな」
「サイテー」
 つい本音が出てしまった。
「好きは好きだったのよ。バージンあげるくらい。重い荷物を捨てたようで、そのときはよかったんだけど、雄也を愛して、純也が生まれて、私、考えちゃったのよね。もし、純也がアタシと同じ、愛のないHをしたら、アタシ、怒ると思うのよ。子供ができて、初めて親の気持ちがわかったわ」
 えみりが、布団に寝ている純也の頭を撫でた。
「やっぱり、この子には、幸せになってもらいたいからね」
 そう言って、赤ん坊を見ているえみりの目には、愛おしさが溢れている。
 ああ、えみりもやっぱり人の親なんだなぁ。私なんかより、ずっとしっかりしてる。
「みどり、アンタ、桐生クン、好き?」
「うん」
「奈々花ちゃんも好き?」
「うん」
「じゃあ、その気持ちを大事にして」
 えみりは立ち上がった。そして、私の肩に手を置いた。
「その純情な心、捨てないでね」
 肩に置かれた手に、ぐっと力が込められた。
 手を離すと、トイレに行ってくる、と言った。
「みどり、後で後悔するような恋だけはしちゃダメよ」
 襖を閉める瞬間、えみりはそう言い残した。
 彼女は泣いてはいなかったか。
 涙も流していないようだったし、声もいつも通りで、哀しみに震えてはいなかったが、私は何故か、えみりが泣いているように思えた。

 おじいちゃん、おばあちゃん。どうぞ、私に知恵をください。
 私は仏壇の前で祈った。
 哲郎が見たら、面白く思わないかもしれない。けれど、こうしていると、おじいちゃんとおばあちゃんの霊に包まれているようで、安心できるのだ。

「おい、みどり。今日の飯はまずいぞ」
 兄貴が不満げに言う。
「みどりくん、どうしたんだい?」
 哲郎が心配し出す。
「ほっとけほっとけ」
 雄也がご飯をかっこんでいた。えみりはそ知らぬ顔をしている。
「私だって、調子の悪いときあるわよ。気に入らなきゃ、自分で作れば?」
 私は――いつもはしないことだけど――ご飯中に席を立った。
「おい、みどり、待てよ」
 兄貴の声にも振り返らず、私は自分の部屋へと戻ってしまった。

 お父さんとお母さんとの話も弾まなかった。
 ただ、二人とも、「どうしたの?」とは訊かなかった。それが私への思いやりであるなら、ずいぶん成長したもんだ、と思う。

『俺は、秋野が好きだ』
 私も、将人が好き……でも、好きって、一体なんだろう。
 恋人として好き、なんだろうか。うん。確かに、私は恋してるんだろう。でも、どこに?
 優しいから? 男らしいから? 剣道をしている姿が格好いいから?
 そんなことは、恋には関係あっても、愛にはあるのかしら。そもそも、恋と愛は違うものなのか。同じものなのか。恋愛って言葉があるけど、あれは、恋と愛が一緒という考えから、生まれたものなのだろうか。
 外面に憧れているだけなら、私も黄色い声援を上げる女生徒と同じようなもんだ。
 奈々花はどうなんだろう。将人のどこが好きなんだろう。
 そういえば、私達が告白し合っていたとき、奈々花はどこにいたっけ。
 廊下に出ていたのか、それとも、教室で身を固くしていたか。
 私だったらいたたまれない。そんな感情を、奈々花に味わわせていたのだ。
 もう口もきいてくれないかもしれない。けれど、このままにはしたくない。
 明日は奈々花と、何としてでも話をしよう。――そう決意して、私は寝床についた。

おっとどっこい生きている 23
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