おっとどっこい生きている
17
 私は、一旦台所へ帰った。
 哲郎は、私がさっきまで作っていた鶏のから揚げに挑戦していた。
 お世辞にも上手とは言えない……。
 こんがり狐色というには、焦げかけの鶏肉が、数個、バットに並んでいる。
「ちょっと! 哲郎さん、私がやるから!」
「いやいや。一旦引き受けたからにはちゃんとやらないと」
 油が跳ねるたび、「熱っ!」と言ってその場を離れ、そろーりそろりとまた近づく。
 こんな悠長なまねやってるから、焦げるのよっ!
「哲郎さん、もういいって」
「最後までやらせてくれないか。こうなったらもう意地だ」
 意外に頑固なのね。
 でも、私がいないときの為に、料理に慣れさせとくのも手かな。
 私が悩んでいると、雄也が来て、言った。
「おい。みどり、今、いいか?」
「え、でも……」
「僕のことは気にしなくていいから」
 哲郎はそう言ってくれたが、
「うわーっ! 熱ーっ!」
「何のこれしき!」
などと、度重なるオーバーアクションに、さすがの雄也も呆れたらしく、
「ここ出るか。気が散る」
と口にする始末だった。
 だから、不安に思いながらも、鶏と格闘している哲郎を台所に残した。
 廊下に出ると、雄也がぶっきらぼうに切り出した。
「お袋がアンタによろしくって」
「――わざわざありがとう。私もつねさんに機会があったらお礼とお詫び言っておくわね。用はそれだけ?」
「いいや!」
 雄也がこっちに迫って来た。
「みどり、お袋に何て吹き込んだんだ。おかげで肩凝るわ足がしびれるわの、野点の会に参加することになっちまったじゃねぇか!」
「あっそう。でも、本当に嫌なら、嫌って言えばいいのよ」
 雄也は呼吸を整えているらしい。
「洋服でいいって言うから、折れたんだ。そして、えみりも連れてこい、とさ」
「良かったじゃない」
「何がいいの?」
 えみりが、背後からひょっこり現れた。
「あのさー、えみり。お袋がさ、オマエと一緒に野点の会に来いって」
「え? 本当? でも、アタシ、着物の着方とか、わかんなぁーい」
「洋服でいいいんだって。スーツででも」
「えー、せっかくお茶の会なんだから、着物着たーい。あ、そうだ。浴衣なんかどうかしら」
 野点に浴衣着て行ってどうすんのよ。この人は――。
「みどりは行かないの」
「うん。その日、用事入ってるから」
「――男とデートなんじゃないだろうな」
 雄也……なんでアンタはそう勘が働くの?
「桐生クン、じゃなかったっけ?」
「なんでえみりが桐生先輩のこと知ってるのよ」
「駿ちゃんが言ってた」
 兄貴のヤツ〜!
「で? どうなの? カッコいい?」
「ん? まぁまぁじゃない?」
 本当は、すごくかっこいい!と断言したいけど、なんか照れちゃうのよね。ましてや、『硬派の秋野』を自任する私としては。
「まぁまぁか。こりゃ、哲郎の奴にも、チャンスがあるんじゃねぇの?」
 雄也が意味不明なこと言った。
 哲郎が?
 私を?
「まさかー」
 私は笑い出した。
「いやいや、冗談でなく。哲郎、あいつ、おまえに気があるぜ」
 そ、そうなのかしら……。
「教会にも連れて行きたがるし。しかも、その為にアタシ達を誘うなんて、ねぇ」
「オレ達は当て馬で、本命はみどりなんだよ」
 哲郎は、私が桐生家から帰ってきたとき、隼人の健康を案じて、いろいろ話を聞いてくれた。あれは演技じゃない。というか、本気なんだろうけど。
「まぁ、哲郎のことは置いといて。みどり、アンタ、この間言ってた埋め合わせ、まだやってないわよ」
 えみりが、目を逸らさせないぞ、というようにずいっと顔を近づけた。
 まずいな……。
「そうだったわね。何がいい?」
「そうねぇ……お土産買ってきてくれる? 二、三千円の安いやつでいいから」
「二、三千円は、ちっとも安くないわよ!」
「わかったわかった。じゃあ、千円くらいで譲歩するから」
「それでも高いわよ!」
「じゃあ、なんか適当なモン見つくろって買ってきて」
 えみりの台詞回しも、途端に適当になったわね。
「――わかったわ」
 私は渋々承知した。
 つねさんに、『雄也達を野点の会に招待する』ことを頼んだぐらいでは、約束果たしたことにはならないことは、わかるものね。
 私達が話している間、哲郎は孤軍奮闘していた。

