おっとどっこい生きている 「お父さん、今日は四月一日じゃないのよ」 「知ってるよ」 お父さんはにこにこ。 「トンガに赴任って、何なのそれ! 聞いてないよ!」 兄貴がよく、「聞いてないよぉ」という石器時代のギャグを飛ばすけど、まさにそんな感じ。 ていうか、トンガって何?! どうしてお父さんがそんなところへ行くの?!」 私がそう言うと、お父さんは、相変わらずにこにこしながら答えてくれた。 「僕の会社には、トンガにも支社がある。知ってるね。今回そこで、BBWに関する研究プロジェクトが発足するんだ」 「BMW(ベンべー)?」 「それは車だ。いいかい。みどり。BBWというのは、ビッグ・ビューティフル・ウーマンの略だ。トンガの美しさの基準は、太っていることさ。これが成功したら、誰でも簡単に、美しく太るようになれるんだ」 「ふぅん」 なるほどいいことかもしれない。痩せ薬が氾濫しているこの頃、携帯持っている友達からも、 「『これを使えば痩せる!』というダイレクトメールが何通も来るんだよー」 と、迷惑がられている。つまりは、それだけ痩せたい人が多いわけだ。 でも、美しく太ることが世間に認められるならば、無理して痩せる必要もないわけだ。体に負担がかからないならば、太っていようが痩せていようが、関係ない。人間的魅力で勝負できるというわけだ。太っていることに、劣等感を味わわずに済むんだ。 行き先がトンガというところが少々気になるけど、単身赴任というのはよくある話。自分でも珍しく、喜んで父を送ろうと思っていた。 ところがである。 「それでねぇ。お母さんも行くことになったのよ」 暖簾を分けて、お母さんが現われた。 「ええっ?! 何それ?! 未成年の娘を置いて、両親共々トンガに行くってわけ?! 信じらんないッ!!」 「あら、大丈夫よ。お兄ちゃんがいるじゃない」 「兄貴なんて当てにならないよ」 「大丈夫。みどりちゃんしっかりしてるから、家のことはお願いね」 「わざわざお願いされなくても、家事は私がやってるじゃない」 そうなのだ。働くことがそう苦にならない私は、この家のおさんどんを一手に引き受けている。父や母や兄貴がのほほんと暮らしていられるのも、全て、私のおかげなのだ。 そこまで思って、私はふっと不安になった。 「お母さんさぁー……料理とかできるわけ? 二人だけで暮らしていける?」 「あら、失礼ね。みどりちゃん。お母さんこれでも、花嫁修行のときには、習ったことあるのよ」 「その頃から、全く進歩していないんじゃない?」 お母さんの作る料理は、はっきり言ってまずい。 「お父さんは喜んで食べてくれているわ」 「そりゃあ、お父さんは味音痴だから。それにしても、お母さんまで行くことないんじゃない? それとも、夫婦同伴で来いってお達しなわけ?」 「違うわ。お父さんだけじゃ寂しいだろうと思って、お母さんもついていくことにしたの」 「ついていくことにしたって――」 お母さんは無邪気そのものの顔をしている。 「それに――お父さんをBBWに取られたらイヤだもの」 「美沙子……どんなに僕の周りにBBWがいても、僕の妻は、君一人だよ!」 「あなた!」 お父さんとお母さんは、駆け寄り、互いに必死とかき抱いた。 あー、あほらし。 押し問答がしばらく続いたが、結局二人は三月末日、トンガに発って行ってしまった。二人とも、説得を耳に入れるようなタイプではない。 こうなったら仕方がない。一刻も早くこの状態に慣れることだ。 と言っても、格別の努力は必要しないだろうと思う。両親がいなくなったのは、寂しいことは寂しいが、兄貴もいることだし。兄貴は二十歳過ぎてるから、保護者の代わりも立派に務めてくれる――はずだ。 おっとどっこい生きている 3 BACK/HOME |