おっとどっこい生きている うちの学校では、今日から本格的に部活が始まるところが結構ある。文芸部もそのひとつ。剣道部や野球部なんかは、休み中でも毎日やってるけれど。 部室に行こうとしたとき――将人とすれ違いざま、紙切れを渡された。 なんだろうと思って開いてみると、 『今日午後五時、屋上で待ってる』 と、綺麗な文字で書かれてあった。 私は、辺りを見回した。見た人はいないね。よし! 私はペンと紙(私だって作家志望のはしくれ、発見や感想やアイディアを書き留める為に、いつもそれらを持ち歩いているのである)を取り出すと、返事を書き、将人を追って手渡した。 『了解!』 「みどり――何かあった?」 同じクラスの松下頼子が、怪訝そうにこちらを見ている。小声で訊いてきた。 「う、ううん。別に」 と、私は無難な答えをした。 松下頼子は、この学校の教頭、松下義国の娘である。 親のいる学校へは行きたくないと、他の学校の受験に臨んだが、見事惨敗。頼子によれば、バイオリズムが良くなかったらしい。 今は、白岡高校の文芸部には、なくてはならない存在になっているのだが。 私も、頼子と友達になれて良かったと思う。ありがとう。城陽高校(頼子が落ちた高校)。 「――あんた、どこか変じゃない? 始業式のときには泣いてたし。ま、その前はいつもの、ううん、いつもより、ちょっといいことでもあったかなーってぐらいだったけど。今は、なんか上の空って感じ」 うーん。隠しているつもりだけど、バレバレか。 まぁ、仕様がない。地に足がついていないのが、自分でもわかるし。 幸い、私達の会話は、顧問の村沢先生には、気づかれていない様子。それにしても、ぺらぺらとよく喋るなぁ、彼女。 「と言う訳で、私達は文学的に価値のある作品を残した作家の足跡を辿りたいと思います。県内だけではなく、他の地方にも行きたいと思っておりますが、ただの旅行では勉強になりません。まずは、この近くの『――』(聞き逃した)と言う作家の家を訊ねたいと計画してますが――」 話を聞いている人、部の中にどれぐらいいるだろう。とりあえず、どこかに行けるらしいとの興味だけで耳を傾けているという人が、大半ではあるまいか。 私に至っては、どこかふわふわとして、まるで関係ない話みたいに耳を素通りしてしまうし。 「あら。もうこんな時間ね。じゃあ、部長を決めましょう。――秋野さん、よろしくね」 「へっ?!」 今までの話より、随分結論が短くない? まぁ、いいけどさ。 「異議なし!」の声が飛ぶ。 「副部長は、松下頼子さんでいいですか?」 「はい」 「では、今日の話し合いは終わりにしましょう。解散」 普通、こう云う相談に時間を割くんじゃないの? わからない先生だなぁ。まぁいい。やるけど。というか、一年のときから既に、部長みたいなものだったから。 「ぶ・ちょ・う」 「うわっ! ――なんだ、奈々花か」 「新部長就任、おめでとうございまーっす」 「どうも。風紀委員会の副委員長もかけもちになる予定だけどね」 私は溜め息をついた。これからせわしくなるな。でも、こんな忙しさは嫌いじゃない。だって、それだけ期待されてるってことだもの。 「私にも、サポートできることない?」 今日子、今のあんたが天使に見えるわ! 「じゃ、この企画書、放課後までにまとめようね」 すると、一人の女生徒が私に近付いてきた。 「秋野部長」 「ん?」 この子は――転校生と言う話だったけど――村沢先生が、文芸部に興味あるみたいだからと言って、職員室で会わせてくれたんだよね。 「えっと――あなたは朝川さんだっけ?」 「はい。二年二組の、朝川友子です。私、秋野部長のファンです」 私はずるっとコケた。そんな話、聞いてなかったぞ。 「いつから?」 奈々花が友子に尋ねた。 「中学のときから――です」 中学? 中学のときから、私は相変わらず私だったけど、こんな子いたかしら。 「同じ中学だっけ?」 「はい……」 大人しそうな友子は、消え入るように返事した。 「一年のときは違う高校行ったから……」 そこで友子は顔を上げ、声も大きくなった。 「だから! この高校で、この部で出会えて、嬉しいんです! これもきっと神様のお導きだと……」 か、神様のお導き……。 本当にそんなことがあるのかしら。以前の私は笑い飛ばしてたけれど。今度、哲郎に訊いてみようかな。 