 から揚げは、予想通り香ばし過ぎた。
 仏様にもご飯を上げた後、私は、階段を上り、部屋に戻る。
 さぁてと。制服を片付けなきゃ……そうだ。
 私は、スカートのポケットの中から、今日のメモを取り出した。
 うん。やっぱり、将人の字は綺麗。
 嬉しくなりながら、一番大切な手紙を置く場所へ、そのメモを置いた。

 そろそろ、一日一回の定時連絡――。
「みどりー。電話だぞー。父さんからー」
 兄貴の声に、私は「また来たな」と身構える。そうしないと、脱力しそうだからだ。
 ちなみに、今までも電話は毎日来てたのだが、いちいち書くのは面倒なので、カットしてきた。
「やぁ、マイスイートハニー。元気にしてるかい?」
「お父さん……スイートハニーって、意味わかってて言ってんの?」
「もちろん。美沙子とみどり、二人のスイートハニーに恵まれて、僕は幸せ者だ。しかし、人間欲が出てくるもんだね。――みどりに会いたくなってきたよ」
「兄貴とも、そんな風に喋っているわけ?」
「ちょっと違うかな?」
 違わなきゃ大問題だ。
「あのねぇ、私はあくまで娘であって、恋人じゃないのよ」
「でも、結婚するまでは、お父さんの恋人だろ?」
「私、意外と早く結婚するかもよ?」
「え? 相手は誰だい」
「今はまだ教えない」
「ということは、みどりには、恋人がいるってことかい?」
「さぁねぇ」
 ここで、手の内を見せるわけにはいかない。
「みどりももう高校生だものな。恋のひとつやふたつ、してるのかもしれないね。でも、お父さん、寂しいな」
「お父さんには、お母さんがいるじゃない」
「お母さんがいても、寂しいものは寂しいよ。ああ、しばらくしたら、みどりもお嫁に行っちゃうのかな。目に見えるようだよ。純白のドレスを着たみどり。そして、バージンロードでエスコートする、花嫁の父の僕……」
「もうっ! お父さんたら、そこまで想像しないでよね!」
 少なくとも数年は先の話なんだから。私だって、大学出たいし。
 ただ――そのとき、将人の顔が浮かんだ。
「わぁっ」
「何が起こったんだい? みどり」
「ん……なんでもない」
 あー、びっくりした。まだ心臓がどきどき云ってる。
 これが、もしかして、恋ってやつなのかなぁ。それとも、一過性のもの?
 今度、頼子にでも、相談してみようかな。ううん。学校の友人に打ち明けるのは、最後の手段だ。
「美沙子も、みどりに会いたがってるよ。電話代わるね」
「うん」
 早くしないと。海外通話はお金がかかるんだから。
「みどり、お母さんよ。お父さんがいらない心配したから、びっくりしたでしょう」
 うーん……そう簡単にいらない心配とは一概に言えないんだけどな。実は。
「ご飯ちゃんと食べてる?」
と、お母さん。
「いつも鍛えられてましたからね」
「同居人さん達とは、上手くやってる?」
「まぁまぁね」
「学校はどう?」
「今日から始まった」
「楽しい」
「割と」
「んもう、みどりちゃんたら、反応薄いんだから。「まぁまぁ」とか、「割と」とか」
 だって、きまりきった質問には、きまりきった答えしか出てこないじゃない。
「今日に限ったことじゃないでしょ?」
「そうね。だから、お母さん、その度に寂しい思いをしてたのよ」
 そう云えば、お父さんも、寂しいって言ってたっけ。親は、子供のことで寂しがる生き物なのだろうか。
「宿題はやってるわよね」
「今からやるとこよ」
「じゃあ、勉強がんばってね。これ以上邪魔にならないうちに、もう切るから」
 がちゃん。つーつー。
 えー、如何だったでしょうか。これが秋野家に毎日かかる、電話の一部分です。
 他には、おじいちゃんとおばあちゃんの話とか、トンガの生活の話をすることもありますが――。
 自分で書いてて、直視できません……。

おっとどっこい生きている 18
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