おっとどっこい生きている 私は子供達とすぐに仲良くなった。一緒に絵を描いたり、追いかけっこ――会堂が狭いので追うのは骨が折れたが――をして遊んだ。 哲郎達と帰るとき、子供達は口々に言った。 「ばいばい、お姉ちゃん」 「また来てね」 「さようならー」 私はマーシャ(子供の一人)に手を振った。時計はもう四時を回っていた。 一番初めに私に声をかけてきたのも、マーシャだった。 紅茶を飲んでいた私に、一本のクレヨンを握って、「おえかき、して」と言ったのだ。 私も絵を描くのは得意だったから、適当に子供達の絵を描いた。そしたら、子供達が集まってきて、 「うまーい」 「ねぇ、アンパンマン描いて」 とリクエストが殺到したのだ。 すっかり打ち解けた私達は、その後、鬼ごっこをした。もちろん、私が鬼。 帰る道々、私は哲郎に言った。 「聖書はよくわかんないけど、今度もまた来ていい?」 「もちろんだよ。それに、今に聖書にも馴染んでくるって」 ――そう。これが、前回は書けなかった分だ。 月曜日―― 私がいつものように学校に来ると、頼子が駆けてきた。 「ああ、みどり? ちょっと大変なことになってるけど、驚かないでね」 「何があったの?」 「ちょっと来てくれる?」 頼子は私を教室に引っ張っていった。 黒板に、でかでかと、 「秋野みどりはエセ硬派」 と書かれていた。 何枚かの写真が、マグネットでとめてある。 「何これ!」 写真は、将人と私のツーショットだった。 「あーら。噂をすれば」 何故か私を目の敵にしている高部由香里が言った。 「アンタ?! これ撮ったの、アンタなの?!」 「あら。私じゃないわよ。加奈よ」 南加奈――由香里の腰巾着だ。 「アンタらねぇ……私をどう思おうと勝手だけど、これは少しやり過ぎじゃない?」 「ただの桐生先輩とアンタの写真じゃない。めくじら立てることないでしょ?」 それは確かにその通りなのだが―― 「じゃあ、エセ硬派って何? 明らかに悪意があるじゃない」 「失礼ね。本当のことを書いたまでよ」 私達が言い争っていると、奈々花が入ってきて、黒板と写真を見ると、急いで教室から出て行った。 「……どうしたの? 奈々花」 私は、傍らの頼子に訊いた。 「知らなかったの? 奈々花も桐生先輩が好きだったのよ」 それは初耳。 「みどりって、時々鈍くなるのね。美和は気付いてたようだけれどね。奈々花の気持ちも、アンタ達のことも。だから、奈々花の耳には入れないようにしてたんだけれど」 美和も、結構気を使ってくれてたのね。頼子がそういうデリケートな部分に心配りをするのはわかるけれど。 「ショックだったかもね。あの娘、みどりには、再々『敵わない』と言ってたし」 「おまけに片思いの人を取られたんじゃねー」 頼子の台詞に、由香里の意地悪な台詞が重なる。 「そんなこと言ってないでしょうが!」 頼子が由香里に食ってかかる。 私は、奈々花の後を追った。 廊下に出ても、奈々花の姿はない。 「奈々花……」 とりあえず、教室に戻った。 私は腹立ち紛れに、黒板の文字を消し、写真を剥がして捨てた。 「そんなことしても無駄よー」 由香里が勝ち誇ったように言った。その態度の意味は、昼休みになってわかった……。 「新聞部です! 秋野さん、桐生さんと付き合ってるって、ほんとですか?!」 だったらどうだって言うのよ。 私は苛ついていた。奈々花は結局授業には出なかったし。 白岡高校には、新聞委員会と新聞部がある。新聞委員会は、真っ当な、学校行事のことなどを記事にして新聞に載せてるんだけど、新聞部は――まぁ、ゴシップ記事などを集めている。この学校には、大してそんな記事になるようなもんないんだけど。 でも、自他共に硬派というのを認めている私の、男子生徒との交際発覚、というのは、確かにそこそこのネタにはなるだろう。 「秋野!」 将人がやってきた。新聞部に追われて来たのだ。 「お二人はどんな仲で?! 恋人同士? ただの友達?」 「デートしているところを見たっていう人がいるんですが!」 「告白はしたんですか?! したとしたら、どっちから?」 えーい、うるさいッ! 廊下にどっと人が集まってきたので、将人と私は、人の壁に遮られるようになった。 「桐生さんは、秋野さんのこと、どう思っているんですか?」 新聞部は、将人にも容赦がない。 「答えてください! 桐生さん!」 「答えてください!」 「やめて!」 私は叫んだ。 「それ以上私達につきまとったら、蹴飛ばすわよ!」 「と、言うところをみると、桐生さんと秋野さんは、実際に付き合っているんですね?! 我々の勘違いではなく――」 私は、インタビューアーの向う脛に思い切り蹴りを入れてやった。そいつは痛がった。 「そうだ! 俺達は付き合っている! 何が悪い!」 えっ?! 私は、耳を疑った。一瞬、奈々花のことも忘れた。 将人と私が付き合ってる。将人ははっきりと公言したのだ。 「ただ、まだ秋野の気持ちを聞いてないけど、俺は秋野が好きだ!」 「それは、付き合ってると言うのじゃなくて、一方的な片思い――」 さっきのインタビューアーが言ったので、私はまた蹴ってやった。 「私も将人が好きよ!」 途端に、廊下は大盛り上がりになった。 「ひゅー」 「やるじゃん! 二人とも!」 「『将人!』だって」 「両想いで良かった良かった」 「なるほど。秋野と桐生先輩か。なんかいい感じ!」 パチパチパチ、と拍手が鳴って、歓声が辺りに響いた。 「くっ……」 由香里が悔しそうな顔をして、その場を離れた。でも、私は「いい気味」とも「ざまぁ見ろ」とも思わなかった。 「なんだ? この騒ぎは。通れんではないか」 通りすがりの社会科担当の成田先生が言った。 「まぁまぁ。おめでたいところなんですから」 松下先生(頼子のお父さんだ)が宥める。 「思わぬところで、思わぬニュースにあったな。――おーい、頼子。弁当忘れたろ」 「あっ、持って来たの?」 頼子が人垣をかき分けかき分け、松下先生のところに進み出た。頼子には、意外とドジなところもある。 「これだから、親と一緒の学校は嫌なのよ。一食ぐらい抜いても、死にはしないのに」 そう言いながら、頼子は弁当袋を受け取った。 皆がどっと笑った。頼子は急いで教室に戻った。恥ずかしかったのだろう。しかし、私は、それ以上の注意を払わなかった。 (将人が、私を好きだって――好きだって) そのとき、私は、奈々花のことも、翌日校内新聞に『桐生将人と秋野みどり 交際発覚!』と言う活字が躍っているだろうことも、頭になかった。 おっとどっこい生きている 22 BACK/HOME |