しかし、問題は、私が中学時代のこの子のことを全く覚えてないわけで――。 「朝川さん、私、勝手にファンになられても困るんだけど……」 「いいんです。今日は、思い切ってお話ができたこと。それだけでも嬉しいんです」 なんか、思い込みの激しそうな子だなぁ……悪い子ではないんだろうけど。 「じゃあ、ちょっと部の仕事手伝ってくれる? 私は副部長の松下頼子、こっちはみどりの友人、山岸奈々花、戸川今日子ね」 はいっ!と、受け入れられたことに気を良くしたのか、元気な返事をして、友子は頼子達に、まず何をすればいいか、どんな手順でやればいいかの説明を受けていた。 しかし――頼子って、ほんと、口が上手いわね。私だったら幻滅させていたかも。 友子の意外な有能さに、仕事は五時十五分前までに殆ど終わってしまった。 後は、私がハンコを押すだけになった。感慨を込めて、私は、ぽんっとハンコを押した。 「初仕事終了ー!」 頼子達がパチパチと拍手した。 友子は――今回の殊勲賞ものだ。 私がそう言うと、 「ありがとうございます! お役に立てて嬉しいです!」 と、何度もお辞儀をして、涙を浮かべんばかりだった。 さあ、早く屋上へ行かないと! 「さよなら、みんな。またね」 私がそう言うと、頼子、奈々花、今日子、友子の声が一度に聞こえた。台詞はばらばらだったけど、「さようなら」とか、「また明日」とか云う類のものであったろう。 「桐生先輩!」 私は、階段を駆け足で登った為、息を切らしていた。運動不足かなぁ。 「やぁ、秋野」 「待った?」 「いや、全然。かえって早いくらいだよ」 「助手がたくさんいたから、助かったわ」 「良かったね」 「隼人くん、良くなった?」 「ああ。体の方はまだ本調子じゃないみたいだけど。秋野の作ってくれた粥のおかげかな。あいつ、えらく秋野に懐いちまって、『今度、秋野さんいつ来る?』って、そればっかり」 「あははっ。そう言ってくれると、私も本当に嬉しい」 「でさ……隼人が言え言えって言うんだけど……」 「何を?」 「――今は言わない。まだ早いから」 「何なのよ〜。気を持たせといて」 「まぁまぁ。俺達、こんな風に話し合えるようになったの、つい最近だろ? だから……」 「だから?」 「その前に、友達から始めようと思って」 「え?」 「ん、だから……」 将人も逡巡しているらしい。 「今度の土曜日、散歩に行かないか?」 「いいわね。私も運動不足を解消しようと思ってたところなの」 「俺は、運動はいっぱいしてるけどね」 きっと剣道のことだ。ハードな練習をいっぱいこなしていると思う。 私の顔からは、笑みがこぼれていただろう。 将人が何を言おうとしていたか――おおよそ察しがつくけれど――気にならなくなった。機会が訪れて、将人の方から伝えてくれるのを待つから、ね。 家に帰って、料理の準備をしていたら、電話が鳴った。 揚げ物をしていたので、誰か受話器を取るだろうと、そのまま家事にいそしんでいたが、 「みどりくん、つねさんから君に電話」 と、哲郎が顔を出した。 「はいはい」 「揚げ物だから、離れるわけにはいかないよね。僕がやっておくよ」 「ありがとう」 哲郎の料理のスキルがわからない私としては、ちょっと不安だったが、任せることにした。 「はい、もしもし。お電話代わりました。秋野みどりですが」 「みどりさん。こんばんは。お時間大丈夫?」 「つねさん。こんばんは。夕飯の支度中でしたが、手伝ってくれる人がいましたから、少しの間なら大丈夫です。何の御用件でしょうか」 「土曜日に野点の会があるのだけれど、みどりさんも御一緒にどうかと思って」 「すみません。その日は先約がありますので」 今度はちゃんと断れたわ。はっきりと。 思わせぶりな態度が、一番いけないのよね。先日のことで学んだわ。 あ、そうだ。 「えみりさんと、雄也さんを野点にお誘いすればどうでしょうか?」 「そうねぇ……」 つねさんは、困惑しているようだ。でも、親子なんですもの(えみりにとっては義母か)。せっかくのチャンスに、仲良くなって欲しいじゃない? 「――息子に代わってくださる?」 しばし間があった後、つねさんが言った。それを私は、OKのサインと受け取った。 「――わかりました」 ――喜んで。 おっとどっこい生きている 17 BACK/HOME |